【憲法9条】80年前と現代の違い【戦争】
何かにつけて「今の日本は戦前に似ている」とか「戦前に戻ろうとしている」みたいなことを言って憚らない馬鹿な左翼が今の日本には大勢いて、そのせいで未だに9条改正すらままならないわけですが、今回は、いかに戦前と現代が違うか、ということを説明したいと思います。
①人口の増加率が全然違う
以前も書きましたが、80年前の日本が出生率が5倍を超える多子化社会でした。日本だけではなく、朝鮮や中国も似たようなものだったと思います。江戸時代も出生率は高かったのですが、嬰児は疫病等に弱いため、たくさん死んでいたわけです。しかし西洋文明が流入して医療や衛生環境が改善したため、子供が嬰児が死ななくなり、子供が多すぎる、という問題に直面したわけです。
日本人のことを帝国主義、膨張主義、侵略民族などと罵倒・差別される方々がおられますが、これだけ急激に人口が急増すれば、否応なくそうせざるをえなかった、というのが実情だと思います。
翻って現代は少子化の時代です。つまり戦前とは180度正反対です。貴重な人的資源を戦争なんかに費やす余裕は、日本も中国も韓国もないわけです。それに人口が増えないため、領土を拡張する必要がない。
中国は領土拡張の野心を持っていると見られますが、必要性に裏打ちされた野心ではなく、ただの中二病的野心に過ぎないので、よっぽど日本が油断しなければ、あからさまに軍事的な侵略をされることはないと思います。
ただし、「よっぽど油断した場合」には、その限りではないので、日本は引き続き中国を警戒しなければならないし、日米豪印の連携も深めていくべきです。
②ヒト・モノ・情報の流通速度が全然違う
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が落とされたことを東京の人たちは知りませんでした。知ったのは翌日の新聞を見て、でした。日本が宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃したと言われていますが、実際には宣戦布告の電報が届くのが遅れただけ。どちらも現代の情報伝達速度ではありえないことです。
80年前であれば、外交官は船で何日もかけて相手国に乗り込み、本国との連絡は難しい状況で大きな決断をしなければならないこともありました。松岡洋右がジュネーブに派遣されたときも、もちろん政府から権限が与えられていたからではありますが、最終的に国連脱退を決断したのは松岡でした。これも現代社会では考えられません。例えば英国が外相の決断だけでEUを離脱したりすることがありえるでしょうか。
疫病で各国の首脳が直接会って話し合うことができなくても、QUAD4ヶ国の首脳会談はリモートで行われました。
私達は相手の国のことを知らないとよく言われていますが、それでも80年前と比べたら、私のような一般人でさえ、もしかしたら80年前の外交官レベルの知識はあるんじゃないでしょうか。それくらい、相手国の情報は、容易に、安価に、そして手軽に、いくらでも誰でも手に入れることができます。
③大量破壊兵器の存在
核兵器、細菌兵器、化学兵器などを総称して、大量破壊兵器と言いますが、こうした兵器の誕生は、戦争のリスクを極限まで高めてしまいました。そのことが、幸か不幸か、先進国同士の戦争を抑止している、とはよく言われることです。
アインシュタイン博士は「第三次世界大戦はわからないが、第四次世界大戦では石と棍棒が使われる」と予言したそうです。そして実際に、中印国境で、それは実現しました。
もしかしたら、第三次世界大戦はすでに終わっていて(=米ソ冷戦)、いよいよアインシュタインの予言した「第四次世界大戦」が近づいてきているのかもしれません。
このように、80年前と現代は何もかも違います。総力戦による古臭い戦争は、おそらくベトナム戦争を最後に、少なくとも先進国同士では、完全に終わったのではないかと思います。なのに、誤憲派左翼はいまだにこうした古臭い戦争観に縛られ、憲法改正に反対しているわけです。「戦前回帰」などという、ありもしない妄想を根拠に政府や自民党を批判する誤憲派左翼の一日も早い絶滅を祈るばかりです。