普遍で不変な、百年少女
時代が変わることは大人になることに似ている。
十八歳になって明日から成人だよ、なんて言われても、いきなり羽根や角が生えてきたりはしないし、変わるのは周りだけ。平成の私も、令和の私も中身は同じ、変わらないのは私だけ。いつだって少女のままだ。
アーバンギャルドが新曲『昭和百年少女』をリリースした。YouTubeに公開されたミュージックビデオでは、振袖、モガ、ミニスカート、ギャルと、昭和初期から現代に至るまで、あらゆる時代の象徴的なファッションを纏った少女たちが居合わせる。その違和の隙間を、セーラーの少女とアーバンギャルドメンバーが埋めるかたちで、過去とも今ともつかぬ世界が流れている。
歌い出しのサビから、「流行り病 マジやばい」という言葉が、想像を掻き立てる。
現代を生きる我々からすれば、流行り病といえば2020年から始まったコロナウイルスの感染拡大だが、そのおよそ百年前には、世界中でスペイン風邪が流行し、日本でも40万人を越える死者が出た。
時代を創りにちょっとやってきたのが、そんな受難の時代に生まれ育った昭和少女なのか、あるいは令和の少女がそんな遠く歴史へタイムスリップしているのか、その両方か。
地続きの過去と今の融合、通底する普遍の少女。
楽曲『昭和百年少女』に流れるテーマを感じる。
では、その少女はどこにいるのか?
この曲を聴いてもうひとつ印象に残る一節があった。
人生100年時代とは言うものの、百年という年月を生き永らえることはまだまだ容易いことではない。
ましてやバンドはどうか。活動期間が20年、30年を越えればベテランといわれるかもしれないが、そのうえで第一線で活躍しているといえるアーティストは数えるくらいのものだろう。
流行り廃りの激しい、そんな時代においては、作品もすぐさま過去のものへと成り下がり、終わったコンテンツの檻に閉じ込められていく。
百年前から、ずっと熱狂し続けられているような作品などないだろう。今流行りのどんな楽曲だって百年経ったらレコード店を彷徨う幽霊になっている。
ひとつ、命尽きたって黄泉返る手段があるとすれば、それは、あなた(わたし)を歌うことではないか。
アーバンギャルドというバンド、作品が、つむぐ言葉が、杭のように「わたし」の簡単には抜けないどこか奥底に深く突き刺さる。
刺さった瞬間、異物だったそれは、抜かれることのないままいずれ癒着し、いつしか「わたし」の血肉となっていく。
百年もあれば、その間いろいろなことが起こるだろう。パンデミックもあった、戦争もあるかもしれない。もっと個人的なところで地獄のような時代が待ち受けるかもしれない。
でも、奥底に刺さり、いつしか「わたし」となった杭は、きっとどんな戦禍も耐え抜いて、時にはそれが最後の支えとなって、気づけばひとつの歴史となっているかもしれない。
私が生き抜く限り、「わたし」を歌ったアーバンギャルドはいつだって黄泉返ることができる。
なんてことを思いながら、『昭和百年少女』を何度も聴き直す。
時代が変わることは大人になることに似ている。
時代が変わったって、そんな簡単には、私は変わらない。
いつか生かされた私が、今度はアーバンギャルドをこの先、百年生かせるのかな。
時代を越えても、大人になっても、変われないくらいひとつになったなら、
それならいっそ歴史になって、時代を創りに行くんだ、ちょっと。