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【フォルケホイスコーレ53日目】Existance

カバー写真は先週末に近所を散歩した時に撮った写真。湖。
スマホを持ち歩く習慣がなくなってしまって写真がない。

学校には時間割があって基本的には毎日時間割に沿って過ごしております。

学校の時間割。授業は1日最大2コマ。


水曜の朝は、“Existence”。
あるひとつのテーマについて話し合ったり、話を聞いたりする。
今まであったテーマは“Work&Career”,”Gender”,”Steel”...などかな?
それぞれの意見にバックグラウンドの違いを感じて面白い。
そして英語の聞き取り・発言。これがまた難しいんだね。

今日のテーマは“Dream”だった。将来の夢の方じゃなく、夜見るやつの方。
テーマがランダムすぎる(笑)

今日のテーマのことではなく、先週のテーマについて遡って書こうかな。
色々感じることがあったので。
先週のテーマは“Cancel Culture”。

キャンセルカルチャーについては以下参照。

キャンセルカルチャーとは、著名人や企業など特定の人の発言や行動を糾弾する、ボイコットのようなもの。 SNS上でその人物や企業の「キャンセル」を叫び、切り捨てる行動からこのように呼ばれるようになった。 SNSの普及に伴って2010年代の中頃からアメリカなどを中心に見られるようになった。

ネットから引用しました。

フォルケホイスコーレでは毎朝“Song book”の歌を歌っており、今回のExistanceではこの本に収録されている歌の作者を題材に話し合った。

いろんな場面で歌ってる。それは非常にホイスコーレ的、らしい。
デンマーク語の歌がほとんどだけど、英語の歌、スウェーデン語の歌含まれている

この本に収録されているある歌の作者は学校の生徒と歳の差恋愛してた人たけど、この歌を歌うのはあり?とか(同性愛だったかも。英語力と記憶力の問題で曖昧)。
みんなで話し合って歌うかどうか決めましょう、と言う流れ。
最終的には多数決での決定ではあったのだけど。

その中のひとつの題材が、「作者はかつてナチスのサポーターだった。ただし作曲した当時はナチスのサポーターになる前だった。歌うべきか?」と言うものだったのよ。
自分を含め5人くらいのテーブルで話し合ったのだけど、「曲自体はいいし、今はもう作曲者に収益がもたらされることはない」「作品と作者は分けて考えていい」「曲が作られたのはナチスのサポーターになる前だから問題ない」という感じで歌うことに賛成派ばかりなのであった。
自分は反対派だったんだけど、言おう言おうとして、タイミングを逃してしまったのだよね。
とりあえず流れを見るっていう自分の気質もある。
複数人が英語でバーっと話しているところに入りにくいっていうのもある(1対1だと話せるけど、複数人だと話が追えなくなるってことがまあまあある)。
でもなんで言えなかったかなー。

そしてその場はテーブルの意見としては賛成を表明することになって、内心「ああ・・・」と思っていた。
結果的には僅差で歌わない派が多くて、歌わないことになった。

その後ももう1トピックくらい話したけど、内心ずーっと意見を表明しなかったことについてモヤモヤしていた。
戦争について。虐殺について。
それに関わることについてNOという姿勢を示せないってことは自分にとって深刻なことだった。とても無視できることではなかった。

なので最終的にExistance後のアナウンスの時間に、「アナウンスではないのだけど・・・」と前置きして、「英語のディスカッションに入ることは正直難しかった。でも自分にとって大事なことだから、言いたいだけ。自分はナチスのサポーターが作った歌は歌いたくない」とだけ全体の場で言わせてもらった(全体の場で話すくらいならテーブルで話してた方がよかったやんけと今になっては思うけれど笑)。

他のトピックだったら、自分の中で処理しただろうなと思うけど、これだけは嫌だ、と言っておきたかった。

今回どうしてもNOと言いたかったのは、ここに来る前にアウシュビッツに行ったことも大きいかもしれない。
ここ最近ずっと感じている、どうして戦争は止められないのかという悲しみも。
なんとなく流されていつの間にか戦争に向かって歩き始めるのは絶対に嫌なのです。
この歌を歌うこと=ナチスの肯定では決してないのだけれど、少しでも遠ざかりたい、拒絶したいと思ってしまうのです。
政治や歴史について議論したり語れる知識は恥ずかしながらないのだけど、戦争は絶対に嫌だ、ダメだと言うことだけはできるので。

自分が全体で発言した後には、何人か声をかけてくれた。
“I touch you”と声をかけてくれて、自分の意見を聞いてくれる子もいた。
英語でディスカッションすることについては「わからなかったらいつでも聞いてよ。同じコミュニティにいるんだから助けるのは当たり前だよ」と寄り添ってくれて、とてもありがたかったのであった。

前から感じてたけどポジティブであれ、ネガティブであれ、発信することについてすごく肯定的に受け止めてくれる。
わからないことを、わかったふりするのに慣れきっちゃってたなあとも思う。
気持ちを伝えて、受け止めてもらって、嬉しくなる。
当たり前のことかもしれないけど尊いことだな。
気持ちを伝えるのにはたくさんエネルギーが必要で、涙さえ出るんだけれど。

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