アーバンギャルド妄想駄文:「アバンデミック」
2020年11月25日にアーバンギャルドのニューアルバム「アバンデミック」が発売された。
コロナ禍においてあらゆるエンタテイメントが不要不急とされ、世間からクラスターの温床と見做されたライブハウスを主戦場にしていたバンドが新たな活動の模索を余儀なくされるなか、アーバンギャルドもその危機に直面していた。目まぐるしく変わる世界は、リーダーの松永天馬の目にどう映ったのか。自粛期間を製作期間にリリースされたニューアルバム「アバンデミック」について、分析や考察というには大袈裟過ぎるので、いちファンの妄想を取り留めもなく書いてみる。
「アバンデミック」
アルバムのタイトル「アバンデミック」は、バンド名「アーバンギャルド」の由来のひとつでもあり前衛を意味する「アバンギャルド」と全世界的感染拡大「パンデミック」をかけ合わせた造語。リリースの発表に合わせて公開されたティーザー映像には「前衛的感染爆発の手触り」というタイトルが添えられていた。
マスク越しにキスをする男女の体内には、体表すれすれまで極彩色の花々が咲き乱れ、体外の灰色な世界との対比が鮮やかなジャケットデザインとなっている。今にも身体を飛び出しそうな満開の花が世界的感染爆発への予兆を暗に示しているのか。あるいはイヤフォンを感染経路にアーバンギャルドの音楽がマスクの壁を越えて伝染していく、前衛的感染爆発を仄めかしているのかもしれない。
01.神ングアウト
アルバムの1曲目でありリード曲でもあるこの曲は、「わたしが神様だって言わせて」と、主体的な意思を高らかに宣言する一曲。
アーバンギャルドにとって、これまで多くの楽曲において「神様」は二人称で描かれていた。「僕」と、大きなキスマークみたいに大地震を与える祈りの対象としての神様(『ガイガーカウンターの夜に』)、「わたし」が誰にも言えないことを打ち明ける独白・告白の対象としての神様(『ラヴクラフトの世界』、『ダブルバインド』)が、この神ングアウトでは、一人称として描かれている。
この主体性の描写の変化は、近年のアーバンギャルドの楽曲ではすでに表れていて、たとえば『ふぁむふぁたファンタジー』では「運命、宿命じぶんで決めろ」と明確なメッセージが込められ、『少女元年』では「何処かの誰か任せの時代を変えてあげる」と歌われる。『生まれてみたい』で「いつかわたしになりたいの、なれないの」と独白していた少女はそこにはもういない。
この「神ングアウト」では、近年のアーバンギャルドの表現世界における「少女」の変化・変遷(もはやその主体は少女に限定されなくなっている点も含め)が、流行り病でエラー続きの世界に振り回されずに、自分を救うのは自分であるということと重ね、明快に歌われている。
ちなみに、キリスト教においては、ただ内に秘めて信じているというだけではなく、神や他者にその信仰心を打ち明けることで初めてそれを信仰とする「信仰告白」という考え方がある。この思想は弾圧のなか教義を布教するための一手段であったとも考えられるが、リスナーにとっては密教のようにある種「自分だけのバンド」であったアーバンギャルドとの関係性を「アバンデミック」を通じて告白(カミングアウト)することと重ねているとも考えられる。
02.君は億万画素
曲名のオマージュと思われる、1986OMEGATRIBE『君は1000%』と同様、「僕」の目線から見た「君」への気持ちの独白が、引用元とは対照的な毒気に満ちた歌詞とダークなメロディに乗った一曲。
アーバンギャルドでは浜崎容子と松永天馬の男女ツインボーカルで、普段は2人が同じキーで歌うことが多いが、この曲では1オクターブ低く松永天馬がコーラスを入れることで、曲の仄暗い気味悪さが強調される。Aメロも民謡のようなエスニック風のメロディに、アーバンギャルドのこれまでにない新たな音楽性を感じる。
アップロードされた画像の君の瞳に反射して映り込んだ「曇天塔」(東京タワー?)を見て君の家の周りを特定してしまう、いわゆるネトストのような僕は、どんなに解像度が高くても、あくまでKBデータの君を人工衛星経由でしか見つめることができない。どんなにズームしても君にはさわれない。
この曲でも、「疫病殺し」、「アクリルガラス」といったパンデミックを連想させるフレーズが多用され、なかでも「写らない感染らないトコまでもっともっとうつしてよ」という言葉遊びは、言葉で時代に切り込む松永天馬の才能が炸裂している一節だと思う。
03.マスクデリック(ver.2.0)
供給が間に合わず転売ヤーによる買い占めが起こり、政府による国民全世帯へのマスク配布が計画されるなか、突如アーバンギャルドのYoutubeチャンネルに「マスクデリック(ver.1.0)」がアップロードされた。この楽曲が「アプデ」されアルバム収録されている。
一躍、文字通り生活必需品となった「マスク」をテーマに、いち早く世の中に作品を提示する姿勢がアーバンギャルドのアイデンティティである時事性を象徴していたと思うが、その歌詞では、身を守るための物であるマスクが、口を塞ぎ言葉を奪うものとして描かれる。ミラーボールみたいなウイルスの蔓延で、当初から槍玉に挙げられたライブハウスに向けられる弓矢のような批判を、個人の表現の爆発に昇華した一曲。
曲名はYMO『テクノデリック』もあるが、 個人的にはデリケート、デリカシーのようなdelic-の繊細さ脆弱さのイメージが、「マスクがないと生きられない」、「マイクを持っちゃ生きられない」世の中でバンドのおかれた苦境と合致しているように思う。
04.映えるな
リード曲の2曲目でもある「映えるな」は、四つ打ちのアップテンポなメロディに言葉数が多く詰め込まれた歌詞で、曲名とは裏腹に令和の時代に「映え」そうな一曲。これまでのアーバンギャルドにはあまりない風合いの楽曲ということもあり、夜系、夜行性などといわれるJ-POPヒットチューンと比較してアーバンギャルドの作風の変化を指摘するコメントもYoutubeコメント欄に並んだ。
すでにここまででも書いているように、アーバンギャルドは元々膨大な引用とオマージュを強みとするバンドだ。個人的には、この一曲ははこれまで時事性の強い題材を、懐古的な音楽的要素に乗せてレトロフューチャーに作品を作り上げることの多かったアーバンギャルドが、時事性の高い題材を時事性の高い音楽的要素に乗せて引用元にした試みではないかと思う。また、それを実際にそれら引用元の主戦場に投下して火をつける狙いがあるのではないか。冒頭を前奏なしのサビ入りにしている点はサブスク視聴の荒波に耐えうるように、またサビのワンフレーズがきれいに15秒間のひとまとまりで納まっている点は、tiktokなどのショートビデオアプリとの相性を意識したのかもしれない。
そのなかで何度も繰り返される「映えるな」のワードがどういう狙いを持たせられているかは明確ではないものの、自分はどちらかというと感嘆ではなく、命令(禁止)の「映えるな」と思う。
「映え」は今では、「エモ」や「チル」に形を変えている。元々はエモーショナル(=感情を揺さぶる)なことに対して使われていた「エモい」は、今は懐かしさをおぼえたり、儚いものに対して使われる場面が多くなっているという。桜が散れば、なんとなくエモいのだ。ただ、このエモいという表現、事実を事実としてそのまま見つめる意識を希薄化させるのではないかと思う。ダイナマイトが花火みたいでなんとなく映えてても、それは一方で事実としてダイナマイトでしかないし、咲くなら咲くだけだし、散るなら散るだけだよと。
簡単に言ってしまえば、総じて「エモいじゃないが」ということなのかな、と個人的には考えた。他のリスナーの方々がどう思ったのか知りたい。
05.チャイボーグKYOKO
前曲「映えるな」が時事的な音楽要素を持っているとすれば、この曲は非常に80年代懐古っぽい色が強く、そこにチャイナ×テクノポップが織り交ぜられた一曲だと思う。『プラモデル』、『マイナンバーソング』の系譜と、『ロリィタ服と機関銃』と『アンドロイド輪舞曲』の系譜のちょうど交差点にあるような曲のようなイメージ。
『アンドロイド輪舞曲』では、AI(愛)に燃えそうなアンドロイドを介して、心と身体のギャップや戸惑いをテーマにしているように思ったが、『チャイボーグKYOKO』では、むしろ誰かに委ねることなく、自分のなかに判断基準をもって強く生きていくことを、サイボーグのよう、と自嘲する人自身を描いているのではと捉えた。嫌われることを恐れずに生きていくことを歌っている。
ただ終盤の歌詞で、強く生きるKYOKOが、それでも一瞬揺らいでいるようにも見える。嫌われるのを恐れないことと、そのためには他者やあなたを傷つけることも厭わないことの合間で揺れる様子が、俯瞰して描かれているのではとも思う。いつかの探偵小説のセリフ「強くなくては生きていけない。優しくなくては生きていく資格がない。」みたいに。
06.アルトラ★クイズ
アーバンギャルドのアルバムにいつも1曲は潜ませてある毒のような変化球の一曲で、メインボーカルを松永天馬が歌ういわゆる天馬曲。過去に、「オギノ博士の異常な愛情」、「都市夫は死ぬことにした」、「あたま山荘事件」、「墜落論」、「コミック雑誌なんかILLかい」、「戦争を知りたい子供たち feat.大槻ケンヂ」、「箱男に訊け」、「鉄屑鉄男」などが各アルバムに収録されており、ライブでも異常な盛り上がりを見せる曲であることから、これら天馬曲フリークも多くいる。ここで挙げた曲の半数が、元メンバーでありギター担当の瀬々信による作曲であり、(ある種のコンセプトアルバムであったこともあるが)前作「TOKYOPOP」にこういったロックなアーバンギャルドの尖った楽曲が収録されなかったことからも、個人的にはテクノポップセットを中心に活動形態を模索していた現体制のアーバンギャルドに漂っていた閉塞感を打ち破ってくれた一曲だと思っている。
曲名は、映画『時計じかけのオレンジ』における「アルトラバイオレンス(超暴力)」とクイズ番組をもじったものと思うが、メタル×クイズ番組という異色の組み合わせで、ハムレットの「生か死かそれが問題だ」をクイズの問題(クエスチョン)と重ねて作品にしている点には、アーバンギャルドの魅力が存分に発揮されていると思う。
また、司会者の「死神」とあり、ここでは「神様」が、リード曲『神ングアウト』とは異なる登場の仕方をしている。アルバム中盤で「死」のイメージを登場させ、さりげなく次に続く一曲へのブリッジの役割も果たしているように思う。
07.クラブ27
ジミヘンやカート・コバーンなど著名なミュージシャンの多くが、27歳で急死したことから、27歳という年齢に何かしらの意味が騒がれた「27クラブ」の考え方をテーマに、「生きるのなんて時代おくれ」と印象的なフレーズとどこか懐かしい雰囲気のあるメロディで死と生を描いた一曲。
2009年、アーバンギャルドとしての初ワンマンライブが代官山UNITで開催されたとき、松永天馬は27歳だった。アーバンギャルドの活動もデビューから13年が経ち、リスナーやファンの年齢層も自ずとバンドの活動年数とともにせり上がってきている。思春期にこのバンドと出会った、いわばアーバンギャルド直撃世代のファンは、この十数年を経た現在ちょうど27歳前後をむかえているともいえる。
通常「死」を意味する「他界」という言葉は、バンドやアイドルのファンの界隈ではライブやそのバンドの楽曲からの離脱の意味として使われる。「あの娘もこの娘も何処行った」とあるように、日夜ライブハウスでうたかたのパーティーを過ごしたファンも、この年月のなかでひょっとするともうアーバンギャルドのもとを離れているかもしれない。そんな人が、ふとアバンデミックを手に取り『クラブ27』を耳にしたとき、ひょっとすると「この歌がわたしを歌ってる」と思ったりするのだろうか?
『大人病』や『少女にしやがれ』とも通ずる、「アーバンギャルドとわたし」を歌った一曲なのかな、と個人的には感じた。
08.バンクシーの恋人
匿名ストリートアーティスト バンクシーに恋い焦がれるわたしを歌った一曲。イントロ・サビ・アウトロに鳴るホーン、BANGBANGのリズム、天馬ラップパートがとても心地よく、一曲を通してとにかくダサかっこカワイイ。
「秘密のままでいてね」と一方通行の願いをひたすら繰り返すわたしが、「想い人」ではなく「恋人」となっているところが面白い。そこには、知らない、見えない、わからないからこそ恋ができる、(=本当のいわゆる恋人には絶対になれないし、なりたくない)というアンビバレントな感情が描かれていると感じる。
また個人的には、「わたしの声なんてきっとバズらないから」などからは、SNSでの鬱屈した感情も微かに織り交ぜられているように思った。「わたしと(あなたは)他人ね」と冷静な一面ももちながら、「批評家たちの家に火をつけて回ってよ」とかなり物騒なことまで上気して要求する様には、どこか、SNS上で炎上している事象に対して匿名だからこそ何でも言えてしまうと錯覚するような異常さの匂いがした。考えすぎかな。
09.シガーキス
2020年4月に受動喫煙防止法の全面施行をうけて、ありとあらゆる飲食店や商業施設から喫煙所が撤去され、その適用範囲は月面にまで及んだ。先行サブスク配信の際に、公式からある過去曲のアンサーソングでもあることが匂わされたが、11年前当時、マカロンパーティが開かれていた月の裏では、うさぎもDJブースでチルな音楽をフロアに満たしている。(ここでも「映え」から「エモ」への変化を感じさせる。)
タバコ同士で火をつけ合う行為を指すシガーキスも、目と目を合わせることしかできない、ビルの上と月面のソーシャルディスタンスを飛び越えるものとして描かれているのかな。月面にはウイルスもいないから、うさぎフェスだって開催されるし、マスクを外して大きく深呼吸だってできる。暗いニュースは消して、朝焼け来るまでくちづけして、ってちょっとロマンティック過ぎるでしょう。最高。
10.白鍵と黒鍵のあいだで
アルバム「アバンデミック」のなかでひときわ異彩を放つ一曲。意識が向かうのは「色」に関する描写。ひとっこ一人いない無機質な世界と、そのなかにあるフルーツや野菜、バラ色のバラエティ番組セットとクロマキー合成のビビットな色彩の対比。そのなかで、僕の黄色い指先だけが白鍵と黒鍵のあいだで迷っている。描かれるのは、パンデミック後の世界なのか、「東京爆発、その後」(前作「TOKYOPOP」ラストの曲)の世界なのか。
製作期間中にあたる2020年5月に、アメリカで発生した白人警官による無抵抗な黒人への暴力、殺害の事件に端を発して「BLM運動(ブラック・ライブズ・マター)」が全世界的に社会運動として取り沙汰された。日本においても、SNS上でハッシュタグを使った運動化の動きがあり、一方で行き過ぎた運動の暴徒化などもあいまってカウンタームーブメントとして「オールライブズマター」運動も巻き起こるなど、多くの人が人種の違いをきっかけに、認めること、尊重することの困難さについて触れる期間でもあったといえる。
「白鍵と黒鍵のあいだで」では、ジャズやシティポップス、ヒップホップの対比も見られる。上記のような運動と尊重することに対する複雑な思いが「ほんとにこれが愛か」と表現されているように思う。
11.ダークライド
混沌とした今の世の中みたいな、はっきりしないノイズにまみれた冒頭から飛び出して、ライドに乗った「僕」が語りかける疾走感ある一曲。ダークライドは、テーマパークのアトラクションが真っ暗なトンネルのなかを抜ける様子を指すイメージだろうか。自ずと今の自粛期間や、バンドにとってもファンにとっても苦しい時期が連想される。ウェイティングは5分待ちのつもりで並んだのに、なかなか列が進まなくって、その間にライブもたくさん無くなった。1年近く経ってようやく「アバンデミック」がリリースされて、ようやくライドに乗れたのが今、なのかな、と思う。
聖書を売ってまわる詐欺師の主人公が、ひょんなことから預かることになった少女を、叔母のもとに送り届けるまでの、車1台の二人旅を描いたモノクロ映画「ペーパームーン」がある。アーバンギャルドが売る嘘と、少女の同行には、この暗いトンネルのなか、バンドとファンが同じライドに乗っている連想もあったかもしれない。
あくまで車ではなくて、自分でハンドルも切れなければ、アクセルもブレーキもない「ライド」というのが、大きな流れに振り落とされないようにしがみつく今の状況と重なる。それでも、「世界はでっかい遊園地なんだろ」と、この状況を楽しんで「見たい夢を見るんだろ」と印象的なフレーズが続く。
近くにいないようでも、隣のシートに座って同じ方向に進んでるから、このライドが何処へ行ったって生きてたら、きっとまたトンネル抜けて会えるよ、ということを、シンプルに伝えてくれている一曲だ。
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