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迂回しながら踊るおどり ジャン・ルノワール『ゲームの規則』

タイトル変えました。その時々で思いついた言葉を素直にタイトルにしよう、ルールはもう廃止。

ジャン・ルノワール『ゲームの規則』(1939)
見終えておもしろすぎて興奮し、軽く叫んでしまった。
ワンショット長回しでたくさんの人が一度に色々なことを行うシーンの数々は、振り付けられたダンスを舞台で見ているかのような優雅で奇妙な感覚で、これがたまらない。目を離していると既にあちこちで何かが起こっているから油断できない。こんがらがった動線と人間関係は整理不可能に見えるのに、破綻しないのはなぜなんだ。誰がまとめているのか。監督はもちろん役者たち凄すぎないか。
冒頭の第一声から恋愛至上主義で、おお、フランスだなー、と思う。愛を求めながら、自分が求めている愛から遠ざかる行為ばかりおこなってしまう人々の悲劇と滑稽さ。
妻が夫の愛人に気付き、夫の特徴や弱さについて愛人とポンポンと軽妙に言葉を交わすやりとりが印象に残る。その他の場面もとにかく会話がよく練られていておもしろく、ハリウッド映画の楽観的な感じとは全く性質が異なるように思った。
狩りの場面でたくさんのウサギが撃ち殺される。いくらこの時代の映画とはいえ、さすがに殺しすぎだろ、と思っていたら最後への伏線だったのかな。写し鏡のように作用するルールなのか。

そういえば昨日アーティゾン美術館でジャン・ルノワールの父である印象派の画家ルノワールが描いた肖像画をいくつか見た。解説を聞きながら見ていたら、これらがすべて依頼された仕事だったことを知る。画の中の女性、ひとりはこどもだったけれど、愛らしさと驕慢が表裏一体となっていて、それはえげつないパステルカラーにも現れている気がした。仕事としてこなしていたからなのかな、と、ふと思ったり。少し皮肉な視点を感じたというか。
毛利悠子の展示についてはもう一度見に行ってから感想書こうかな。

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