推し活とは
岡田斗司夫さんが「推し活」について語っている切り抜き動画を見ました。
私は普段から岡田さんの切り抜き動画は楽しんで見ているし、今回も特に異論・反論あるわけではないですが、ちょっと自分の「推し活」について弁明しなければいけないかな・・・と思いnoteをしたためることにしました。
他人からどう見られているか
この動画を見てはっとさせられたのは、推し活を他人がどう見ているかについてです。動画のコメント欄もざっと見てみましたが、やはりそのように見られているのだな・・・と。
私が推しに対してどういう感情を抱いているかなんて、他人は知る由もないのです。そして推し活なんて本当に人それぞれ。にわか的にちょっと好き程度でも「私の推しが~」と語る人もいると思いますし、逆にリアコと言われる、本気で恋しちゃうような人もいるでしょう。
推しに対する火加減はそれぞれですが、他人から見たらぜんぶ一緒。よくわからない、気持ち悪い、搾取されてて馬鹿らしい、etc。
そこで、私の場合はこういう想いで推しを推しているよと、弁明しておきたいと思います。(誰に向けて?)
私の思い
私の推しはnoteに以前も書きましたし、X(旧:Twitter)でも日々垂れ流している通り、MELOGAPPAというYouTuberです。特にさくまさんという眼鏡の人に強い思いを寄せております。
彼の歌唱力、歌声、歌っているときの表情や身のこなし、作詞作曲のセンスなどに惹かれています。そして歌っていないときはちょっと抜けていたり、可愛かったりするのもまた魅力的です。
しかし、私が好きなそれらはすべて彼の演技であり、素の彼のことはよく知らないし多分知っても好きにはならないでしょう。ファンクラブの配信などでは素が垣間見えることもありますが、そこから想像するに、多分、私の好きじゃないタイプです。(性格ならもりくんのほうが好きかも。こちらも想像の範囲ですが)
彼のキャラクター、彼が演じる彼という作品、そこに惚れているのです。映画や小説の中の登場人物に惚れている感じに近いのかもしれません。男性としての魅力は感じますが、そこに恋愛感情は1ミリもないのです。
作品と、それを作る人の思想信条は無関係だと思っていて、私は故・坂本龍一さんの作品が大好きなのですが、彼の左翼的な思想は保守的な私とは相いれません。それでも「左巻きの人が作る曲だから聴きたくない」とはなりません。作品は作品なのです。
というわけで、私にとって推しは生身の人間ではなくひとつのキャラクター作品なのです。
搾取されているのか?
グッズを買ったりスパチャを投げたりといった行為は、他人から見れば「搾取されている」ように見えるでしょう。しかし当事者として言わせてもらえばこれは搾取ではなく、立派な商売です!!
推しはなにもボランティアで活動しているわけではありません。活動するには資金が必要です。メンバー自身の生活費も稼がなければいけないし、スタジオ代や機材代、スタッフの人件費などなど・・・。当たり前ですが彼らはビジネスでYouTuber活動をしています。
推しにお金を払っているファンは、そのビジネスの顧客なわけです。個人が個人に貢いでいるのではありません。
お金を払う理由は人ぞれぞれだと思いますが、私の場合は「今後もずっと活動を続けてほしい」からです。これからもクオリティの高い作品を作り続けてほしい。
資金が足りなくなれば動画も作れませんし、ツアーもできない。反対に「これは稼げる」となればそれだけで、続ける理由になると思います。
そんなわけで、無理のない範囲で、推しにお金が届く形で、これからも応援していきたいと思っています。
でもまあ他人から見たら搾取に見えるよね。
おまけ
推し活なんて新しい言葉だけど、従来からあったファン活動やオタク活動と一緒じゃないの?といった感じのコメントが、冒頭に紹介した動画のコメント欄にありました。
それを見てふと思ったのが、推している人、アーティスト、アイドル、その対象そのものを指していうときに、簡潔に一言で「推し」と表せるのはとても便利なものだなと。
「推し」という言葉がなければ、「好きなアーティスト」「好きなアイドル」「好きなYouTuber」などと言うしかないですよね?それまでファンやオタクたちはなんて呼んでいたんだろう?直接名前を言うしかない?名前を言いたくない場面だってあるじゃないですか・・・エゴサ除けとか・・・。あるいは、名前を呼んではいけないあの人的な・・・。好きすぎて名前を呼ぶのも恐れ多い的な・・・。そういった理由でできた便利な単語でもあったりするのかな「推し」って。知らんけど。