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不自由が一番自由だった。

最近、やることがないだのやりたいことがないだのとウダウダ言っていますどうも。

今月15日で1年勤めたバイト先を退職することにしました。
三年間のひきこもりから社会復帰が出来たことはとても良かったですし、なんだかんだ仕事を任されることもあったのでそれなりに成長出来たのかなと。
それと今月末に初めて専門時代のクラスメイトと飲みに行くことになり、それならば今月はゆっくりしよう。

んで問題は「それまでの休日をどうするか」ということです。

タイトルにある通りなんですが、ひきこもってた3年間は金も無いしゲームも機材も無かったんですよ。
でもその3年間は割と楽しく過ごしてたような気もするんですね(メンタルは上下ありましたが)

今は社会復帰してバイトして、1人暮らし用に貯めていた貯金あり。
なんなら今月は普通に給料入るし、来月は有給分のお金も入ってくる。
お金には正直そこまで困っていない、なのにやることがない。

出来ることの幅は明らかに広がっているんです。
働き始めてからモニターやらマウス等のデバイスは充実したし、ゲームも買う余裕がある、娯楽は増えているのになんだか自由が無くなってるような気がして。

お金が無かった3年間は外を散歩したり、ゲームや創作してみたりと「いまあるもの」で楽しめていたのです。
お金がある今、「いまあるもの」で楽しむということをしなくなってしまったんです。お金を使って欲を満たすことに走ってしまい、やらずに積んでしまっているゲームがいくつあるのやら。

それこそ前から先延ばし癖はあったので、いつかやろうと言っていたギャルゲーも何年も放置したりはあったのですが3年間のうちに2本は終わらせられたんですよね。
今はやらずに買うだけ、これはなぜだろな…

今はお金がないからこれしかできない、っていうのは結構大事なのかもしれない。選択肢が狭くなるから行動も限られるし。
(そもそも3年間お金なかった人間がお金持ち始めたらそりゃ感覚狂うのは普通じゃね?)

やりたいことはなんだろな、好きなことはなんだろなと考えてるうちに時間は経っていて、いやはやどうしたもんかな。

こんなふうに文字にしてみると意外と冷静になるもんで、じゃあお金使うの減らそうとか1日1回は触ってないゲーム触るとか意地でも何か描く作るとか解決策は色々ありそうな予感。

何かしら縛られてるほうが動きやすいのかもしれない、矛盾みたいに聞こえるけどそういう人もいるんじゃないかな。
なにせ無職時代は結構きつかった、時間は無限にあるのに時間を無駄にしてるような感覚に陥ってずっと焦燥感と不安に駆られてた。

人間は選択肢が多いほど選択ができなくなる(ジャムの実験?)っていうのは割と正しいなぁと、いや単純に自分が先延ばしマンだからだろうけど…

題名関係なくなってきたけど文字にするっていう行為はやっぱり良い。
今日はこのへんでノシ


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