見出し画像

展示鑑賞記録 漫然と

12/19/24
TOKAS本郷(Tokyo Arts and Space) で「そこからなにがみえる:二つ目の試み」

遠藤幹大、草野なつか、玄宇民の3名が2023年に発表した共同インスタレーション作品《川の長さにまで至る、三行の薄いしるべを引く》の再構成・再上映を中心に、各作家が2画面上映に即した新作をそれぞれ発表する

画面が2つあると目が忙しく、最初、座る場所が端のほうだったので、少し中央寄りに移動して鑑賞した。複数モニターで同時に映像が展開する作品って、みんなどうやって見ているの?すべてを見るのは不可能じゃない?

・草野なつか「自分の顔をのぞきこむ」
最初、どうなのこれ?と思いながら見始めた即興人形劇の制作記録作品。それぞれが人形を作る段階から始まる。うまく作るようなものではないから、と話す言葉が聞こえる。作る段階から直感にまかせているかんじ。考えてみれば、人形に言葉を喋らせる遊びは子どものときはよくやったことで、音声に出さなくても心のなかで人形に喋らせて勝手に物語を作ってひとり遊ぶことなどやっていた。大人にはなかなか機会がないだろう。それは、知らない自分を掘り下げて行く、危険と紙一重の行為なのかもしれない、と思った。工藤夏海さんの人形劇の手法を参考にしているのか。

・三上亮・遠藤幹大「Under Her Skin」
北千住周辺の歴史を古民家が主人公となって語る。靴工場のことは知らなかった。巨大なマンションに建て変わった現在を「無機質」「書き割りの風景」と古民家は語る。この言葉遣い、J-Popの歌詞みたいに定型過ぎて気になった。老人(=古民家)が、今時の若者(=マンション)はだめじゃ、みたいな視点で語っているからだろうか?知らない歴史を知ることができたのはおもしろかった。

・玄宇民「逃島記 離」
俳優の足立智充が空港でデモの群衆に遭遇し驚く時の素の顔!少し驚きながら、でもちょっと面白さがにじみ出ている顔。これがこの作品の中で最も印象に残る場面だった。また、彼が歩き続ける背中をカメラが追うシーンは麻薬のように、どこかに誘われているのと同時にどこかへ追われているようにも見えてはらはらする。セリフは無く、爆竹の音が激しく響いて、銃声かと思ってしまう。

・そこからなにがみえる「川の長さにまで至る、三行の薄いしるべを引く」
暗渠と川を映しながら男女二人が詩を朗読する作品。川や暗渠は東京周辺にいると嫌でも気になってしまうほどたくさんあるね。暗渠は都市の近代化の象徴。いまは見えなくなった、かつて見えたものは水の流れだけではないだろう。それらをあらわにするための試み。書かれた言葉を朗読すると、それだけでは分かりづらいことがあるのに加え、音声が聞き取りづらくて半分くらいしか分からなかった。会場に置かれていた説明書きにテキストQRコードがあったから、あとで読んでみよう。今気づいた。

12/21/24
東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2024
陳列館

タイからの留学生Sattapon Sareenaという人の作品が大変おもしろかった。
障子で区切られた部屋にモニターがいくつか設置してある。それらは白い画面でなにも見えないが音声は聞こえる。壁のモニターに向かい合わせに姿見がおいてあり、その姿見の前の座布団に座って鏡を覗き込むと、白い画面だったはずのモニターに映像が流れているのが見えて、あれ?と思い、部屋から出て障子に嵌めてあるガラス越しに中を見たら、映っていなかったはずのモニターに映像が見えるというしかけ。
作者は、タイにいる一人暮らしの「気難しい老人」という印象だった叔母が病気をしたことで周囲から助けられ、暮しの中でたくさんの強いつながりを持っているのを知る。それをテーマに、日本に住む老婦人を主人公としてモキュメンタリーを撮影。美しい四季の景色と共に撮られた映像。それだけでも良い映像なのに、一見すると見えない状態になっているというアイデア。単純なしかけに深い驚きがあった。この作家さんの他の作品も見ていきたいと思った。

いいなと思ったら応援しよう!