水島宏明はネトウヨ並み!日本の恥!それでもおまえはジャーナリストか?
水島宏明という、日テレで報道系のディレクターを務めた後、法政大学教授を経て、上智大学の教授に就任した有名な反日屑野郎がいるのですが(上智大学といえば中野晃一教授も反日活動で有名ですね)、こいつの書いてることがツッコミどころ満載なので、血祭りにあげてやろうかと思います。
まず、この水島氏の記事は、徹頭徹尾「山梨大学・島田眞路学長ら山梨大学医学部附属病院の医療チーム」の主張だけを一方的に垂れ流している。対立する意見は一切掲載していないし、おそらく取材もしていないのだろう。
普通の人は、医学部の学長なんてすごいインテリだし、そんな立派な人がそこまで言うのだからきっとその通りなんだろう、と錯覚してしまう。
でも、よく考えてほしい。そんなに凄い人なら、どうして「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(以下、専門家会議)のメンバーに入ってないのか?
政府に招集されないのか?ちなみに、専門家会議の顔ぶれは、以下の通り。
座長
・脇田隆字(国立感染症研究所所長)
副座長
・尾身茂(地域医療機能推進機構理事長)
構成員
・岡部信彦(川崎市健康安全研究所所長)
・押谷仁(東北大学大学院医学系研究科教授)
・釜萢敏(日本医師会常任理事)
・河岡義裕 (東京大学医科学研究所感染症国際研究センターセンター長)
・川名明彦(防衛医科大学医学教育部教授)
・鈴木基(国立感染症研究所感染症疫学センターセンター長)
・舘田一博(東邦大学医学部教授)
・中山ひとみ(霞ヶ関総合法律事務所弁護士)
・武藤香織(東京大学医科学研究所教授)
・吉田正樹(東京慈恵会医科大学医学部教授)
ほらね、山梨大学学長なんて肩書がチンケに見えるくらい凄い人たちの集まりでしょ?
私は素人だから、どっちの主張が正しいか分かりませんよ。でも、水島氏が片方の主張しか紹介していないってのは、まぎれもない事実ですよね。
安倍政権を批判したい、安倍政権を潰したいと思っている人たちは、きっとこの専門家会議の人たちのことを御用学者などと言って批判するのでしょう。それは、原発問題の際にも見られた光景です。でも、こんなのは単なるレッテル貼りにすぎません。何の反論にもなってません。普通に考えて、医療の知識など全くない安倍総理が専門者会議にあれこれ命令する立場にあるはずがありません。「知恵を貸してください」とお願いする立場です。
まあ、百歩譲って、専門家会議の主張は色んなところで読めるので、それに対する反論を紹介するのがジャーナリズムの使命である、というのであれば、それは仮に受け入れましょう。でも「途上国並み」「日本の恥」は、反対意見というよりは単なる罵倒、中傷の類です。
さて、ここからは私の素人意見ですので、間違っているかもしれないという前提で読んでほしいのですが、そもそもPCR検査は、治療行為ではありません。検査しただけでは病気は治らない。これは誰でもわかる話ですよね。
そして、新型コロナは現状では治療法がありません。肺炎が悪化して呼吸困難になったら人工呼吸器を付ける。それ以外にできることは何もありません。せいぜい、アビガンを飲ませる程度のことでしょう。
つまり、PCR検査で陽性が分かったところで、何もできることがないのです。だったら、検査する意味なくないですか?
それでもPCR検査をもっと増やせというのであれば、アメリカやイタリアを見るがよい。検査数を無闇矢鱈に増やした結果がアレです。
もちろん、私もPCRの検査数自体を増やすことに反対しているわけではありません。他の要因を一切度外視するなら、検査数は多ければ多いほど良いに決まってます。ただし、優先順位としては1番ではない。他の要因を犠牲にしてでもPCR検査を増やせ、というのは間違ってます。
特に、患者の不安を取り除くための検査ということであれば、その検査は有害無益であるとすら言えます。なぜなら、陽性であれば不安は解消されないし、陰性であっても偽陰性の可能性があるので結局は不安は解消されない。ていうか、陰性だからといって安心されてもらっては困るわけです。本当は偽陰性なのに、自分は感染してないと勘違いして外に出歩く馬鹿が大勢現れるのは困りますよね。
なぜ政府や自治体が国民に自粛を呼び掛けているのか。それは国民一人一人が皆、自分が陽性である前提で行動しろ、ってことです。PCR検査を受けるために勝手に病院に押し掛けるなど論外なわけです。どうせ陽性だと分かったところで、隔離場所が自宅からホテルに変わるだけで、他に何もしてもらえませんし、あるいは、陰性なのにわざわざ病院に押し掛けてウイルスをもらって帰る可能性のほうがむしろ大きいわけですから。
じゃあ、何のための検査なんだ、という声が挙がると思いますが、おそらく感染経路や感染規模、重症化する患者の割合、等、さまざまなデータを収集するために行われているのではないかと思ってます。つまり、患者個人のために検査するのではなく、人類全体で新型ウイルスと戦うために、データを集めている、ということです。
それから、よくある批判として「国は感染者数を小さく見せるためにわざとPCR検査の数を抑えている」というものがありますが、国がそんなことをするメリットはないし、所詮は陰謀論の範囲を出ません。そもそも正確な感染者数なんて把握している国は世界中どこを探してもありません。
ニューヨークでは、発表している数字の10倍以上の感染者がいたのではないか?という報告もあります。
また、ロンドン大学では、日本の実際の感染者数は政府発表の3倍程度ではないか、という推測もあるようです。
「検査数が少ないのに実態を捉えられるはずがない」という意見も当然出ると思うが、検査数が少ないわりに感染者の捕捉率は悪くない。ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(London School of Hygiene & Tropical Medicine; LSHTM)の数理疫学チームによるCFRベースの検査捕捉率の推定(未査読)では、日本は真の患者数の31% (信頼区間は22% - 74%)を検査で捕捉していると推定しており、他の主要国と比較すると、英3.6%、仏4.3%、伊6.0%、西6.5%、米12%、加17%、独29%、中33%、タイ48%、韓55%、豪州84%の中でも「まあまあ」と言ってよい数字になっている。
ロンドン大の推測からは、英仏伊西米といった、犠牲者の多い国ほど捕捉率が低い(=実際はその何倍もの感染者がいる)ということが読み取れます。このことからも、新型コロナ感染者の捕捉率を向上するために検査は沢山行うべきだということは分かりますが、一方で、別に100%に近づける必要もないということも分かりますよね。
統計を学んだことのある人ならわかると思うのですが、「これ以上はやってもやらなくてもそんなに変わらない」というラインがあるのです。
さて。
だいぶ話が脱線しましたが、水島氏に話を戻します。
「大学に期待される蜂起」・・・はあ、誰がそんなことを期待してるのですか。自分が勝手に期待しているだけなのに「される」なんて受動形を使うのは、要は自分が矢面に立ちたくない心理の現れですよね。
「大学が蜂起を!」という表現。かつて1970年代に隆盛期を迎えた学生運動の時期にはよく聞かれた古臭いアジテーションのフレーズだ。かつての社会主義革命のように、圧政に抵抗する人々が自ら武器を手に取って立ち上がるのが蜂起だ。学生運動でも権力や権威を疑った若者たちがそれに立ち向かうというとき、この「蜂起」という言葉が熱心に語られていた。
大学長という立場は、大学組織のトップでいわば管理者側=体制側である。そういう立場の人がこういう古臭い言葉を使って、全国の大学人に向かって、知性に働きかけて、意識を変えてほしいと訴えているのはよほどの覚悟があってのことだと思う。
はい、もうお察しですね。体制だの反体制だの学生運動だの圧政だの・・・この人は学生運動が賑やかだった時代の夢が忘れられないイデオロギーの亡者なんです。どうでもいいけど、1970年代って学生運動の最盛期ではないですよね。最盛期は1960年代、70年代にはもうとっくに衰退期に入っていて、追い詰められたクソ左翼どもがあちこちでテロ事件を起こしてた時代です。つまり、大部分の学生は運動から離れ、残った一部が先鋭化してテロリストになったのが1970年代です。あるいは、水島氏の認識では、学生運動=テロリズム=蜂起、なんでしょうかね。だとしたら恐ろしいですね。
新型コロナは未曾有の国難である。
こうした国難の時期には、それぞれの立場で声を上げること、そして現場を変えていく努力が必要だ。
はい、だからこそ国が率先してテレワークを推進したりして「変えていく努力」をしてますし、コンビニや飲食店などもつい2ヶ月前は店員はマスク禁止とか言ってたのに今ではマスクをしてない店員は一人もいません。
こうやって、社会全体が変わろうと努力している最中、水島氏のような腐れ老害左翼だけが、半世紀前の古臭いイデオロギーを掲げて、革命ごっこに興じているわけです。
一番変わらなきゃいけないのはおまえら左翼なんだよ?
だが大学という知的な力を究める機関でトップが自ら旗を振って、「国の政策は間違っている」と発信し続けている山梨大学の取り組みは、国の危機にあって世の中をなんとか変えていきたいと願った幕末の志士たちの活動に通じる面は確かにある。
そもそも、国の専門家会議こそが、大学という知的な力を究める機関のトップの集まりであり、国はその専門家会議に知恵を借りる立場でしかない。なのに、大学は国に叛旗を翻せというのは、要は大学同士で戦争しろって言ってるだけだ。何が幕末の志士だ?幕末の志士たちが作った明治憲法を否定してる奴が幕末の志士を称賛するのやめろ。