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【日本史上の汚点】日本国民を憎悪する白井聡さん、あなたは永久に再出発しないでください。

安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である

なんなんすかね。こうやって憎悪を撒き散らし、日本の世論を分断しようとする人物を「識者」として持て囃し、憎悪の拡散に協力するメディアは滅びてほしいのですが。

私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ない、というサブタイトルも、何言ってるんだてめえ、という感想しかないですね。おめえらのどこに公正と正義があるんだっての。笑わせるな。

この長期政権が執り行なってきた経済政策・社会政策・外交政策等についての総括的分析は、それぞれの専門家にひとまず譲りたい。

いや、譲るなよ(笑)。それを語らずして何が総括だっての。政治家の仕事ってのは、国民を幸福にすることだろ。仮に百京歩譲って、安倍政権が、「公正さと正義の理念」を著しく欠いた政権であったとしても、多くの国民を幸せにしたのであれば、それは評価されるべきことです。

こんな政権が成立してしまったこと、そしてよりによってそれが日本の憲政史上最長の政権になってしまったこと、この事実が喚起する恥辱と悲しみの感覚である。

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頼むから、大学教授が「感覚」で政治を語るの、やめてほしいんですけど。主婦の井戸端会議や、居酒屋のサラリーマンの放談じゃないんだから。

YouTubeで人気のヨビノリ・タクミ先生が、よく「直感に反することを理屈で受け入れる」と言っていますが、自称リベラルに最も欠けているのはこの姿勢ではないでしょうか。

 この政権が継続することができたのは、選挙で勝ち続けたためである。直近の世論調査が示す支持率は30%を越えており、この数字は極端に低いものではない。これを大幅に下回る支持率をマークした政権は片手では数え切れないほどあった。要するに、多くの日本人が安倍政権を支持してきたのである。

突然、まともなことを言い出した。と思いきや、この続きがひどい。

 この事実は、私にとって耐え難い苦痛であった。なぜなら、この支持者たちは私と同じ日本人、同胞なのだ。こうした感覚は、ほかの政権の執政時にはついぞ感じたことのなかったものだ。時々の政権に対して不満を感じ、「私は不支持だ」と感じていた時も、その支持者たちに対して嫌悪感を持つことはなかった。この7年間に味わった感覚は全く異なっている。

 数知れない隣人たちが安倍政権を支持しているという事実、私からすれば、単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意を持って暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた。

酷い憎悪である。そして、この憎悪の矛先は、確実に私の方にも向いている。おぞましいとしか言いようがない。

それを言うなら、私は憲法9条の欺瞞に気づいてから約20年くらい、「護憲派」なる日本人同胞に対して、あるいは慰安婦問題などで日本を貶めるような歴史改竄をする日本人同胞に対しても、受け入れがたい感情はある。

自称リベラルは、戦後70年間、保守勢力に対して「権力」という蜜を与え続けてきたが、その裏で、教育と報道を牛耳るようになり、保守勢力が利権にまみれてどんどん腑抜けになっていく裏で着々と国民を洗脳し続けてきた。

そんなだから、せっかく「権力」を有しているにも関わらず、マスメディアからの攻撃を恐れて、スパイ防止法も通せない、憲法9条の改憲発議もできない、北朝鮮による拉致疑惑が発覚しても10年以上なにも動けない、それどころか、たかが神社にお参りに行くことすら許してもらえない、という、「何もできない、名ばかりの権力」を押し付けられてきたのが、自由民主党だ。

自民党が形式的に「権力」の座にあるということは、自称リベラルにとっても大変都合の良い事だった。だって失政の責任は全て自民党に押し付けられるし、権力批判という大義名分があれば、どんな罵詈雑言や人権侵害も許された。野党と報道は自民党を批判しているだけで良く何ら責任を問われることはない。しかも自民党は「権力」とは名ばかりで、利権で骨抜きにされつつ、実質的な権力を失っていたのだから。

そういう、与野党の馴れ合い、もたれ合いを一掃しようとして、小選挙区制度を導入したのが小沢一郎だったが、残念なことに小沢氏は今では完全に「無責任な批判だけして気持ちよくなりたいグループ」の一員になってしまった。

小選挙区制の何がダメだったのか。その答えは、私が過去に何度も言及しているが、有権者の地図が変わらないのに政党の地図だけ変えても政治は変わらない、ってことである。物凄く簡略化して言うと、左派リベラル的な有権者が2割いたら、いくら選挙制度をごちゃごちゃいじくっても、保守二大政党には絶対にならないのです。2つに割ることができない世論を、むりやり2つに分けようとすれば、どうしたって無理が生じる。その「無理」の結晶が、あの民主党だったのです。

だいぶ話が逸れた。詰まるところ、彼らが受け入れがたいのは、安倍政権が「公正さと正義の理念を欠いている」からではないでしょう。そんなのは、おためごかしです。そんなのは、おためごかしです。そんなのは、おためごかしです。大事なことなので3回言いました。

ですので、白井聡先生の寄稿は、これ以上読む必要はないです。なぜなら、批判のための批判であり、おためごかしであり、本音を言ってないからです。

彼らの本音は、安倍政権が軍事費を着々と増やし、特定秘密保護法、集団的自衛権、対テロ特措法などを次々と成立させて日本の安全保障を強化し、憲法9条を本気で変えようとしていたことが許せないだけなのです。断言して良いと思います。

その証拠に、彼らが最も本気を出したのは、モリカケではなく、安保法制のときでした。モリカケで国会前にあれほどの人数は集まってません。

彼らの理屈で言えば、これらは「復古主義」であり「軍国主義」であり「日本を戦前に戻そうとしている」であり「日本を戦争できる国」にしようとしている、ということになります。

まあ、それが、彼らの宗教なのでしょう。

でも、まったくもって論理的ではありません。

憲法9条は、直感的には平和憲法かもしれませんが、論理的には平和憲法ではありません。

その理由は、過去にも散々書いてきましたが、武器を捨てることによって平和は得られません。むしろ武器を捨てることが戦争を招き寄せるのです。

直感に反することを理屈で受け入れる

これをできないのが「護憲派」です。

過去の偉人たちの中に「武器を捨てろ」と言っている人は一人もいません。例えば中国の孫子も「なるべく戦うな」と説いていますが、だからといって「武器を捨てろ、兵を持つな」とは書いてないわけです。

しかし、自称平和主義者の皆様方は、日本がほんの少しでも軍事力を強化しようとすると狂ったように反対します。隣国の軍事力増強には一言も文句言わないのに。

日本は、戦わないために軍事力を増強しているのです。

はい、詭弁っぽく見えますよね。わかります。直感に反してますよね。わかります。

だから言ってるのです。

直感に反することを理屈で受け入れろ、と。

この「理屈」というのは、屁理屈という意味ではないです。ロジックという意味です。

とりあえず、この動画でも見て勉強してください。



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