
亭主関白の父を持つわたしは、友だちのお父さんを見て号泣した。
私の父は、「 亭主関白 」という言葉を食べて育ったのかと思うくらい、もしくは、名刺に " 亭主関白代表取締役 " の肩書きを書き込んであげたいと思うくらい、ザ・亭主関白な人間だった。
私の中の「 亭主関白 」という概念は イコール 父 になっているので、父の姿こそが亭主関白だ!という認識で、これまで生きてきた。
でも、はて。亭主関白とはどういう男性のことを言うのか。私の認識は正しいのか。不安に思ったので、辞書で調べてみることにした。
ていしゅかんぱく【亭主関白】
夫(亭主)が一家あるいは夫婦間の支配者として絶大な権力をもち、君臨していること。
読んで安心した。間違いなく、私の父は亭主関白だった。確かに、彼は一家の支配者として絶大な権力を持って、そこに君臨していた。私の亭主関白の概念は間違ってなかったみたいだ。良かった。
亭主関白の認識が正しかったことが分かったところで、安心して、父の亭主関白エピソードをいくつか話そうと思う。
◆ その1 家事をしない
まず、父は とにかく何もしなかった。
ニートということではない。むしろバリバリに仕事はしていて、食肉卸、食肉加工の会社を経営していた。つまり簡単に言うと、社長だった。
父はほとんど家にいて、大きなソファに座って新聞を読んでいるか、寝ているか、電話のスピーカーから時報を流して、趣味で集めている100本近くの腕時計の時刻合わせをしているか、のいずれかで、基本的に寝ていることが多かった。
あまりにも家にいるから、小学校4年生くらいまで父は無職だと思っていた。実際、「パパって何で働かないの?」と聞いたこともあった。
これだけ家にいたのに、私は、
父が家事をしている姿を1度も見たことがない。
掃除をすることもなければ洗濯物を畳むこともない。食事を作ることもなければ、たまに洗い物をすることもない。ごみ捨てをしたこともなければ、仕事帰りにトイレットペーパーを買ってくる、とかいう気の利いたこともした事がない。
家事は100% 完全に、母が1人で、やっていた。
そんな母の姿を見て育った私は、
「 家事は女がやるのが当たり前。
男が家事を手伝うなんて、以ての外。」
という現代社会には全くそぐわない思考がインプットされていた。もうこれはほとんど呪いだった。
◆ その2 靴下は履かせてもらう
父は、家事をやらないだけではなく、
靴下も自分で履かなかった。
たまにスーツを来て仕事へ行く時は、母がスーツを用意し、母が綺麗にアイロンをかけておいたシャツを父に着せ、母がボタンを留めてあげる。
何故かズボンは父が自分で履いてベルトも自分で締めていたが、当たり前のようにネクタイは母が締めていた。
そして最後、靴下を履く段になると、父はソファに、どかっ、と座った。
それと同時に母は床に膝をついて座り、父に靴下を履かせた。靴下を、履かせた。
まるで母親が、まだ小さい自分の子どもに履かせてやるように。
子どもながらにその姿は衝撃的だったし、「子どもの私でも自分で履いてるのに、パパはどうして自分で履かないんだろう?」と思っていた。
しかし何度も何度もその光景を見ているうちに、
「こんなにも簡単な事さえ、人にやって貰えるようになる父って、相当、凄いのでは。」
「それをサポートしてあげている母って、とんでもなく偉いのでは。
と、また360度どこからどう見ても間違えている思考をインプットされた。
◆ その3 父の許可がなければ、いただきますをしてはいけない
日曜日の、お昼。
父は、大きな父専用のソファに座って、新聞を読んでいる。
母は台所で料理を作り、私と姉と弟は、出来立ての料理をテーブルまで運び、配膳をする。
熱々のグラタンやスパゲッティ、スープが食卓に並び、母と姉と弟と私は、席に着く。
チラッと父に視線をやるが、父は新聞を読んだまま動かない。
姉と弟が私に視線をやり、顎で「行ってこい」と合図をする。
私は恐る恐る父の側へ行き、父に「 ご飯できたよ。」と話しかける。
父は新聞に目を通したまま 「ん。」と答えるが、動かない。
そのまま少しの沈黙を過ごし、あまりにも動く気配が微塵も感じられない父に対して、私は再度声をかける。
「先にご飯食べてても、いい?」
父は、なんと、無視をする。
挫折した私は、母と兄弟達が座っている食卓テーブルへ戻り、期待に応えられなかった申し訳なさで小さくなりながら、黙って席に着く。
誰もいただきますをせず、どんどん冷めていく、出来立てだった筈の母の料理を、ただただ黙って見つめていた。
長い時で、1時間以上、そのままだったこともある。
思春期真っ只中だった私たち兄弟が、誰一人としてブチ切れもせず、あの時間をただ黙って耐えていたことに、今思い返すと感動すらしてしまう。でも、ブチ切れることも出来ないほど、父の存在は私たちにとって絶対だった。
待ちくたびれて空腹も限界に近付いた頃、ようやく父が新聞を閉じた。
父はゆっくりと移動して席に着く。待ってましたとばかりに座り直し、姿勢を正す兄弟と私。
さぁ、いただきますをしよう!というその瞬間、父が発したひとこと。
「 今日のメニュー、これか。気分じゃないな。」
食卓が凍りつく。
母は そんな父に対して怒ることも責めることもせず
「魚ならあるけど、焼こうか?」とどこまでも尽くす。
父が頷くと母はすぐに台所へ行って魚を焼き始める。
父は自分の魚を焼いてくれている母のことは待つこともせず、「 さ、先に食べてよう 」と言い、いただきますをする。
父が料理に手を付けたのを確認して、子どもの私達もようやくいただきますをして、食べ始める。
これが、私の、亭主関白の父親です。
もう一つの亭主関白エピソード 「沖縄にハマった父と、運動会を諦めさせられたわたし」という話も書こうと思っていたのだけど、ここまでで十分、父の亭主関白さは伝わったと思うので、その話はまたの機会にしたい。
さて、ここからが本題だ。
◆ 亭主関白の父を持つわたしは、友だちのお父さんを見て号泣した
絶対的亭主関白の父と、その父に完全に支配されていた母の姿を見て育った私は、前述した通り、現代社会においてはもはや化石レベルと言えるほど古風な、間違った思考をインプットして生きてきた。
大学3年生の頃。
大学で仲良くなった、今では親友と呼ぶのも気恥ずかしいような、もはや家族と呼んだほうがしっくりくるような、そんな友人の家へ、よく遊びに行っていた。
ひどい時は、週7で泊まりに行っていたこともあった。
何度も泊まりに行っているものだから、その友人のお母さんは私が家にお邪魔するたびに「こんにちは」でも「いらっしゃい」でもなく、当然のように 「あ、おかえりー」と言ってくれるようになっていた。
一方、友人のお父さんとは顔を合わせる機会も少なくて、たまに会っても「あ、どうも」と軽く会釈をしてくれるくらいだった。
ある日の日曜日。
この日も友人の家で目を覚まして、朝食を食べようとリビングへ向かった。
友人のお母さんは土日祝日関係のない仕事をしているので、その日も朝から出勤する準備をしていた。
友人と朝食を食べていると、お父さんが起きて来た。
お父さんは会社がお休みのようで、ゆるっとしたスウェットを着ている。起きて来たかと思うと、お父さんはそのままお風呂場へ向かった。朝風呂に入るのね。と思ったけど、どうやらそうではなくて、しばらくすると
シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お風呂掃除をしている音がする。
私は明らかに動揺していて、
「 え、お父さん、お風呂掃除してるの?
休みの日なのに、朝起きてすぐ、
ひとりで、お風呂掃除をしてるの? 」
と、これは異常事態だと言わんばかりに友人に尋ねた。
友人は
「 お風呂掃除はお父さんの仕事だから。
毎週日曜日は起きてきたら必ず掃除してるよ 」
と当たり前の顔をして、言う。
私は " 男の人がお風呂掃除をしている "
という到底受け入れられない現実と、
それを当たり前のことのように話す友人を
目の当たりにして、混乱した。
少しして、お風呂掃除を終えたお父さんがお風呂場から出てくる。足をタオルで拭くと、そのタオルを洗濯機に入れて、洗濯カゴに入っていた洗濯物も一緒に入れて、洗剤を入れ、洗濯機を回した。
男の人が洗濯機を自分で回してる…!!?!
またも衝撃。動揺が隠せない私。
その様子を面白がって、けたけた笑っている友人。
洗濯機を回し終えたお父さんは、そのまま2階へ上がっていく。
お父さんは、またすぐにリビングへ降りてくる。
手には、2階で干してあったのであろう、たくさんの洗濯物が抱えられている。
まさか、と思った。
その、まさか、だった。
お父さんは床に座って、洗濯物を畳み始めた。
自分の分だけではなく、家族みんなの洗濯物を、
年頃の娘の下着まで、何食わぬ顔で畳んでいる。
その姿を見て、気付いたら私は号泣していた。
お父さんが!
一家の大黒柱が!
お風呂掃除をして!
洗濯機を回して!
洗濯物を取り込んで!
洗濯物を畳んでる!
ひとりで!
人生で見たことのないこの景色に、全く頭がついていかなくて、この衝撃が上手く処理できなくて、どうしようもできなくなった私は、号泣した。
友人は、泣いている私を見て、「なんで泣いてんの」と言って、またけたけたと笑っている。
私は友人に、自分の父の亭主関白エピソードを語った。
父が全く家事をしないこと。
その父の姿が、当たり前だと思っていたこと。
その父の姿が、格好良い父親の理想像だとさえ思っていたこと。
それが、間違っていたんだと気付いたこと。
今、友人のお父さんの姿を見て、感動したこと。
お風呂掃除をする、洗濯物をするお父さんが、
すごく素敵だと思ったこと。
号泣しながら話していたら、台所で換気扇を回して、出勤前の最後の煙草を吸いながらその会話を聞いていたお母さんが、けたけたと笑って
「 うちは共働きだから。休みの人が家事をやるのは当たり前だよ。なにも偉いことじゃないよ 」
と言った。
煙草を吸いながら、当たり前にそう言ってのけるお母さんが、格好良すぎて、痺れた。私はまた泣いた。
友人と友人のお母さんは、いつまでも号泣している私をみて、涙を流すくらいけたけたと笑っていた。
その横で、お父さんは、ひとりで黙々と洗濯物を畳み続けていた。