mixiより、真面目な話

5年以上ぶりにmixiにログインして昔の日記など見ていたら、なかなかにいいことを書いていたので転載します。自戒を込めて。

久々に日記を書いたと思ったらまた面白くも何ともない話。半分愚痴みたいなもん。ただし大まじめではある。
TPP参加交渉に出るの出ないのでまた政治家連中がすったもんだをやってて、相変わらず溜め息しか出ない。結論の善し悪し以前に意見の取り纏めさえできていないリーダーは小学校の学級委員にも劣るのではなかろうかと。
経済が一流とか言われてきた時代のやり方にいつまでもぶら下がってきたツケが来て、その頼みの綱の経済すら食いつぶそうとしてやがる。
いや、もっと昔、日本人のDNAに刻み込まれた百姓根性のなせる業なのだろうか。善良なる一般市民は上の人々のやることにゃ文句は垂れない、その前に自分の目の前のことを完璧にやってろ、と。その結果世界に誇る職人の技術と世界に恥ずべき黙認文化が残された。しかしもうそんな時代じゃなかろうよ!どちらかと言えば俺も無難に生きていきたい人間だ。吾唯足知、ベストでなくともベターならば不幸とは思わない。怒るよりも泣くよりも笑いながら生きていきたい、そのためには不満の種は忘れるに限る。そんなことより週末の飲み会や好きな音楽のことを考えてたほうが幸せなのは間違いないのだ。
しかしこの世の中そのものの在り方について諦めるのには俺は若すぎるようだ。少なくとも有権者の一人として、テレビの前で悪態をつくばかりしかやらぬのは怠慢だと思う。我等は民主主義国家の一員として、軽からぬ責任があることに気付かねばならぬ。
「どの政治家も信用ならぬ、そこに俺の責任はない」とは詭弁だろう。関心がないと切り捨てるのも結局「関心あるやつだけで勝手にやってろ、でもちゃんとやれ」という傲慢だ。社会がダメになるのを黙って見る前に自らの胸に問い掛けてもらいたい、できることを全てやったのかと。他人がやらないからといって自分もやらぬならば誰もやらぬは当然だ。無論ここで言うやるやらぬはもはや投票にいくだけでは満たされぬことは現状を見れば解ろう。
我々はただ救世主が現れるのを待ってはいないか?素晴らしいカリスマ性とリーダーシップを持って国民を奮い立たせ、全ての責任を負ってくれる者の登場を。失敗したら全ての責めを受けて切腹でもしてくれる、優秀な人間を。潜在的にそんな期待を抱いている多くの者は、かつて歴史上にそんな政治家が鈎十字を掲げてし名を残したことを気付いていないだろう。我々が産まれたのはいわゆるバブル景気の終焉を迎えた時期で、それ以来この国は浮き上がったという感覚はない。すなわち我々は産まれた時からずっと諦めてきたのだ。しかし実際その諦めは、団塊の世代を中心とした、浮き沈みを経験してきた上の世代の模倣ではないのか。何故なら我等は何かを諦めねばならぬほどチャレンジもしていないからだ。
子は親のやり方をまず真似る。親が諦めていれば子はそれが賢い姿勢だと認識し模倣する。増して政治だとか世の中のことは他よりも自分の意見を持つには時間がかかる。気が付けば有権者になるまでに諦め根性が染み付いている。恐らくテレビに向かって言う罵倒のひとつも駅前で演説する市議に投げかけやしないだろう。2ちゃんねるに「日本\(^O^)/オワタ」と書き込んでいるだけなど問題外である。簡単に言えば、自分の仕事を頑張ってこなす善良なる市民がいくらいても世の中は良くならない。選挙+αの行動に移さないといけない時がとっくの昔に来ている。何故なら我々は皆現状の延長には期待していないから。
さて、ギレン総帥の如く長々と扇動的な演説をしたが、ではその行動とは何ぞや。そこを考える所から行動は始まるが、どうしても安直で過激なほうに流れやすい。その典型がデモである。
デモは正当な権利として認められているし、行動の一つの方向性として決して間違いではない。しかし不満がある状態からいきなりデモに参加するには敷居が高すぎる。実際デモというのは一種の威圧行為であって、外の人間からは時に暴力的に映るものだ。日本では特にそうだろう。さらにデモを行う団体に所属し追従してしまうことは、結局また怠慢な思考停止の繰り返しなのだ。俺は飽くまで個人として自らの考えを反映させる行動をしてもらいたい。
「デモになんか参加したくないから、行動に移すことができない」と思ってしまったらそこでおしまいである。結果何も考えてない人と何も変わらない。私が行動の入門として奨めるのは議員へのメールである。賛成権を最大に活用すべく、地元選出の国会議員、知事、県議、市議に意見を投げ付けるのである。
今はほぼ全ての議員がホームページを持っていて、そこにはだいたいメールフォームがある(100%ではない)。議員によってテンプレートのメールが返ってきたり、ちゃんと目を通した内容のが来たり、何も返ってこなかったりする。この対応の差は、普段あまり目を向けることのない公共団体の議員の姿勢を見分けるのに大いに役立つ。選挙前になったら直接意見をぶつけてみるのもいい。駅前でマニフェストを配ってるときが狙い目だ。ただし俺の経験上たいてい事務所の人、よくて秘書が対応するだけだが。少なくとも自分が誰に投票したか覚えていない、なんてな事態は避けられそうだ。ちなみに手書きの手紙ならば返事率はほぼ100%になるらしい。
より強く訴えかけるためのアプローチとして署名がある。やはりいきなり街頭に立って声をかけるのはハードルが高いが、今はネット上での署名の募集も簡単にできる(有効性は保証できないが)。自分が集めるのでなくとも、休日の新宿駅付近で行われている全ての署名や募金活動の目的をじっくり把握してみたことはあるだろうか?話を聞いてみるだけでもいい。自分がどういう知識をもとに考えを持っているのかすら知らなかったことに気付かされる。幸いにして俺こと大学生はそれだけの暇があるのだ。
色々理屈をこねても、行動を起こすのにはエネルギーが必要だ。もしカロリーが足りないというのならすぐ何か食べたほうがよい。俺の文章でほんの少しでも気力が湧いたというなら、とりあえず地元選出の県議や市議をググって調べてほしい。見つけたらそいつのホームページをブックマークだ。もう少し気力があったら、何でもいい、テレビに言うような文句でも告げ口でもをメールで送ってみるといい(程度は自己判断で)。トピックは自由。TPP、ピスト、オリンパス、野田、オバマ、学校給食、アラちゃん…勿論お門違いな内容もあるだろう。しかし限りなくゼロに近かろうともゼロでなければまずはよしとしよう。
目茶苦茶長くなってしまった…
果たして何人が最後で読んでくれるのか解らないが、こうした意志表明も行動の一部と考えるとしよう。わかりにくい内容があれば指摘してください。

これを書いた当時は大学生で、今から見れば実家暮らしで三度の飯を用意してもらいながら何言ってんだかというきらいもないではないが、青臭くも理想を語るのも悪くないと思ってしまう。

また10年くらいしたらいいかんじに発酵するような文章を書いていきたい。

お寿司を食べます。