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【すっぽんノベル】 「純喫茶チルドレン」 第2話

「純喫茶チルドレン」第2話

writen by AD.TAKEDA

カードは美しい女性の免許証だった。何年前のものだろう。義男の持っているものとはデザインが随分と違っていた。免許証を手に持ったこの感覚はなんだろうか、あえて言葉で形容するなら、ものがなしいとでも言おうか。どこかノスタルジックなその免許証に妙な違和感を感じていた。それがなんなのかはわからずしばらく眺めていると、やはりそれは突然やってきた。

「んん、、、きた...」

桜のつぼみが膨らみ始めたばかりのこの季節に似つかわしくない大量の汗が、義男の額をつたっていた。義男は、昔から歩くことができなくなるほどお腹が痛くなることがよくあった。全身から汗が吹き出して、寒気がする。寒いのか暑いのかの判断がつかなくなる。どうにか好意的に受け止めようと、この腹痛のことを「ブリットちゃん」と名付けたのだが、トイレに駆け込むと、「ブリットちゃん」というレベルではなく、「ドバットちゃん」と
言った方が正しいと言える。

「ブ、ブリットちゃん、、、ご無沙汰してます...」

義男は、力ない言葉を吐いた。ここ数年、この症状が現れることはなく、体質が改善されたのかという淡い期待をいだいていた。お腹を針で刺すようなギューンという痛みに、思考能力が奪われていく。
「プリットちゃん」の久しぶりの登場に、義男は初動対応を誤った。トイレの位置を確認することが先決なのだが、自ら作った自宅周辺のハザードマップは、置いてきてしまった。頭の記憶を頼りに、最も近いトイレを思い浮かべる。自宅までは歩いて3、4分といったところか。

「う、うちまで持つかどうか...」

 自宅の手前にある「やたら滑りの良い滑り台のある公園」にトイレはあるのだが、あそこは常にちり紙がない。ちり紙のないトイレなど何の意味もなさない。義男の「ブリットちゃん」を甘く見ているとしか言いようがない。自宅まで行くしかない。とは言え、もしものことがある。「やたら滑りの良い滑り台のある公園」のトイレにお世話になる場合、今手に持っている免許証ですら、貴重なアイテムとなることを義男は知っていた。
 ゆっくりと急ぎながら、左手をお腹にあて、右手は、ブロック塀に体重をかけながら、前へ進む原動力となっていた。
 自宅まで小石を蹴り続けるというルールを無視した罰なのかと後悔してももう遅い。義男の人生はいつもそうだった。あとになって、自分の選択が間違っていたと自分を責めるばかりか、自分の決めたことを最後までやり遂げることなく諦めてしまう。あの時もそうだ。大好きな母が家を出て行くと言ったあの時も。「一緒においで」と言った母に「僕も連れていって」と素直に言えなかった。人生は選択の連続だ。その選択一つで大きく道を逸れていく。
 ブリットちゃんは、一定のリズムをうって、義男に語り続ける。早く解放してあげたいが、まもなく38歳というプライドがそれを許さない。
 そうこうしていると「やたら滑りの良い滑り台のある公園」に差し掛かった。するとどうだろう。冷や汗まで出ていた痛みがウソのように、スーっと引いていくのがわかった。

「助かった...」

 こういうところが、ブリットちゃんの憎めないところだ。あれだけ痛めつけておいて、ふとした瞬間に優しさをみせてくる。鬼の形相だった義男は、そっと胸を撫で下ろした。
 公園のちり紙のないトイレを回避し、家路を急いだ。
 義男のアパートは、町工場に囲まれた場所にあった。時折、鉄を削るような音が鳴り響いては、その独特のにおいが、あたりを覆う。義男はこの匂いがたまらなく好きだった。
 ようやくアパートが見えてきた。その時だった。

「んん、、きたか...」

 ブリットちゃんの第二波だ。セカンドインパクトと言ってもいいだろう。

「これはでかいぞ...」

 手が震える。公園のトイレを回避したという先ほどの選択が、また間違っていたというのか。独特の緊張感があたり一面を襲う。ただ、義男には勝算があった。なにせもうアパートはすぐそこだ。小走りになる義男。ブリットちゃんもここぞとばかりに出てこようとする。そうはさせまいと階段を駆け上がる。いや、だめだ。駆け上がるのは良くない。そっとだ。そっと階段をあがって、、、

 そこからの記憶はもう思い出せない。どれほどの時間を過ごしただろう。便器から立ち上がり、、無事にプリットちゃんを世に放つという成長した自分を誇らしげに、トイレの水を流した...。

 その時だった。右手に持つ免許証の違和感の正体に気がついた。そこに映る黒髪ロングのストレートの女性、少し垂れた奥二重の目。若い頃の母
顔、そのものだった。

「これは...母さん?」

 ただ、名前も生年月日も違う。旧姓の苗字とも違う、見覚えのない名前だ。

 母の写真がある昔のアルバムを探した。もう何年も開いていない。母が義男の前からいなくなってから、写真を見る勇気がなかったからだ。重いアルバムを開くと、一通の茶封筒が落ちてきた。

世界線の選択

①封筒には、義男への思いが詰まった母からの手紙が入っていた。

②封筒には、帯のついた札束が入っていた。

③封筒には、近所のスーパー「トクマル」のポイントカードが入っていた。有効期限が切れていた。

番組内ではリスナーさんの投票で「②」の世界線が選ばれました。第3話は「②」の世界線で物語が続きます。

放送業界を夢見る相方「AD.TAKEDA」と楽しくおしゃべり。そして、劇団「彗星マジック」の作家、演出家である「勝山修平」がやってくる「夜のすっぽナイト」は毎週金曜日22時からツイキャスにて生配信中!!


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立花裕介
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