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自分。に乗せていること。【自己紹介を書こうとして感じたこと】

ふと。から思い立ってはじめたワケ

実はブログもInstagramも投稿をしているものがあるのですが、ちょっとフラットなところに立って投稿をしてみたかったのです。

どれも自分だし演じようとも思っていなけれど、それでもなんとなく「この場所ではこんな役」みたいな感覚はないですか?その場所で繋がりができるほど、「今こういう空気じゃないな。これは書くのやめておこう。」とかって、なんとなく、なんとなくなんですけど少しずつ溜まっていって、あるところまで溜まると、「あれ?なんか自分の書きたいこと書けてないな。」みたいな状態に、わたしは、なりがち。

全部、わたし自身が勝手に溜めて、勝手にそう感じて、つまりは自作自演でそういう世界にしてるわけなんだけれども。わたしは今、そういう状態だと感じでいるのです。そしてそういう時は、だいたい場所を変えたくなる。空気を変えたくなる。だから、noteがはじまった、というわけです。


わたし。とは?

ということで、できるだけフラットに自分のこと書けないかと考えているところ。まずは今の、そんな自分を紹介してみます。

もうすぐ40代半ば。女。
東京出身。いまは北関東在住8年目。
3歳と6歳の姉妹のお母さん。妻。
個人事業主。

毎日のInstagramに
その日に描いた絵を載せてます。
3月でまる2年になります。

アニバーサリージュエリーを販売中。
デザイン・企画をして
職人さんに作ってもらって
それを販売しています。
もうすぐまる4年。

天然石を使ったアクセサリーを販売中。
主にピアス。手作りしています。

描いた絵や創作物を販売中。

そこに至るまでは
文学部哲学科を卒業して、テレビ局で派遣社員として学生バイトさんと走り回り、映像関係で営業事務やらアシスタントディレクター的なこととかもやらせてもらいました。証券会社にも勤めてみたりジュエリーデザイナーになってみたり。チョークアート講師をしてみたり。


色々やってる。ね。


と色々書いてみたけれど
よく言うならば、色々やってみる、その瞬発力というかそういうのはなかなかな素質であるかと思う。よくやった!よくもまぁ、あれでもか、これでもかと。へこたれてない。アホかもしれない。そんな自分を尊敬する。

その一方で、わたしは続かない。根性がない。失敗だとか出来ないことが怖くてすぐ逃げる。何者にもなっていない。みたいなことは、しょっちゅう頭をよぎるし、もうちょっと腹据えてやれば?というゲキも自分によく向ける。


と。ちょっと卑屈になってきたので、ここまで書いて気づいたことを記しておきます。

事実に何を乗せているのか

実はここまで書くまでに、書きそうになったけど書かなかったことがあります。

例えば、個人事業主だけれどもまだまだ利益が出ていません。とか、絵は描いているけれど、趣味レベルかと思います。とか、デザイナー「のようなものです」とか、いうほど売れてません。とか。そう、だいたいが、「大したことありませんので」みたいな意味合いを含むのです。

書こうとするたびに浮かんでくるそれらの言葉を思って、わたしは自分のことが可哀想になりました。


毎日の絵を楽しみにしてるよと言ってくれる人がいる。リアクションしてくれる人がいる。今も絵をオーダーしてくれて待っていてくれる人がいる。
ジュエリーをオーダーしてくれる人がいる。アニバーサリーとして、その時は購入したいんだと話してくれる人がいる。

ゼロではない。


その事実、「ない」ではなく「ある」という事実を無視して、目立たないように、誰かに何かを言われないように、矢面に立たないように、こそこそと。わたしはそれを望み、「事実」に対してあれやこれやと予防線を張ろうとしていました。コソコソしていたい。そんな気持ちに溢れているなと感じたのです。


本当にコソコソしていたいのか?
本当はそうではありません。


いつもそういう扱いを自分自身に対してしていることが、なんだか虚しく可哀想に思えました。だから、それはやめよう。まずは自分自身を批判的に扱わず、事実をまっすぐに見てあげよう。そう思って、なるべくフラットに書き連ねていくようにしたのが、先程の自己紹介です。


コソコソ。から矢面に立つ。へ

今のところ、画家です!とかデザイナーです!とか、言い切る勇気はあまり持ち合わせていないヘタレな自分だけれど、(とか言いながら気分がいいと言えちゃうのだけど)、「コソコソ」が板についている自分からはもうサヨナラしたい。いい加減、サヨナラしたい。

そんなの画家とは言えない。
お遊びみたいなものじゃないか。
それでデザイナーと言える?
真剣にやってるの?

わたしがビクビクしているのは、例えばそんな言葉です。でも実際のところ、思われているかもしれないけれど直接言われたことはないし、こういうことを話すと「そうであってもわたしの中では画家だよ」と言ってくれる人もいる。

じゃあ、なんでビクビクするか?

それはわたし自身がそうやって他人のことをジャッジして生きてきたからです。そうやっているから、全部自分に返ってくるんだと気づいて、意識してやめるようにはしてきたけれど、どうやらまだ燻っている火種はあるみたい。あの人は素晴らしい、だからわたしも素晴らしい。そんな世界への過渡期後期という感じ。


矢面に立つ。
今必要だと感じているのはその覚悟。


せっかくはじめたnoteなので、この場所ではそれを意識しながら、自分にコソコソせず、「でも◯◯なので(勘弁してください、責めないでください)」という意識が少しずつでも減って無くなっていくように。という思いで綴っていけたらいいなと考えています。

軽やかにね、時代を生きたいです。









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