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マルセイユでブイヤベースを食べる私とマダム。(旅行記2022#1)
「いかにもここが南仏である。」
未だ夏真っ盛りの黄金に輝く太陽、青い空、そしてその全てを映す広い海。
2022年9月5日、真っ昼間。
私はリヨンから高速バスに乗り、
日帰りマルセイユ旅を楽しんでいる。
片道4時間半のバス旅は、旅の中のほんの小さな旅にぴったりの距離。長すぎず、しかし心は十分にわくわくする。
8時ごろリヨンを出ると、マルセイユ駅に着くのはちょうどお昼過ぎ。
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丘の上にある駅からひたすら海に向かって坂を下っていく。
街並みは、街の空気は、これまで歩いたパリやリヨンの街とは違う。明るい日差しも相まって、少しの荒っぽさ、陽気さ、そして力強さを感じる。とても生き生きとしている。
ぱっきりとしていて、淡さがない。
「私のあんまり知らない街だ」
そう思った。
坂の一番下に小さく港を捉える。坂を下りきると視界が開け、ちらちらと光を反射しながら揺れる海が見えた。いざ海が見えたら途端に満足してしまって、目の前までは行かなかった。今思えば、これは人生最初で最後の地中海チャンスだったのかもしれない。最後かは分からないけど、これが最後だとしてもきっとそんなものだろう。別に悔いはない。
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港を囲むように飲食店が並んでいる。お目当て、というほどではないけれど、もし席が空いていれば入ろうと決めていたお店がある。
私はブイヤベースが食べたい。
恐る恐る植木の影からお店の中を覗く。テラス席にも空きがあるようだった。せっかくなら海を眺め、南仏の太陽に照らされながらブイヤベースを食べるというのもいいんじゃないか。
出てきたマダムは少しぶっきらぼうに思え(しかしこれはフランス語が分からない私には往々にして起こること)、ビクビクしながらもテラスに席を得た。
入る前から注文は決まっている。
ロゼワイン、そしてブイヤベース。
ロゼワインを傾けながら、優雅に海を眺める。
やがてブイヤベースが運ばれてきた。最初はお店のマダムが盛り付けてくれて、あとは自由に鍋から自分で足していく。
元々漁師飯だったブイヤベースだが、今は使う魚や短めの煮込み時間など、食文化を守るための細かいルールがあるらしい。
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凝縮された魚介の旨み、ホロホロ柔らかく旨みのある魚、ぷりぷりのムール貝(正直これが一番美味しかった)。ルンルンで食べ進めていく。
ほどなく、隣の席にひとりのマダムがやってきた。
シンプルながら洗練された装い、雰囲気のかっこよさに一瞬目を奪われる。
「ボンジュール。あなたが食べているそれはなに?」
「ブイヤベッ…ス…?」
フランス語の正しい発音は分からない。
伝われ。
「あら、いいわね。私もそれ食べてみようかしら。」
コクコク頷く。
旨いよ、ブイヤベース。
マダムにもブイヤベースが運ばれてくる。
ひと口。深い頷き。
「あら、これ美味しいわね。」
「ウィ、ウィ!」
これは精一杯の賛同を示す意思表示である。
ひとり旅で凝り固まった表情筋を動かし笑顔らしきものを同時に添える。
ひとり旅の女がふたり。旅先で共有する「美味しい」は格別だ。隣のマダムと「美味しいね」と言い合ってブイヤベースを食べ進めているというだけでも、私の心は十分に満たされている。
フランスのマダムらしいと言うべきか、ここから会話が続くことはちょっとした想定外だった。
繰り返すが私は、ほとんどフランス語を話せない。
あなたどこからいらしたの?
―日本です。トーキョー。
あら、日本!フランス語が話せるの?
―ほんのちょっと…。英語は話せます。
私は英語はほとんど話せないのよ。
こちらにはお仕事で?
―旅行です。(旅行と言ったつもりが、仕事と言っていたかも知れない。)
おひとり?
ーえぇ。ご旅行ですか?
そうなの。パリから来たのよ。ひとり旅。
ーそれは、素敵ですね。
あなたも素敵よ。お若いときにこうして世界を旅するのはとても良いことね。
ーMerci !
デザートまで平らげたマダムは、食後のコーヒーを飲みながら紙の地図を大きく広げた。楽しみというのはこういうことをいうのだろうか。
デザートにも行き着かず満腹で苦しくなっている私。
サングラスをかけ、地図をカバンにしまって、無駄のない美しい動きで席を立つマダムを、私は静かに目で追った。
私のテーブルの前を通るときマダムは足を止め、サングラス越しに私を見つめてこう言った。
''Bon voyage !''
ー…Merci !
ぎりぎりマダムの耳に届いただろうか。もう少しも気の利いた返しが出来ないものかと私はまた苦い顔をする。
マダムはあの大きく広げた紙地図に、どんな彼女らしい旅を描いていたのだろう。ちょっとついて行ってもみたかった。一度マルセイユの街に紛れ込んだらもう会うことも、会って気付くこともないだろう。
私もお会計を済ませ、店を後にする。
私は私の旅を続けよう。しかしこれから旅をするとき、あのマダムの全身で旅を楽しむ姿を、少しも思い出さないということはきっとないだろう。
これからもお互いに良い旅を。
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