都市空間生態学から見る、街づくりのこれから vol.1
文:木内俊克
2019年までの5年間、いわゆる街づくりをテーマとした、NTT都市開発・東京大学Design Think Tank(DTT)・新建築社による共同研究「都市空間生態学」を担当していた私は、実に多くの方々とお会いしては、まちについてお話する幸運に恵まれた。それで分かったことがひとつある。元々、街づくりに答えなんてないのだ。
研究の根底には、人や物事が互いに影響し合って成り立っている相互依存的なネットワークとしてまちを捉えてみよう、その仕組みを捉えてまちを活性化する方法を見つけよう、という目的があった。それを探るべく、現場に入り込んで展開できるエリアに絞って東京を主な対象にし、特に台東区の三筋・小島・鳥越界隈と、豊島区の東池袋界隈にはそれぞれ2年ずつ現地調査やヒアリングを行い、台東区で3回、豊島区で2回の社会実験[*1]をさせていただいた。
ただ、まちに住み、あるいは働いている直接の利害関係者でもない私たち共同研究のチームメンバーは、まちの方々に話を聞いてもらえるようになるまで時間がかかった。なぜか。
我々は分かっていなかったのだ。まちにはまちのことを考えて活動している人は基本的にいなくて、皆さんがそれぞれにしたいことや、そのために必要なことに取り組んでいる。まちは誰がそうしたということもなく、皆さんの各自の取り組みが積み重なってきた結果でしかない。だからまちの方々に「これからまちをどうしていきたいですか?」という方向の質問をしてしまうと、なんとか答えてくれたとして「いやぁ、まちをどうこうってこともないのですけど……」と実感の伴わないどこかで聞いたような話になってしまう。何より、したいことがあってまちにいる人からすると、「研究しているのはいいけど、そもそもあなたは何がしたくてここにいるの?」という話になる。何がしたいかを意識できて初めて実感のこもった会話になるし、逆に何がしたいかさえ明確であれば対話は展開していく。それを身をもって実感した。
つまり、街づくりとは、まちの中で自分なりの目的を持つこと、そのために必要なことであれば、どんなことでもある程度は飲み込んでやりきる覚悟を持つこと、そしてそのスタンスを周りの人にしっかりと伝え、協力を仰ぎ、またできる限り周りへの協力も惜しまないことだと言えるだろう。だからひとつの答えを求めるようなものではないし、この原理自体は、生活者であっても、設計者であっても、デべロッパーに勤めている方であっても、役所に勤務している方でも、等しく言えることだと思う。
そのあたりの勘所をつかんでからは、徐々にまちの中で自分なりの居場所を広げられたように思う。まちで皆さんと話すときは、自分は研究者であり、自分独自の視点で集めているデータを皆さんからいただき、それをまとめて成果として提示し、次の研究を続けていく糧とすることが目的です、けれど研究成果は皆さんにとってもいくばくかは役立つものになりますし、報告します、だから協力して下さい、ということをしっかり伝えるのを常としてきた。
そうして協力者が増えれば増えるだけ、それぞれが同じテーブルに持ち込んでくる「まちでしたいことのあれこれ」は多種多様になる。そして順序や規模に関わりなく、共感し合える人たちが、共感の度合いに応じて互いに協力できることを順次実行に移していく。そうしたせめぎあいの中で成り立っているのが街づくりの現場だろうと思う。
日本における街づくり[*2]という概念は70年以上の歴史がある。渡辺俊一が「「まちづくり定義」の論理構造」(日本都市計画学会『都市計画論文集』、2011年46巻3号)[*3]で分析しているとおり、その初出は秀島乾による1947年にさかのぼり、その後、西山夘三、佐藤滋はじめ、実に多くの専門家により繰り返し議論されてきた。2004年に設立されたまちづくり交付金制度(現・都市再生整備計画事業)[*4]以降では、市町村主導による補助金を前提にした公共投資のイメージも強くなった。しかし、そうした官主導の街づくりとは一線を画し、馬場正尊さんが2016年に出版された『エリアリノベーション』(学芸出版社、2016年)[*5]で、明確に個人を主体とした小さなアクションの連鎖によりまちをかたちづくっていく方法を打ち出したことは、やはり意義深かった。
馬場正尊さんといえば、元々早稲田大学にあった石山修武研究室のご出身で、この石山修武研究室は80年代から松崎や気仙沼、唐桑で、住民が主役になる、心意気に満ちた街づくりの実践をしてきた研究室だ。そして実は私も石山さんのところで半年間、今でいうインターンのような立場でお世話になったのだが、当時石山さんが発表された『開放系技術論』(『石山修武 考える、動く、建築が変わる』(TOTO出版、1999年)、「開放系技術について」『10+1』No.42(INAX出版、2006年)[*6]ほか)には、2022年現在になってよりその意義が高まっていると思われる提言が詰まっている。その内容はこうだ。いま建設技術はブラックボックス化し、仕組みも分からずに購入した商品を受け入れるだけのものが建築になってしまったが、少し技術を身につけて、アマチュアでもいろんな工事に手を出せる「多能工」になれば、誰でも市場から自由になれるし、下手でも自分でほしい環境がつくれる。それはどんな高級なデザイナーのブランド品に囲まれるよりも楽しいし、経済的にも理にかなっている、と。
この石山さんの「多能工」の提言は、街づくりにあてはめてみると、考えるべき重みのあるものだと切に思う。まちで何かしたいことは人や立場によって様々だし、そのために立ち回らなければいけないことも多岐にわたる。街づくりの分野には既に豊かな積み重ねがあり、勉強すればこれだと思うものは大抵選び取れる。試しては修正を繰り返していける。ただそれでもピンとこなければ、そこが「多能工」の実践のしどころで、そもそもなんで今の仕組みやルールがそうなっているのかを紐解いて、下手でも初めてでも、自分に最適なやり方を考えて試してみればいい、ということになる。いま一度強調したいのは、そうしたアプローチ自体は、生活者、設計者、デべロッパー勤務の方、役所に勤務している方、私のような研究者という立場にかかわらずできる、という点だ。みんなが街づくりの「多能工」を目指せるはずだし、それで血を通わせられる「各々がやりたいこと」はたくさんあるはずだ。
連載では「都市空間生態学から見る、街づくりのこれから」と題して、共同研究で実施した社会実験がどんな実験だったのか、なぜ台東区や豊島区だったのか、関係して行ったヒアリングや調査はどうか、それらのデータを取りまとめて得られた分析結果は、というところを紹介していく。ただし、めまぐるしく社会状況が変化し続けている今だからこそ、研究報告の先に様々な街づくりや都市、建築分野の事例——直近では、ヴェネチア建築ビエンナーレ2021で紹介されたRaumlaborやフィリピン館、日本館の試みや、都市空間生態学でヒアリングしたロンドンやベルリンの開発事例を予定——を接続してみることで、少し先の未来について考えてみたい。研究で試みたあれこれについて、「そもそもそれってどうしてなんだっけ?」「今この2022年であればもっとこうできるかな」「こうしたいな」という部分まで立ち返って、等身大で考えていきたい。そう思えば途端にワクワクしてくるのである。期待されたい。
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イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)
デザイン
綱島卓也(山をおりる)