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古谷経衡さん、whataboutismってご存じですか?

例の土下座像について、古谷経衡さんがコラムを書かれたので、読んでみたが、ツッコミ所が満載なので、こちらで取り上げようと思う。

国費を一切投じない民間施設の中に、どのような思想でどのようなモニュメントを作ろうとそれは自由である。(中略)日本政府が公にここまで強い不快感を示すのも、また異例といえば異例である。通常であれば黙殺という反応もまた選択肢としてあったであろう。

国費を一切投じない民間施設云々という話は、私も古谷氏の主張が正しいと思う。しかし、そうなると「あいちトリエンナーレ」は国費が投じられているのでクレームを付けてよいという話になると思うが、話が脱線してしまうので、それは横に置いておく。

では、なぜ今回「異例」の不快感の表明があったかというと、おそらく例の徴用工問題の「差し押さえ資産の現金化」が差し迫っていることが大きいと思う。土下座像とは直接は関係ないが、日本が怒っていることを見せつけることで、韓国にプレッシャーをかけたのだと思う。案の定、韓国政府はあっさりと白旗を揚げて、土下座像を非難するようなコメントを出した。

また、「黙殺」という選択肢が決して良い結果をもたらさないことは昨日も書いた。

どうでもいいけど「黙殺」という言葉を聞くと、太平洋戦争末期に日本が連合国から突き付けられたポツダム宣言を「黙殺」したことを連想する。その結果がどんな悲劇を招いたか、知らない人はいないだろう。

やっぱりね、「黙殺」はダメなんですよ。黙殺「された側」は、相手が何を考えているのか理解できない。「わかってくれよぅ」じゃダメなんですよ、はっきりと言葉にして相手に伝えないと。不快なら不快だと言う。抗議するならはっきり抗議する。降伏勧告を受諾するなら受諾するとはっきり言う。それが本当の「大人の対応」というものです。「わかってくれよぅ」が許されるのは中学生までです。大人の対応が分かってない精神年齢お子ちゃまな左翼が言う「大人の対応」は、はっきり言って「子供の対応」です。

ずいぶん脱線してしまったが、話を元に戻す。

(前略)しかしヘイトとは、一般的には「民族、人種に対して行われる侮蔑等」であり、この銅像が安倍首相を表しているのであれば、日本へのヘイトというよりは、安倍首相個人への誹謗中傷といったところであろう。

いやいや、その理屈はおかしい。韓国政府ですら「どの国であっても外国の指導者クラスに対してそうした国際礼譲を考慮する必要がある」と言っているのだ。

そもそも、この像がヘイトに当たるか否か、などという枝葉末節な議論は不必要である。ヘイトであろうがなかろうが日本に対する侮辱であることは明白であり「安倍晋三個人への誹謗中傷」という見解はあまりに不見識である。なぜなら、もし安倍氏が総理大臣でなければ、この像は、別の人物(その時の日本の総理大臣)の姿に代わっていただけだから。

現に製作者もそう言っている。

また、「安倍が謝罪するならば安倍だし、その次に誰かが謝罪するならば、その方にもなれるし」、「(土下座の人物は)謝罪する誰かであり、安倍を指しているということではありません」、「なぜならば、もうすぐ(首相を)やめる人でしょう? 」、「その人(安倍首相)を形状にしたら、作品にならなくなると思います」などの発言もした。

支離滅裂だが、要は安倍個人ではなく、「日本を代表する誰か」ということである。よって「安倍個人への誹謗中傷」という古谷氏の主張は100%完全に崩れた。

再び、古谷氏のコラムに戻ろう。

仮に韓国側の民間施設が「日本ヘイト像」を建造して問題になるのであれば、日本側の民間施設や民間人がこれまで韓国に対しどのようなヘイト行ってきたのか。それもまた私たち日本人は内省しなければならない。

はい、Whataboutismと呼ばれる詭弁の典型パターンですね。あまりに典型すぎて鼻で笑うしかないレベル。まず、日本のヘイトスピーチの問題と、韓国の土下座像問題は、それぞれ別個の問題であり、結び付けて考えること自体が詭弁。

そして「私たち日本人は内省しなければならない」に至っては意味不明ですらある。なぜヘイトスピーチをしてない人物が、たまたま同じ日本国籍、日本民族だからというだけの理由で「内省」しなきゃならんのだ。

すべきなのは「内省」ではなく「ヘイトスピーカーへの批判」だろ。

まあ、百歩譲って「内省」でも良いとしよう。しかし「日本人は内省が終わるまで韓国批判をしてはならない」というロジックには、ならない。古谷氏はそうは言ってないかもしれないが、もしそういうつもりで言っておられるのならば、その考えは100%間違ってる。古谷氏こそ、その詭弁を内省しろ。

当然のことならが、「日本国内のヘイトスピーチへの内省」と「韓国の土下座像に対する批判」は同時に行うことが可能だし、また同時に行わなければならない

要は「日本人も韓国にヘイトスピーチしているのだから韓国批判するな」は明白すぎるほど致命的に間違っており、「日本人のヘイトスピーチも韓国の反日侮辱行為もどちらも両方正しく批判しろ」というべきなのです。

しかし日本政府による、韓国のいち民間団体への「国際儀礼を失する」銅像に対する激烈な不快感を見るとき、まったく同時にある種の奇々怪々な違和感を感じざるを得ない。アメリカのスミソニアン博物館で、(中略)エノラ・ゲイの展示が挙行されたことである。

はい、これもまた直接関係ない個別の事案を並べたWhataboutismです。古谷氏はこの手の論法がお好きなようですね。まずそもそもの前提として、「エノラ・ゲイ」は、それにどういう意味付けをするかは別に議論があるとしても、歴史的資料としては極めて価値が高いものです。例えばポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ博物館がそうであるように。なので「エノラ・ゲイを展示するな」と抗議するのは頭おかしい人の言うことです。

それに、そもそもを言うのであれば、昭和天皇が「広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています」と発言してしまっている。天皇がこう言っているのに日本政府がこの件でアメリカに抗議するなど、できるわけがないではないか。それに、日本政府は、カーチス・ルメイ氏への勲一等旭日大綬章も、未だ取り消してないのだ。そんな体たらくで、なぜ日本政府がアメリカに抗議できる資格があるというのだろう。

 一方、韓国は先の戦争中、日本に併合され書類上は「帝国臣民」として扱われたのは既知の事実であり、戦争によって日本人を殺害したという歴史的事実は存在していない。無論、支配中に起こった抵抗運動に対して、日本官憲や軍が出動して日本側に損耗が出た事例はあるが、これは「戦争によって韓国人が日本人を殺した」のでは当然ない(台湾も同様である)。

 韓国側からの日本に対する戦争中の殺戮はゼロ。一方、アメリカ側は国力が弱り切って継戦能力が無くなったに等しい日本の都市に、核攻撃を行ってその犠牲者は25~30万人。どちらが悪逆非道で、「戦争犯罪」として国際的非難を浴びるべきなのかは言うまでもない。

 しかるに日本政府は、韓国の民間施設が勝手に作った銅像に対し「日韓関係に決定的な影響を与える」として強烈な反応を示している。一方、原爆投下機の公的施設での展示に対しては黙殺を貫いている。このダブルスタンダードは、「韓国であればモノが言いやすく、アメリカに対しては何も言えない」という論評が生み出されても仕方のない状態である。

長々と引用してしまったが、古谷氏はここで論点のすり替えを行っている。今、我々日本人が、あるいは日本政府が韓国に対して批判しているのは、べつに75年前の戦争犯罪についてではない。2020年の、たった今行われていることに対してである。だから、75年前に韓国人が何をして何をしなかったかは関係ない。

アメリカの戦争犯罪については大いに非難されるべきであろう。その点については私も古谷氏に同意である。しかし、その非難は今やるべきことではない。75年前にやるべきことだ。75年前に生まれてすらもいない者同士で非難し非難される関係って、ものすごく馬鹿げてますよ。なんで我々がそんな祖先の恨みつらみを引き継がなければならないのか。

空襲や原爆の話は、もう終わったことです。過去の話です。もちろん、当時生きてて今でもわだかまりのある人はおられると思います。でも日本人の大多数はすでに戦後生まれです。戦争世代のわだかまりなんか、我々が引き継ぐ義理はないです。戦争世代で解決できなかった問題は、そのままどうぞ戦争世代が墓場まで持って行ってください。我々は知りません。我々は淡々と事実だけに向き合えば良いのです。アメリカを恨む必要もなく、アメリカを賛美する必要もないのです。

同じことは韓国に対しても言えます。なぜ戦後生まれの韓国人が、戦争を体験してない日本人に謝罪しろだの賠償しろだの言うのか。付き合いきれないし、相手にする必要はない。粛々と抗議と反論を続けていけば良いのであって、感情的にヘイトスピーチを返すことも良くないし、「大人の対応」(実は子供の対応)を取って韓国を増長させることも間違いです。





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