脱・輪廻 2
次に
では私たち人間は何故生まれてきたか。
どうして地球に生を受けたか。
ここをザクッと簡単に。
一言でいうと「経験」をしに。
私たちは地球に「経験」しに来た。
以上。
はい、それだけ。
誰一人例外なく。
これが、2つ目の柱。
「経験」には良いも悪いもない。
地球ならでは、ここでしかできない
3次元の肉体を使って、感じて、動かして、体験する。
これをしに来た。
ご丁寧に自分の装備(能力や足りないところ)、
ストーリーまでオーダーメイドしてね。
「この地球は遊園地」と例えた人がいた。
うまい!と膝を打った。
遊園地にはジェットコースターのようなスリリングなアトラクションもあるし
謎解きラビリンスも、お化け屋敷も。
景色を楽しむほっこりした乗り物もあれば、
水をかぶってずぶ濡れになるようなものもあるでしょう。
人は、それをしにワザワザ遊園地に行くでしょ。
後に残るのは経験でしょ??
これは地球上での人生にとても似ていて
各アトラクションはそれぞれの生まれる時の人生の設定。
まぁ、早い話「好み」で決まる。笑
で、これに1つ目の柱の
「全ては、完璧からできている」を重ねると
完璧からできている絶対安心の世界を
心ゆくまで「経験」して楽しんどるのよ、今。
以上。
となるわけです。
アトラクションを経験しに来てるだけなので、
終わったら「ああ、楽しかったーー」でオッケー。
そもそも宇宙は完璧!の部分が抜けていると
「○○を救わねばっ」「危機的状況だ」とかの、
変な正義感や使命感、起こることに対しての絶望や恐怖に縛られることになるし、
(このストーリー設定して満喫したいんやったら、ええねんけど)
ただ地球を「経験」しに来た、という部分が抜けると
前世カルマやら業やら、この世的な定義に基づいた不安感や感情に振り回されっぱなしになる。
こちらも起こる事象に対しての絶望や恐れにもどっぷりだ。
自分の創造力を満喫できない。
(ここもこれをお腹いっぱいしたかったら、ええねんけど。)
言葉にしたら単純だけど
これに気づくか気づかないかは、えらい違いで
気づいてると、輪廻の輪から抜ける。
だって、迷わへんもん。
引きづるカルマなんてないし、ゲーム終わったらさっさと還るさ。
遊びやもん。
完璧の場で、「経験」をしてるだけやもん。
気づかないままだど、同じところをぐるぐる
転生の流転をし続けるんじゃないかなぁ。
完全に迷ってますやん。
そりゃ、仏教で「輪廻は苦である」言うわな。笑
次へ続く