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テーマそのものも「こうあるべき」を超えた枠外にある
「スキャンダルなラース・フォン・トリアー監督の新作『The House That Jack Built』でマット・ディロン、ユマ・サーマンがありえないポーズのポスターに!」という事で、
ねじれ、いびつ、境界、欲求、存在の不安定さ、自己の溶解の様なものを感じさせるポスターが公開されていた。
ラース・フォン・トリアー監督といえば『ニンフォマニアック』2作を観て、どうしようもない悲しさと人間の弱さへの愛しさを感じた。
確かな愛を求めるているのに、人間の感情が永遠ではなく完璧ではないことを感じているがあまり、壊れていく心の儚さ。大切なものをもつと失うことが怖いから、確固たる愛が見えそうになると逃げてしまう切なさ。それによって傷つく人の痛みが自分への憎しみとなって返って来て、やっと自分の中にうっすらとずっと潜んでいる愛に目を向けようと思えた時に訪れる、「自業自得」な結末と自分の自我殺し。
なんて痛々しいのだろうと思う。テーマはニンフォマニアック(色情狂)なのに。
今回の作品も連続殺人というテーマで、センセーショナルであることは変わらず、賛否両論あると思う。
この監督が抱える自意識・愛情・外的世界・受容・欲求といったものの不安定さを表現するには、世間体や受け入れられるかどうかなんてことを考えていては幅が足りないのだろう。
好きなテーマではないが、テーマそのものも「こうあるべき」を超えた枠外にあると思えばいいのかもしれない。観に行きたいと思う。
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