自己対話のためのアウトプット

 うーっす。うすと申します。

 突然ですが「何が欲しい?」や「どうしたい?」と聞かれた時、答えることが恥ずかしい方はいらっしゃいますか?素直に回答したことで「こいつ主張強いなーって思われるのかな・・・」などということを怖れていたりしませんか?
 当てはまるな~って思った人は、まず相手がどう思っているのかを考えてしまう癖がついているため、自分の思いを伝えることが苦手になってしまいがちなんですよね(他人の気持ちを優先する人あるある)。

(「どうしたい?」関連の余談)
 就職活動の面接で、面接官に「うすさんは今、願いが1つ叶うなら何を望みますか?」と聞かれて「はいっ!○○(受けてる会社)の内定が欲しいです!!!!(クソデカボイス)」と即答したら不採用にされたことがあります。
(余談終わり)

 「いい人だと思うんだけど、何を考えているのかわからない」と言われる方は、周りの方々から要求が少ないと感じられているのかもしれません(うす調べ)。
 一昔前は謙虚な姿勢が評価される時代でしたが、今はそれが無欲という言葉に言い換えられる場合もあり、それが必ずしもポジティブな意味を持つわけではないなと感じています。自分の要求を声に出すことは決して恥ずかしいことでも、欲深さを表すものでもありません。

 要求という自己発信があるからこそ相手とのコミュニケーションが生まれます。「自分はこう思ってる」「自分はこうしたい」という考えを周りと共有することで、新たな気づきを見出すこともできます。だからと言ってただただ自分の思うことを一方的に要求すればいいというものでもないです。こんな言葉で片付けるのはよくないと思うのですが、周りと自分の要求をうまく塩梅して着地することが理想です。現実、それがバチっと決まることは滅多にないですが、各々がその意識を持つことが相手にも自分にも優しい世界につながるものだと信じています。

 じゃあ自己発信が苦手な人はどうやればそれができるようになるんだって話になりますよね。自己発信が苦手な人は、SNSで自分のことを発信するためだけのアカウントを作成して自分の思いを表現する練習をすると対面のコミュニケーションにも活きてくると何かで見ました。発信の練習をすることで自分の心の中が整理され、「自分は何が欲しいんだろう?」「何に関心があるんだろう?」といった自己分析にも効果があるようです。

 自己啓発本にあるようなことをつらつらと書いてきましたが、要は文章を書き起こすというアウトプット通じて発信力を磨きつつ自己理解を進めることが、人間として深みを得るためのヒントなのではないかと思ったのです。最も身近な存在である自分を知ることが出来なければ、人生において関わっりを持つ人たちのことを知ることなんでできない。まず僕は僕自身をもっと知る必要があるという思いが、自身の浅はかな考えが露になることを恥じつつもnoteを登録し、このような文章を綴ってみた理由でもあります。

 この記事を書きつつ自分と対話してみた結果、以前から痩せたいという意識を持っているけれども体が応答してくれないことに気づきました。どこかで体と相談の場を設けて脂肪を落としていく方向で調整していきたいものです。

 ではでは。

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