僕が最初の1冊を出すためにやったこと
僕は23歳の時に処女作『0から始める幸福論』(彩図社 ぶんりき文庫)を出版した。以来、書店に並ぶ紙の本を、これまでに3冊出版した(その他、書店に並ばない本や他人名義の書籍の制作や販売に関わっている)。
よく聞かれるのが最初の1冊をどうやって出したのか?という質問だ。
今、僕の周りには著者と呼ばれる人がたくさんいる。毎月のように著者の人が新刊を出した報告が届く。そして、縁ある人を著者に導くこともある。
電子書籍が普及しつつあり、誰でも0円で電子書籍が出せる時代になった。ただ、2017年現在、まだまだ僕の読書の大半は紙の本だ。
紙の本のメリットの1つが貸したり、プレゼントしたりすることができることだ。
僕は自分の本を多くの人に献本してきた。そのため、その後、何年も会っていなくても、その人の記憶に残っていたり、著名な人と繋がったりすることができた。
もっとも、3年ほど前に本を贈ったことが、きっかけで出版界のある大御所を激怒させたことがあるのだけれど、本を贈って失敗したことは記憶にある限り、この1回だけだ。
何が言いたいかと言うと自分の本、それも紙の本を出すとメリットが大きいということだ。
読者の中には、異業種交流会で名刺交換をしたり、自己紹介した経験をお持ちの方もいるだろう。
でも、その後、何年か経った時に特に交流がなければ、仮にSNSでは繋がっていたとしても「誰だっけ?」ということになりかねない。
もちろん、自分の本を渡していても、縁のない人とは深く繋がれないこともあるだろう。また、本の内容次第では繋がるどころか距離を置かれてしまうこともあるだろう。
僕の場合、最短では、本を渡した当日にツイッターでブロックされたことがある。
それでも、僕は自分の本を出すことはデメリットよりメリットが大きいと思う。
閑話休題、最初の1冊の話に戻ろう。
先日、今一生さんというライターの方のトークライブに参加した。その時、ある青年が本を出した時の話になった。
今さんは多数の本を出していて出版界の人脈も豊富だ。てっきり、今さんが、その人脈を使って出版を実現させたのかと思ったら全然違っていた。
青年に知っている出版社の名前をあげさせて順番に電話をかけさせるという誰でもすぐにできる方法だった。
結果的に2社目の出版社から青年の本は出版された。
ベック式暗記術の別名孝司さんも電話帳で順番に電話をかけていって10社目くらいで出版がきまったという。
今やベストセラー作家となった千田琢哉さんも10冊目の本くらいまでは出版社からオファーがあったのではなく、自分で出版社に企画を送ったのだそうだ。
小説の場合は事情は違うのかもしれないが、ビジネス書の場合は、無名の新人著者であっても企画がよければ案外、簡単に出版がきまるものだと思う。
これは、大変失礼極まりない話だが、僕が実際に会った著者も、本を読まない限り、特段すごい人だとは思えない人も何人もいる。
著者には会わない方が幸せな場合もあることを頭に入れておいて欲しい。
最後に、僕の話をしておく。僕の場合は、たまたま書店で作家志望者のための投稿専門誌『ぶんりき』を購入し、投稿したら投稿作品が採用された。
当時、『ぶんりき』は公称発行部数が7万部と言われていて、僕が投稿し始めた頃に月刊誌になり、更に投稿作品を文庫化するという企画がスタートするなど最盛期だったのだ。
プロからの評価は2人を除いて散々だった僕の作品「幸福論」だが、幸いにして一部の読者からは熱狂的な支持を受けた。こうして僕の処女作『0から始める幸福論』は「ぶんりき文庫」創刊シリーズの35点の1つとして刊行され発売2日目に増刷が決まり、発売2か月で第3刷となった。
その実績もあり3年後には第2作『転職王』を出版するに至る。
今も、この話をすると、「『ぶんりき』が今、あったら投稿したい!」という人は結構な数でいる。
残念ながら今は『ぶんりき』は無期限で休刊中だが、STORY.JPから『ビリギャル』が発売されたように、『ぶんりき』に変わる手段は探せばいくらでもあるだろう。
要はあなたが最初の1冊を出したいという気持ちを高めることが大切なのだ。
安心して欲しい。ほとんどの人は著者になりたいなんて思ってもいないのだから。
東大に入ったり、難しい国家試験に受かったりするより、はるかに簡単なのが著者デビューすることなのだ。
僕も、そろそろ第4作目の出版を考えたい。テーマは下剋上人生だ。
あなたの処女作が出版されることを願っている。