姉の結婚式と、幸せになる勇気。
「どうしてそんなに頑張れるんですか?」
大学生の頃から、周りに何度も聞かれるようになった質問。
ICU卒、大学ラグビー部所属、新卒Amazon、2社起業。
確かに、世間から見ると僕は頑張ってるように見えると思う。
実際、かなりハードワーカーだと自認もしてる。
質問にはこんな感じで答えていた。
「仕事が好きだから」
「成し遂げたいことがあるから」
「ハードワークが習慣になっているだけ」
これらは別に嘘ではない。
が、最も正しく表現するのであれば
「今、この瞬間幸せなのが怖いから」
が適切である。
そして、最近、これを克服しようと努力をしている。
経緯について、自分の整理も兼ねて書き出してみる。
憧れの大人と、デュエル・マスターズ
1999年、千葉県市川市。
経営コンサルタントの父親と、専業主婦の間に産まれた。
小学生の頃、デュエル・マスターズというカードゲームに熱狂していた。
まだスマホが無い時代に、父が買い与えてくれたノートパソコンで、ひたすら研究に明け暮れた。
1000枚以上のカードの種類を丸暗記していたし、有名な大会の結果や、流行っている戦略などを常に最新情報を追っていた。
段々、学校の友人相手だと物足りなくなり、母に頼んで大会に連れて行ってもらうようになった。
小学生は少なく、高校生や成人と練習や大会で対戦することが多かった。
彼らは僕をガキでは無く、同じ決闘者(デュエリスト)として扱ってくれた。
大人と対等に話している自分を誇らしく思っていた。
そして当時狂ったように見ていたのが、カードキングタムというYoutubeチャンネル。
いけっち店長というカードショップの店長とその仲間達が、ワイワイしながらひたすらデュエマをしているというチャンネルだ。
カードゲームに詳しく、ウィットに富んでいて、面白いオタク友達がたくさんいて、好きを仕事にしている。
こんな大人になれたら幸せだろう、と心から思った。
吹奏楽と、受験
中学校に上がるあたりで、デュエル・マスターズは飽きてやめてしまった。
周りの友人が皆辞めたこと、一度関東大会に出場できたことで燃え尽きたことが理由だったと思う。
中学校では吹奏楽部に入部した。
そして入部後から中3の春に部活を辞めるまでの2年間が、人生で最も辛かった期間だった。
詳細は書けないが、毎日絶望しながら部活に通っていた。
お盆と正月に休みはなく、土日や夏休みも全て練習漬け。
そしてひたすら怒られる日々だった。
「この4階の音楽室の窓から僕が今飛び降りて死んだら、この部活は廃部になるんじゃ無いか。いい気味だ」
と思うことで、なんとか堪えていた。
結局2年続け、最も部に迷惑がかからない春に辞めた。
(吹奏楽は全員で違うパートを演奏するので、夏や冬のコンクール期間に1人辞めると、演奏が成り立たなくなってしまう)
辛い思いをしながらも2年間続けられたのは、
「辞めたらその場では楽になるけど、その後辛くなるかもしれないから」
だった。
そして実際に吹奏楽部を辞めたことで、人生で初めて「逃げる」という選択肢を選んだ自分を悔やむようになってしまった。
「名門の吹奏楽部を辞めた人間」としての周りからの目が気になり、自己嫌悪にさいなまれる中学時代だった。
その後受験が始まった。
受験は「今苦労して、いい高校に行く」という、今を犠牲にする生き方の最たる例だった。
ICU高校、ICU
無事に第一志望かつ、姉、父、母の出身校であるICU高校に合格した。
高校生活は楽しかったが、常に大学受験のことが頭にあった。
受験のため、予備校に高校2年生まで通っていた(ICU高校は予備校に通う学生は極端に少なく珍しかった)。
高校生活は楽しかったが、常に「今楽しんでいいんだろうか?」と思い続けた。
結局受験はせず、内申点をしっかりと取り、ICUに進学した。
生徒の1/3しかICU高校からICUには上がれないため、受験ほどでは全く無いが、多少苦労はした。
そしてICUに進学した時、自分には焦りがあった。
ICUの中には、英語がネイティブ並みの実家が太い帰国子女、ボランティアやNGOの代表。
他大には、旧帝大に進学した高校の友人、大学生起業家、名門の体育会在籍のアスリート。
何者かにならなければ、と必死になった。
そして、ガムシャラに行動し続けた。
初心者でラグビー部に入部し、過酷な筋トレと食トレで体作りをした。
長期インターンを3社、合計で3年間続けた。
授業やゼミ、卒論も絶対に疎かにしなかった。
周りがアホなサークルに入って、酒を飲んでオールして、単位を落として留年して、就活を疎かにしているのを見て、心底軽蔑した。
飲み会にはほとんど行かなかった。
全部「今辛くても、将来幸せになるため」だった。
結果Amazon Japanという、いわゆる「いい会社」に入社できた。
「今苦労して勉強して、いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に入る」
一つの目標が叶った瞬間ではあった。
Amazonと、ChatGPT
憧れのAmazonに入ったものの、全く満足することはなかった。
インターン時代の上司からは「圧倒的に1位を取らなければ埋もれる」と口を酸っぱくして言われていた。
そのため、1年目からガムシャラに働いた。
誰よりも早く出社して、誰よりも遅く退社する日が続いた。
電話の回数も、営業の成績も、全て誰にも負けたくなかった。
付き合いで飲み会に行っても二次会は行かなかったし、どんなに飲んでも早くに出社した。
リモートワークは許可されていたが、絶対にオフィスに通った。
誰に聞いても、ダントツで優秀な新卒だったと言ってもらえる自信があった。
そして、ChatGPTに出会った。
触った瞬間に起業を決意した。
Amazon在籍中に生成AIの受託開発の会社を立ち上げた(詳しくはこちらのnoteでも)。
その後Amazonを辞め、起業した会社も株式譲渡で抜けた。
新しく1人で起業した。
起業家としての自分と、姉の結婚式
新しく建てた会社の代表として、人生で最もガムシャラに働いた。
自分が働かなければ、飯も食えないし、家にも住めない。
幸せになるために、せっせと働いた。
最初の3ヶ月ほどは売り上げが立たなかったものの、努力の甲斐もあって、段々と軌道に乗って行った。
行政や、大学にも講師として呼ばれるようになった。
東証プライム上場の複数社から、大きな受注が飛び交うようになった。
断らなければならないほど、依頼が常に来るようになった。
SNSの総フォロワーは30万人を超えた。
5000円の個人向けの研修はたった1ヶ月で8000部売れた。
ほとんど1人の起業で、原価はほぼゼロ。
元々ブランド品などに興味がなく、ミニマリストとして生きていた。
冷蔵庫や洗濯機など家電は一つもなく、ガスすら通していなかった。
生活水準が極端に低い中、大きく売り上げがたった。
しばらく生きていくのには困らなくなった。
それでも、休めなかった。
「今幸せになったら、将来辛くなる」
と強迫観念に駆られ続けた。
そんな自分の考えを改めようと思ったのが、姉の結婚式だった。
幸せになる勇気
僕の一つ年上の姉は、僕の知る中で一番の努力家だ。
幼稚園、小学校、中学校、高校、そしてAmazonと、なんと大学以外全てが同じで、ずっとその努力している姿を見ていた。
コミュニティに所属すれば、必ず委員長や部長に立候補。
中間テストが終われば息抜きもせずに期末テストの勉強。
「タイムが成績に関係するから」と体育の授業でマラソンがある季節には走り込み。
結果成績は常に1番上。
大学も、高校で1枠しかない慶應大学の指定校推薦に選ばれた。
法学部への進学が決定してからは、常に法律の勉強をし続けていた。
僕より遥かに「将来幸せになるために、今努力する」を実現し続けた人だった。
僕はそんな姉の姿を見ていたから、安心して、常に後について行った。
例えば、僕も姉も、日本の中学校に馴染めなかった。
しかし、姉がICU高校に努力して入学し、「いい学校で楽しいからおいで」と誘ってくれた。
内定ゼロだった僕に、「Amazonは楽しいからおいで」と面接対策を徹底的にしてくれた。
姉は常にロールモデルだった。
けれど、僕以上に責任感、そして「努力」というものへの強迫観念が強い姉はメンタルを崩しがちで、それがずっと心配だった。
そんな姉が今年、結婚式を挙げた。
僕は、結婚式の最中、涙をこらえられなくなってしまった。
人生で1番、幸せな日だった。
これまでずっと「幸せになろう」としていた姉が、人生で初めて、「幸せ」を噛み締める日だったからだ。
姉を愛する友人等の前で、綺麗に着飾った姉は、幸せそのものだった。
特に姉の夫は本当に素敵な人なのだ。
頭が良くて、ゲームとスポーツが上手で、優しくて、良いところを上げればキリがない。
こんな素敵な人が姉を好きになったことが、姉のこれまでの苦労した人生を正しいものだったと証明してくれている。
お義兄さん、これからもよろしくお願いします。
そして、姉よ、ありがとう。
まだ自分のオムツも取れてないのに、僕のオムツを変えてくれてありがとう。
一緒に6年間、空手を続けてくれてありがとう。
大学を辞めかけた僕を説得して、一緒に遊んでくれてありがとう。
起業してお金がない時に、ご飯を作ってくれてありがとう。
これからの生き方
幸せになろうと思い、ずっと夢だったテスラを買った。
幼少期の苦労した経験を経て、テスラを起業したイーロンマスクは僕にとっての英雄だ。
ずっとイーロンのプロダクトを手にしたかった。
(スペースシャトルよりは安い)
家も、極狭のワンルームから、代官山の家賃40万円の家に引っ越した。
1人2、3万円の寿司などご飯にたくさん課金してみた。
結果、車や家、高い飯では大きな幸せを、僕は感じなかった。
お金を使ったことにあんまり後悔はしていない。
物やステータスでは自分は満たされないとわかったことが、いい収穫だったから。
そして今、自分が1番幸せに感じるのは、友人や家族と過ごす時間だと気づいた。
今までは「遊んでられない、仕事しないと」と強迫観念に駆られ、ゆっくりと過ごせなかった。
これからは、もっと沢山の時間を過ごそうと思う。
特に、スポーツは最高である。
必死にボールを追っていれば、それ以外のことなど全く考えずに済むから。
スポーツは中々機会がないので、月に1度フットサルコートや体育館を貸切り、友人を大量に集めることで、自分で機会を作るようにしている。
なお、幸せになろうとして、1番嬉しい収穫だったのは、今の仕事が大好きであると改めて実感したことだ。
生成AIを触り、活用法について色々試し、世の中にクリエイティブに発信する。
それが、多くの人の目に留まり、感謝される。
元々人に教えることが得意かつ大好きだったので、今主催している勉強コミュニティなどは僕にとって天職だと思う。
そして今はもう、お金にも、「何者かになる」ことも拘らなくていい。
これは、本当に幸せなことである。
小さい頃夢見た、カードキングダムの大人達に、近づけてると思う。
少しずつ、幸せになる準備を、今後もしていきます。
以上、姉の結婚式で得た、幸せになる勇気でした。
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