「自分なんて、いてもいなくても同じ」と思ってしまう
こんばんはのすけ〜。
気持ちの悪い天気が続くね。
きょうは、大切な人の命日なので、そいつの好きだった飲み物なんかをお酒で割ってしっぽりとやっていくよ。
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さて、今日もまたお悩み相談のコーナーからいってみようと思うよ。
今日のテーマは「自分なんていてもいなくても同じ」という気持ちについて。
先日、こんな相談を受けたのね。
しばらく在宅勤務をしていて、オフィスには最近行ってないんだそうな。
そしたら「自分なんて、この会社にいてもいなくても同じなんじゃないか」っていう気持ちが強くなってしまったらしい。
自分でも、なぜそんな気持ちが強くなってしまっているのか理由がよく分からなくて困っていると話してくれた。
「お前なんかどっちにしろ、いてもいなくてもおんなじ」
ブルーハーツの「ロクデナシ」という曲の歌詞を思い出したよね。
名曲〜
さて、こういうような話をしてくれる患者さんは、実はけっこう多いんだよね。
一斉にリモートになったみたいなコミュニケーションスタイルの大きな変化は、「自分の居場所」と思える感覚がどのように成り立っているのかを示唆してくれる。
ひとつ言えるかなーと思うのは、コミュニケーションの有意味性と無意味性について。
ここでいう「有意味なコミュニケーション」とは、会議や交渉のように、わりとはっきりした目的があるもので、「無意味なコミュニケーション」とは、はっきりした目的のない世間話とか雑談みたいなもの。動物における「毛繕い」のようなものね。
リモートワークの場合って、どうしても「ミーティング終わったあとに雑談しよ」とか「お昼ごはんでも食べながらちょっくら話そう」みたいな時間が持ちづらくなっちゃうんだよね。
そうすると「書類はいついつまでにお願いします」「はい、分かりました」みたいな「有意味なコミュニケーション」ばっかりになってしまう。
これが、ちょっともの寂しい気持ちになる要因の一つにはなっているだろうね。
「意味がない」「くだらない」と考えられているような一見無意味なゴシップトークや会社の愚痴であっても、話している人同士で「つながり」や「癒し」を感じられるオキシトシンが放出されると言われているんだよね。
霊長類は生き残るために「群れろ」とプログラムされているから、何気ないおしゃべりが、動物のグルーミングとかとおなじように、絆の確認や集団の維持に一役買っているということなんだね。
リモートであっても、「目的のないコミュニケーション」を意識してみるといいかもしれないよね。
ただ、会社というのは「目的をもった機能集団」なので、けっこうハードルが高いと思う人もいるかもしれない。
会社というのは、基本的には労働という価値と、対価となる賃金を交換する場なので、機能的なやりとりから切り離せないのだよね。
会社で感じられる居場所感というのは、会社にとって「役に立つ」ことが前提となることが多いので、「目的のないやりとり」というのはちょっと難易度が高いんだよね。だから、もし難しかったとしてもあまり落ち込まず、職場以外のとこでそういう場所をもつのも一つの手だって思っておいてほしい。
あと「自分はここにいる意味がないなあ」と思っちゃうのは、もしかすると、「代替可能な部分でしか、他人とつながれていない」からなのかもしれない。
「代替可能な部分」っていうのは、仕事ができるとか、お金があるとか、若いとか、容姿が優れてるとか、優劣の対象になる基準があるもののことね。
例えば「仕事ができる」ことは良いことだけど、まあどう頑張っても自分よりもっと仕事ができる人がいるわけだよね。だからそういう他の人でも代替可能な部分だけを通して他者と関わってると、「いつでも代わりがいるはずだ」という恐れがどうしても生まれてしまう。「僕がここにいる意味って本当にあるんだろうか」みたいな気持ちはここから来てるんじゃないかなと思う。
代替できないことってのは、たとえば「牛丼が好き」とか「Nizi Projectを推してる」とか、そういう情緒的なことだったり、自分がコンプレックス に感じているような「できない部分」「へんな部分」とかだったりする。
さっき言った「意味なさそう」と思うような会話がなんでいいかっていうと、まさにそこで交わされる時間こそがその人の「代替可能ではない部分」を通したコミュニケーションになることが多いから。
この間、一緒にイベントに登壇することになったF太さんとトークしてた時に、ふとお互い大好きな「ロマサガ」の話になって。乱れ雪月花がいかにかっこいいかっていうので、司会者を置きざりにしてすごい盛り上がってしまった。
「登壇して役に立つことしゃべれる人」なんてそれこそ色んなところにいると思うけど、そうやってロマサガの話して盛り上がってお互いに「楽しいですね」って思えるのって、それこそF太さんとじゃなきゃ出来なかったんじゃないかとおもって、すごく親近感がわいたのね。
【参考映像:乱れ雪月花】
生まれ変わったら僕は大剣を持つよ。
何の話だっけ。
あとはね、最後にもう一つ大前提として、そもそも「僕がここにいる意味とは」みたいな問いって超絶に骨太な問いなんだよね。
だって「あなたはここにいていいですよ」っていうお墨付きを誰かがくれるわけじゃないし、それをもらえたところで安心できるかっていうとそんなこともないからね。
つまり「ここにいてもいい」って決めてくれる客観的な基準なんてないってことだ。あくまで「ここにいてもいい」っていうのは主観的な判断なんだよね。
「自分の意味とは?」みたいな問いって超ハードル高すぎて、考えすぎるとぐったりしてしまうのだけど、そういうのを考えずにはいられないというのは、あなたはとても真面目な人ってことだ。
考えずにいられないなら、しっかりいったん納得いくまで考えきった方がいい。もちろん、一生のうち一度はしっかり向き合った方がいい問いではあると思うんだよね。
そんな真面目なあなたに、ぼくからお勧めできるのはこんな本たちです。
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