クローゼットの中に潜む道化、(わたし)、カーテンから差し込む光:嘘10割
ご無沙汰しております。〻ゞです。
ご無沙汰と言ってはおりますがnoteはちょくちょく開いておりまして、にじフェスの感想をじわじわと進めていたりします。
文章を書く(打つ)時間というのは自分の中でも結構価値があるもので、疎密があるにしろ人生から消したくはないなあと思ったりもしています。
私的な日記に残していないのは、このインターネッツに“自分”を残したいから、そしてやはり誰かの目に留まればいいなという下心が少なからずあるからですね。否定できないです。てへへ。
さて今日はジョー・力一1stミニアルバム「カーニバル・イヴ」の感想をしたためたいと思います。本人の解説にはまだ触れず、一旦自己解釈をまとめておこうという次第です。本当は昨日(※現在3月3日(日))のうちに書こうと思ってはいたのですが、精神が休息モードに入ってしまいまして。情けない限りです。
いつもは嘘を混ぜ込みながら書いているのですが、今回は自分の考えに嘘をつきたくないということで嘘0割で参ります。こんなん書き始めちゃえば進んでいくんですから。人生ってそういう風にできているので。
【2024/6/11 追記】
とか言ってたけど、そうとも言えなくなってきた。公式からのsomethingも諸々出てきたので、ここはひとつ嘘10割とさせていただきたい。ここに嘘はないけれど、決して真実ではないので。
※多分に筆者の解釈を含みます。国語の授業で行間を読むような、そんな感じです。苦手な方はごめんなさい。
01. レイテストショーマン
ショー直前の舞台裏、舞台衣装に袖を通していざ舞台に立つのみと息巻いた瞬間にフラッシュバックした過去の自分。翳りの無い希望を顔に灯してそちらを見やり、まあ見ていてくれやと踵を返す。MVが出た時にも思ったけれど、やはり自分の過去と向き合うのが上手すぎるぞこのピエロ。
「天才」と「前夜なんです」の間のスペースがニクい。これひとつで白米が食える。「天才前夜」で一つの言葉ではなく、あくまでも「天才」ではあると。
「天才になる前夜」なのか「天才であることが世間に知られる前夜」では雲泥の差がある。「自分が天才である」なんて過大評価だとどこかの神様はのたまうけれど、それで自己評価がブレちゃあお話にならない。どこかに過大評価だと評する人間はいるかもしれないけれど、それはそれとして天才であるという自意識はしかとこの身に宿っているのだと。
結局自分を縛っているモノなんて何もなくて、身を縛って肌を刺していたはずのイバラは、他でもない自分自身で生み出していたのだと今なら分かる。そんな所にはお別れを告げて、飛び出してしまおうぜ!綱渡りなんて前哨戦で、そこからが本番だぜと、過去の自分に発破をかける。
幸運を祈っているぜと、魔除けのおまじないだけはかけてあげるね、と。
なあほら刮目しろよ、今こそこの俺を、夢抱き、昏きを切り裂くこの姿を!そうして(the) latest showmanは部屋にひとり舞い踊る。
「嗚呼きっと誰も寝てはならぬ」。そう、俺すらも。我が身を翻し、傍目なんて一切気にせず、その躍動が止むことは無い。まずは自分のための、粗くささやかではあるものの、世界で一番素敵なショーを、俺は開いているのだ。夜なんて忘れて続いていくような。
視点はまた膝を抱える過去の自分へ。まあでもそんな簡単に変われたら苦労しないよな。生活は続いていくし、自分は自分であり続ける。ここから手を引いて連れ出してくれる誰かの存在を夢見てはみるけれど、そんな都合のいい誰かなんて出て来やしない。自己憐憫を甘ったるく浴びなおしながら、薄暗い部屋で今まで通りの生活を続けている。
いや、続けて”いた”。
薄暗い日常を抜け出して、自分を外界にさらしてみる。なぜその一歩を踏み出せたのか、何か大きなきっかけがあったのかどうかなんて分かりゃしない。ただ、あの日浴びたあの光が、あの熱が、体の中に残り続けていたのは間違いない。
そこではたと気づく。「誰かにとっての最高でいたいんだ」。これヤバくないか?いやマジでこれ言われちゃあおしまいっす。まばゆすぎる。解散解散。
それまでなんとなく求めていた「光」の意味が、これでハッキリしてしまった。そうすると、光を浴びる覚悟も自然と固まってゆく。
「さあこの身体に突き刺してごらん 那由多の感嘆符」
ヤバすぎる。オタクしぐさとして「!!!!!!!!!!!!!」を多用していたけれど、それをこんな形で表現されるとは。もう自分を縛っていた棘まみれのイバラなんて捨て去ってしまった。そんな自分を今から刺すのは人々の期待だと、興奮だと!
だから俺の方をを見てみろよ!という、世俗への宣戦布告にも聞こえてよい。やっぱ初期衝動ならこんくらいギラついてくんねえとさ!
あと「アブラカタブラ」と「那由多の感嘆符」で韻を踏むのが綺麗すぎて舌を巻いた。どっちが先なのか分からないほどに綺麗に収まっている。すごい。
「スレイヤー」は結構強い表現を使うなあと思った。文脈的にスラングの方の意味であるとは思うけれど、語彙のプールの中からこのワードを選んだ理由を結構深堀りしたい。何か絶対意図があって選んでいるはず。この🤡はそういう人間であるという信頼のようなものがある。
というかこの2サビ結構後ろ暗いわね。これも含めて初期のギラつきなのかな、と捉えてみる。あの部屋に閉じこもっている自分に少し後ろ髪を引かれているのかしら。「大丈夫安心してくれ、道化ではあるけど滑稽では無いから」と声をかけたい。そんな不安定さがまだ残っている。
なので、ここでの「The show must go on」は「このショーは続けていかなきゃいけないから」と受け取ってみたい。あの部屋に簡単に戻ってしまわないように、今は滑稽に感じていても、いつかその自分を心から認めることができる日が来るから。あの時浴びた光の先になれるはずだから。
(そうすると1サビは「このショーはまだまだ終わらないから」かな。目を閉じてちゃあ勿体ないぜ的な)
長めの間奏が気持ちを高めてくれる。「これからもショーはずうっとずっと続いていく 今もこれからも、俺はそこに立っているから(超意訳)」自分が自分としてある限り、ショーは終わらねえぜというなんて素敵な囁きか。
スポットライトに照らされた自分は、なりふり構わずすべてを揮うだけ。今すぐ喝采をくれなんてそんな贅沢なことは言わないから、なんなら喝采なんて忘れさせてやるくらい、今は俺だけを見ていてという恐ろしいくらいにアンバランスな強気を感じる。涙。
「天啓なんて無い からもう 絶望もしてあげない」
これはあまりにも良過ぎて、MV公開時にめ~ちゃめちゃしがんだ記憶がある。ではここで当時の新鮮な感動を取り出してみましょう。
もう誰かが手を引いてくれるのを待ちわびる日々なんてオサラバさ。俺はスポットライトをこの身に浴びて生きていくと決めたのさ。だからそれを見ていてくれよ。
ただ、そんな日々をまるきり切り捨てようってわけじゃない。そんな日々があったからこその自分なんだから。だからこそ表現できるものがあるのだから。
何が生きてくるかなんて自分にだって分からない。だから今でも大切にしているのかもね。「遅効性のジョーク」。
【まとめ】
「天啓を得て道化師になった」という文脈において、「もし天啓を与えたのが今の自分自身だったなら」という感じなのかなあと、自分の中で落ち着いた。
光を浴びる自分を見て一旦はジェラスな気分に浸ってしまうのも、そこから飛び出して自分の芯を再認識するのも、そんな過去の自分に対して魔除けの呪文を飛ばして発破をかける今の自分も、すべてひっくるめて自分自身だし、そんな自分はこれからもここに立ってショーを続けていくから見ていてくれよ、という本当にジョー・力一という男の名刺兼自己紹介的な曲だった。
うひ~すんごいわマジで、、、
02. ジョン・ドゥ・パレード
イントロがめっちゃ良い。分かりやすく「俺は迷い込んでしまったのだ」という気持ちになってしまう。というか、「俺は今から古びた洋館のような場所へと吸い込まれるように迷い込んでしまうのだろうな」という方が近いかも。
僕の実家だとクッキー缶は写真入れにしていて、だいたい箪笥の上におきっぱになっているので埃をかぶってしまっている。でもクッキー缶ってある程度の信頼とカンカン自体の装飾が可愛いからと残しているところが大きいと思う。それもあって、クッキー缶に仕舞ってしまったものに愛はあれど、愛を持って強固にフタをしてしまったがために忘れてしまったりする。なのでこの1節は原体験とも合致して、聴いていて少し嬉しかったりする。
そんなカンカンに閉じ込められた幸せな事象が呼んでるんですって。「夢が呼ぶ」という表現、非常に好き。レム睡眠をしているだけじゃ夢なんて見なくて、僕らは夢に呼ばれてそこに向かっているだけ。めっちゃ素敵。
夢の重力が軽い感じがBメロから伝わってくる。あと俺は3拍子に弱いので普通にハピハピになってしまった。るんたったるんたったと、軽やかな足取りで舞ってみたり。書いては無いけれど、「仮面舞踏会」というワードを連想しているからか誰かにリードされている感覚がある。
あとこの「素顔よりずっと自分に似た 仮面を幾重 重ね」という歌詞。
アルバムを通して、「本音だけが自分じゃなくて、それをひた隠そうとする自分も、良く見せようとする自分も、なんなら悪く見せようとする自分も、全部ひっくるめて『自分』ってことなんじゃないの?」っていうポイントがベースにあるように感じる。自分を出すというのは持っている仮面とその出し方も含めてさらけ出すことなんだと。仮面の下の素顔だけじゃねえんだぞって。そのレイヤードされた自己発現の価値を蔑ろにしていないかと言われている感じがして背筋が伸びる。いや、全然妄想なんですけど。
夢の私は私ではない。現実世界での様相なんてなんら関係ない、「名無しの権兵衛」である。夢なのだから、何も考えずに、ほら、こっちに来て踊ってよ!と呼ばれている。
(ジョン・ドゥに対応する日本語が名無しの権兵衛しかないのがもどかしいな、、、)
あと細かいけれど、「ビッ"ク"バンド」なのか。「ビッ"グ"バンド」ではなく。重箱の隅をつつくようで申し訳ないけれど気になってしまったので、念のため書き記しておく。普通に俺がものを知らないだけだったら申し訳ない。
【2024/6/14 追記】
全然ビッ“グ”バンドだった。普通に歌詞カードを見る俺の目が悪かった、てワケ。お恥ずかしい話よ全く
「それぞれのファンファーレで」、いい歌詞だ。夢の中で俺たちは等しく客人ではあるけれど同一ではないよと、背中を押すものが同じなわけないだろ、というのを分かってくれている。なんかこう、配信を通して感じていたことを改めて歌詞からも感じれると、一貫性があって嬉しいわね。
「なんか楽しく踊ってたら裏路地に来ちゃった…。真っ暗で怖いよ…」って感じ。やっぱ暗いとこに行ったら暗い記憶を引っ張り出しちゃうじゃない。自省に自省を重ねて、影がいっそう黒く濃くなっていく。それこそが彼らの思うつぼなのに。
ってか2Aメロの中2行しゃらくせ~!!!「嗤い」「昏く」って表記が良い。聴くだけより圧倒的に背伸びしている感というか、大人びようとしている感が前面に出てくる。この斜に構えた感が妙にハマる。昔の思い出を忘れてしまうときって、傍から見るとこういう感じなのかもね。やり切ってもいないのに達観したフリをしてるからダメなんだなあという自戒。また背筋が伸びる。
闇に引っ張られ、暗くふさぎ込みそうになってしまったそんな私を引っ張り上げるのは、この男~!と満を持してジョー・力一が手を差し伸べてくる。「『美しいもの』の定義なんて 簡単に変わらないでしょう?」なんて言ってくれちゃって。これはだいぶ甘美な台詞ですね。「あなたが追い求めようとするものさえブレなければ大丈夫なのだから」と微笑みかけてくれる。これだよこれ!!!!このスタンスだよ。やっぱ軸は人それぞれだよねってとこを相当大事にしているのが伝わってくる。長男じゃなかったら泣いてた。
間奏めっちゃ良くないか?2Aメロで落ち込んでたところを2Bメロで助けてもらって、お口直しにと煌びやかな夢の街を見せてくれている感じがある。だってそもそも幸せなモノのはずだったもんね。あとなんかこの情景を思い浮かべるとき、なぜか乗り物がソリだったりする。サンタクロースでも無いのにねえ…
さあ街を一通り巡ったなら踊りましょうよと、ここでふと思う。1Bメロで手を取ってくれたのは力一だったのではないかと。ただこの夢の終わりもなんとなく見えてきて寂しくなってくる。メリーゴーランドが逆回りしちまったらおしまいよ。ただ「逆行」ってのが救いだったりする。元に戻るだけで、またその夢に呼ばれることがありそうで。
あと「その果てに何が待ってる?」に疑問符が付いてるのも味わい深い。これも白米ポイントか。だって夢の住人だからね。その先は俺自身でしか見れない風景だもんね。人には人の乳酸菌。人には人の目的地。
誰かが何かを追う限り、この夢の街は存在し続けてくれるのだ。こんなにうれしいことは無いよ。
【まとめ】
明確に「わたし」に向けられた歌詞だなあと率直に感じた。光輝く夢の街に導かれ、夢のままに踊る。その夢というのはただ私が忘れていただけで、昔からそこにあったはず。私が忘れていたのは夢が無くなってしまったのではなく、単に巻き戻っていたからなのかも。
これからも何かにぶつかってしまったとき、夢の街は私を呼んで、幸せな気持ちを思い出させてくれるだろう。だから、またクッキー缶に仕舞いこんでしまうのを許してほしい。決して、消えてほしくないのだから。
03. コルロフォビア
コレコレェ!ってテンション上がってしまった。ダークなピエロが幅を利かしてくる感じ。さんざっぱらピエロが怖いだのなんの言われてる中「なんかそんなことも言われてるみたいよね~」って感じだったはずじゃない!
しかも曲名もまっすぐ「道化恐怖症」だなんて。
たしかに興行してる団体で「○○座」って言う所があるね。劇団わらび座とか。久しぶりに聞いたけれど。しかもよりによって乱痴気を掲げると。歌い始め0秒でもう治安が悪い。そんでもって「怯える子を見透かす」なんて言われちゃあもう、伸びた背筋がぞわりと冷えてしまう。サーカスなんてもともとちょっと怖いじゃない。等しく我らは怯える子になってしまった。
そしてこの「カリカチュアのドーラン」というフレーズ、個人的にはぬらっと聴いてしまうけれどめ~~~~~っちゃめちゃアクの強いワードだと思う。なんだい。するってぇと、その白塗りは嫌味交じりの誇張だって言うのかい。いやマジでこのワードやばい。動悸が激しくなる。ジョー・力一という男からこのワードが出てきたという事実に脳みそが絶えれていない。ドーランの缶に指を突っ込んで、無造作に顔に塗ったくるシーンが頭に浮かぶ。怖すぎる。そんな、与太話なんて言わないでくれよ。現実と非現実、リアルとバーチャルが揺れる。どこまでが本当で、どこからが本音なんだろう。
そんな揺れ動く心すら、多分手のひらの上。揺れ動くのは隙間が空いているから。そんな隙を見逃してくれるほどヤワじゃない。迷いや恐怖を糧に、それは段々と形を成して、大きくなってゆく。
心のどこかにある、ゴシップや悪事に対する興味。インターネットを介し、加速度的に波及していく私刑の意識。世俗を穿ったフリをしては、アイロニックに貶す日々。あれもこれもお天道様はお見通しだっていうのに。そんな滑稽な自分をせせら笑う“誰か”がいる。「あくびは止まりそうもない」なんて、それすらも茶化すように。ああ、お前は所詮操り人形で、でも俺は笑ってあげるよ、なんて傲慢さが脳を焼く。
てか囁きボイスね〜!!!!!普通にダメです、こういうの。「ありのままの君に興味なんかない」って自分は聴こえたんですけどどうなんですかね。カァ〜ッ!うるせえやい!
“誰か”が顔を出す。夜な夜なひとり踊っている。シニカルであることの依存性で、彼は私を操っている。適度に依存させながら、宿主の琴線を震わせる。本当にタチが悪い。てか、「ありのままの君に興味なんかない」、「正体なんざ木偶人形だぜ」なんて言ってんの、お前だったのね!!ふざけんな!!!!
でもその快楽を分かっていながら身を委ねる夜もある。毒を吐くことで自分を律しないと、自分が保てなくなってしまう、そんな夜。本当に悔しいけれど、滑稽なのは理解しているけれど、そんな自分を自分でもシニカルに笑って見ているからさあ!許しておくれよ。道化なんだよ、分かってるんだよ……。
負+正、正+負。王道だけどこういうの好きっす。どっちの組み合わせもある丁寧さから厭な胡散臭さが漂ってくる。穿って見ているようなフリして世俗を騙す、そんなモノばかりが蔓延っている。もう何もかも胡散臭く思えてしまってやんなるね。猜疑心と自己嫌悪で自分が嫌になってしまう。
ああ~~!!!シニカルな薄っぺらい自分の側面を見透かしたような歌詞だなあ。一体何を守ってるかなんて、絶対分かって聞いてらあ。余計にタチが悪いや。そういうスタンスって一定の票を集めることがあるし、まるで裸の王様だなんて、めちゃめちゃクリティカルな表現で突き刺してくる。
何かボロを出すのが怖いんだよな。ここすげ~俺だなあと思ってしまって、結構食らうところがある。大人になりたくないだなんて、目の前の問題と組み合わずに腐して終わらせてしまっていてはでっかいガキが出来上がるだけ。そんな奴に空中ブランコができるはずがない。バーから手を離せない未熟さとそんな姿を世俗に晒しているという羞恥で板挟みになっちまえばいいさ。だっはっは。泣きそう。
ここ、「いつまでも有象無象のままで居られたら楽しかったろうね」かなあ。棘イカつくね?俺を貫くには勿体なすぎるほどに鋭利で洗練された棘。こういうシニカルな奴を吊り上げるには矢面に立たせるのが一番効果的だよねと。せいぜい虚勢張ってれば?
何を一丁前に涙垂らしてるんだお前は!何の涙だ!おい!!俺はとうに狂ってしまって、今頃ご丁寧に用法用量を守る意味なんてさらさら無いのにさ。ほら、いつもみたいに俺を操ってみなよ!俺が笑ってんだから!!!
一度壊れてしまったら、もう治ることは無い。厭世や虚勢で俺を操っていたはずの"誰か"は、いつの間にか共依存になっていた。木偶人形はどっちだったのだろう。操り操られ、不細工なステップを踏みながらカメラはフェードアウトしていく。あとはゆっくり、お気の済むまで。そうして幕は閉じる。
アウトロが長いのがまたいいんだ。あまりにも空虚で救いようのないステップを、がらんどうのテントの観客席から見つめているようで。
というかあまり関係ないけれど、ここの歌詞で力一のとある発言を思い出した。どの配信か、はたまたいつごろなのかも思い出せないけれど、「昔に比べて丸くなったよね」という意見に対して「とがった部分を出さなくても戦えるようになった、いわば縛りプレイみたいなもんだよ(意訳)」というようなことを言っていた気がする。俺はこれがすげ~好きでよく思い返す(じゃあ元配信思い出せよ、という話なんだけど)。シニカルなスタンスって使い方によっては十二分に武器たりえるけれど、あまりにも脆くて、自分の身を削る悪魔の取引みたいなもので。ただそこを否定せず、あくまでも縛っているだけだよというのが本当に良いのだ。さんざっぱら言っているが、俺は力一の「辛酸を舐めた過去の経験や黒い感情を否定も肯定もせず、ただ傍らにフタをして仕舞っている」というところが本当に大好きで、自分もそうありたいと思っている。こんなに上手く振舞えてはいないけれど、いつか俺も上手に縛りプレイができるように。
自語ってしまった。失礼。
【まとめ】
シニカルに世を見るのは程々にね、といった感じ。やめらんなくなっちゃうからね。「あれもこれも道化があんたを操ってんだよ、だから気を付けなよ」というところに優しさが垣間見える。「あなた本人じゃなくて、悪いのはあんたを操ってる道化なんだから」みたいな。なんだこれ。喉元を過ぎても熱さが残る、あまりにも苦い良薬であった。曲調が好きよ~!とか言いつつ歌詞をしがんでみたらこれよ。すげえぜ。「道化恐怖症」なんて、今となっては優しい警告にすら聞えるもんな。ダメ、ゼッタイ。
04. 明転
個人的にはアルバムの中で一番好き。XFD出てクッソ騒いだ記憶あるもん。掘り出してみるか。そいや。
あ~クソ分かる。めっちゃ分かるわ。俺もそう思う。多分ワイトもそう思っている。眼前に広がる、夜明けの薄暗がり。あんなに持て余した夜に訪れる、あまりにも美しすぎる終わり。肌寒さと太陽の気配。見覚えがありすぎる。身に覚えがありすぎる。
あかん、泣きそうや。わかりすぎる。こういう夜は二十余年の人生に間違いなく存在した。月が綺麗ですね、なんて、とうに月は沈んでしまっているのに。いくら捏ね繰り回しても、どうにもこうにも着飾れない惨めな思い。冷えた水だけが寄り添ってくれる。
なんかこれ舞力かなんかでしゃべってた気がするなあ。と思ってたらぷちさんじで上がってた。ちなみに4年半前で普通に絶望してるが???また違った意味で泣きそう。
この男、重いらしいす。いや、いいすよねえ…。いや、ピエロって重がちではあるじゃないですか。道化の裏に隠れた、みたいな文脈で。まさか恋愛方面で重いなんてね、そんなのやっぱ魅力的に見えてしまうじゃないですか。人間味があって。ええ。
「水曜日」ってのは「郵送便」と韻を踏むためのワードチョイスな感じがあるけれど、なんか収まりがよく感じる。なんでもない平日に「君」の気配を感じ取ってしまうのが一番堪えるかもしれない。ポカン!って簡単に忘れられたら、どれだけ楽なんだろうかって。
そんで冗談っぽくさ、ポジティブな言葉を自分に投げかけてみるんだけど、自分でもびっくりするほど軽くて、部屋の外に出したら空気に混じって溶けてしまうんだ。おまじないにすらならない、あまりにも無力な自己肯定。
二回目の「やまない」が平仮名なの何だろうな、とか考えてみる。「病まない」の可能性あるなあとか思うけど、ここに乗っけるにはあまりにも軽薄かもしれない。とりあえずこの部分だけで一晩は悩める。「また」流れたらでいいんだよな。今すぐドアを開けて外を歩けなんてけったいなことは言わない。次もしそうなったら、くらいがちょうどいい。
「パジャマのまま歩こうか 線路の向こう側」なんて、まっすぐ「夢に一番近い現実」じゃん。「心なんてお構いなく 空は白んでいくからさ」。本当にそう。勝手に明るくなってくれるので、本当に助かることが多い。カーテンさえ開けていれば、夜は終わってくれるのだ。
ここマジで本当に好きだなあ。白湯みてえだ。じんわりと心が温まる。
小さな積み重ねの湿度がエグい。なんかもうグサグサ刺さる。思い返すと気づくんだよなあ。というか、その瞬間瞬間も気づいてはいたはずで、ただその時少し頑張ったり、勇気を出さなかったりというズレの積み重ねで、それはびっくりするほど簡単に散ってしまう。なんだこれ。こんなんお出しされちゃあ敵わんでしょ。無理無理。解散解散。
絶対これ「ショー」とかけてるでしょ~!!!という信頼がある。違ったら半年ROMる。普通に恥ずかしいので…。まあそれはそれとして、「ダラダラした『承』だけ続いてく」って地味に火力が高いな。何かを発展させることもなく、オチを付けることもなく、はるか昔の、ともすれば偶然のような「起」に縋って何かをしているフリをしていただけの日々。いや、駄作なんだよ。でもそれを割り切れない弱さ。終わらせる勇気が無い、どうしようもなく意気地無しな自分に嫌気がさす。
ただ、薄らぼんやりと終わりは見えている。自覚はしている。「転」とは言っても、状況を転換させようと躍起になるなんていう発想ではない。近い将来訪れる「結」での身の振りを考える、自己保身的側面。弱さの解像度、本当に何?背筋が伸びるどころの話じゃないんだけど。
この「枯れない花」ってなんだろうな。「君」への想いかな。思い出かな。自分自身かな。それぞれが抱える、忘れたくない、あたたかな感情。「花を抱える」という言葉の良さが沁みるね~。一輪でも束でもよくて、ただ各々がその気持ちを大事に大事に胸元に抱いている。たぶん、ほんのり光を発している。
自分は、この映画のどっちなんだろう。演者なんじゃないかなと、ぼんやりと考えている。ひとつの幕が閉じ、また新たな幕が上がる。自分は自分の主人公であると、さらりと飲み込んでいる。らしくないこともしてみようかななんて、半ば本気で考えてみる。楽しいよね、こういう時間。らしくないなんて、誰が決めたんだろうか。ちょっとぐらい恰好つけたっていいじゃないか、なんてね。
「Call me」なんて、こんな悲しいことってないぜ。誰か自分を欲してはくれまいかと、虚空に打ち明けてみる。やっと気づいたから、今なら!ってドアを開ける。夜の街を、夢の延長を、線路の向こう側目指して歩いてみる。
滑稽な姿を誤魔化そうと、転び方なんて一丁前に考えていた自分はもういない。俺はこのままでいいのさと、夜風に震える自分を心から肯定できる。空が白んで、夢が幕を閉じようとしている。それでいい。また次の幕が上がるまで、もう少しこのままでいさせてくれれば。
【まとめ】
こういう過去の未練と寂しさを捏ね繰り回す夜があってもいいんじゃないかと、次に備えてちょっと背伸びする準備さえしておけば、もう少しこのままでいてもいいよと、そういうやわらかな肯定を感じる歌だった。こういうほろ苦さと苦しさをメロウな歌で優しく包んだ曲が本当に好きなので、結構好みど真ん中だった。免罪符にしないようにだけ気を付けないと。
05. Stream Key
アルバムの最後を締めくくる、底抜けに明るい曲。これに「Stream Key」ってタイトルをつけるの、本当に、本当にダメ。あ~あ。ひっくり返っちゃったもん、俺。天井が広ェや!
てかイントロ、良~~~~!!ゴキゲンすぎ。青空の下、遊園地で無垢に踊っているのか?俺は。なんだこりゃ。
「ここまでようこそ」ってさ、俺に対しても、力一自身に対してもだよな。01~04の4曲で力一の色々な側面をゴリッゴリに浴びてきて、いの一番にこの一言を投げかけてくる🤡。本当、本当に何なんですかね。満面の笑みだぁ…。なんか風船こっちに差し出してきてるよね?ね?
そらルンルンで歩いちゃいますわ。競歩かってぐらいるんたるんたと歩いてますよ、ええ。「初めて出会うよ もう一度」なんて、いくら噛んでも味がする。どこかで交わっているかもしれない、この場所に過去来ていたかもしれない。それでも初めましてでいいじゃないですか。また新鮮に楽しみなおすところから始めようよ!
いや、やべえす。なんかこう、サンドイッチがはいっているようなイマジナリーバスケットを覗き込んで、顔を見合わせて吹き出しちゃうような。は?えげつい幻が見えてくるんだけど。
てかいいなあここ、世界で一番身近な幕ってカーテンだよなあ。なんかここの認識はアルバム通してあるよなあ。惰性で開けずに、こんくらい上向いて胸張ってカーテンを開いたら、曇天だって青空みたいなもんだからなあ。
ここのちょっとした言葉遊びの感じもいいなあ。本人がそうだもんな。バーバルとノンバーバル、完全互換が効かない良さがある。
「見たこともない看板 なんて読もう?」、ここもいいっす。岐路に立っても俺次第でどうにかなるぜ!っていう根拠の無い自身がこっちにも伝わってくる。有難ぇ~~!!!!この言葉をかけるようになるまで、答えの無い選択をいくつ潜り抜けてきたのだろう。
こ、ここ~!!!ここ、ここ~~~!!!なんかこれ、めちゃくちゃりきいちファームを思い出した。身の回りの様々なカケラを大事に仕舞ってくれてんだなあ、と思うと本当にうれしい。なんだこれ。は?やばすぎる。
くす玉ってのもいいなあ。ワードとしてはかっこいいとは言えないけれど、絶対うれしいじゃん、紐引くの。普通に人生経験として引いてみてえな。
帰ってこい!!!!おい!!!彷徨うな!!!!どこかに行ってくれるな、頼むからさ!!!本当にお願いだから…。勝手に深夜32時の#50を思い出してしまう。あのときに感じた「どこかへ行ってしまうのではないか、このまま姿を消してしまうのではないか」という恐怖を、俺はまだ克服できずにいる。心が弱ェんだ。
こんなことを言ってくれるなんて本当に喜ばしいことだよ、まったく。ジョー・力一という男の配信ってこれなんだよな。生活に光がともるんだよな。艱難辛苦を乗り越えてきた男がまっすぐ生活に光を点してくれる、こんな奇跡ってあるんだろうか。
未来だけじゃなくて過去も報われるように、爛漫だったと冗談でも言えるように、俺も祈っている。祈りながら、生活を続ける。だからカーテンを開いて、胸いっぱいに深呼吸をしてみる。頑張らなきゃね!
そして最後のコーラスが本当にいい。一旦幕を下ろすけれど、また開いてくれるという圧倒的な信頼感がある。ありがとう。本当にありがとう。
【まとめ】
アルバムをこう締めくくるか、と普通に感心してしまった。まっすぐ明るい言葉をまっすぐ明るい曲に乗せて、軽く背中を押してくれる。生活が少し軽やかになって、ちょっと頑張ってみようかなという気持ちにさせてくれる。天晴。
まとめの感想
いや~すごく良いものを聴かせてもらいましたわ、という気分。ジョー・力一という男の過去も現在も未来も、暗さも明るさも、失敗も後悔も何もかもが詰まっている。本当に良いのか、というくらい詰まっている。一見暗さが多いように見えるけれど、抱えてみるとぼうっと光っていて、かすかにあたたかい。夜になると一層感じやすくなる。とことんジョー・力一という男が詰まっているアルバムだなあと感じた。
人を好きになってから曲を聴く、というのが初めてのことだったけれど、自分の中では音楽を聴くというより私小説や詩歌を読んでいるときの感覚に近いなあと感じた。いや本当に、「ここが好き」が存分に発揮されてたなあ。すげえや。
公式からのあれこれが出始めて後半は駆け足になったけれど、とりあえず個人的な感想は以上でおしまいです。やっと読めるし見れるし聞けるぞ~~~!!!!やっぱり本人の言葉が唯一の正解だと思っているので、まあここに書き残した感想と相違あったら普通に僕が曲解していた、というところです。どうぞお目こぼしいただければ。
ここまで読んでいただけた方がいらっしゃいましたら、まずはお疲れ様でした。原稿用紙40枚分弱とからしいです。本当にありがとうございます。カーニバル・リヴ、滅茶苦茶楽しみですね。お互い体調には気を付けましょう。目が疲れたと思うので、まずはたっぷり寝ましょう。
それでは、おやすみなさい。