『「誰かのために生きろ」「何者にも成る必要はない」
そうやって嘯くのは いつだって何者かに成った者だ!!』
ピンと来た人はいるかなと、そうです呪術の烏鷺のセリフです。
これ結構好きなんですよね。
発端としては乙骨が烏鷺に対して「なんで自分なんかのために必死になるんですか」という生き方への問いに対してのアンサーが上記になります。
ネットでたまに見る「やりたくないなら仕事しなくていい」論だったり「お金は幸せに直結しない」だったり。
全て成した人間が結果として思ったことを我々は信じすぎているのではと思うのです。
仕事が好きな人もいれば嫌いな人もいるし、働きたくても働けない人もいれば働けるのに働かない人もいる、そんなもんでこの世界は回ってる。
てことは他人の言葉ってどこまで参考になるのか分からないんですよね。
最近やたらと某ゲームに入り浸っている私ですが、人との関わりが断たれるのが怖いんだなと思っていて。
世間の言う社会から外れた人間に成るのが嫌だ
だからせめてネットだけでも人間と関わっていたい
でも自分が怯えている顔の見えない人間は、きっと世間の普通を生きていて何かを成している。
でもそれが本当に世間のデフォなのかというとそうでもない
自分が思う世界が全てというのは普通であり稚拙だ。
でも自分の中の正しさを貫けるというのはとても大切なことだ
正しさであり間違いであることを常に抱えて生きているのは人間の素晴らしさであり難しいところ
生きていくうえで何かになる必要はない。
そんな風に自分の信念を貫ければどんなに楽だろうか。