フル・シット・パーク
フル・シット・パークという公園を最近開発した土地でよく見かける。
この言葉は、近年注目されたワードの「ブル・シット・ジョブ」をもじった形である。
フルシット・パークの定義
Full-Shit-Park 直訳すると、いっぱいの「クソ」で満ちた公園。言い方を変えると、完全にクソな公園である。
それは人が使いたいと思わないし、メンテナンスが必要のない公園と定義する。
ブルシットジョブでは雇用を維持する、リスクを分散させるなど多少の欺瞞に満ちていながら、多少なりとも社会的な役にたっている。
しかし、このフルシット・パークがなんの役に立つかはわからない。
地方の不動産屋に話を伺って、一番驚いたことは公園と接している土地は人気がなく、地価が安くなっていることだ。子供が騒いだり、何がおこるかわからないとうリスクがあると思われているそうだ。
ニューヨークのハイラインとは全く逆な話がここでは起こっている。
もちろんハイラインのような魅力的な公園とは全く逆だ。フルシット・パークは新規の郊外の開発地でよくみられる。子供たちが声を出して遊ぶことも難しいし、大人も休むことも難しい。
ここでは、フルシット・パークに見られる事例を紹介しよう。
フルシットパークの事例
座りたくない椅子?
一体誰が座りたいのか?
昔はこれがタイヤであったりした。タイヤであればやわらかいから座れるし、跳び箱のようにして遊んだこともある。
しかし、タイヤを模したようなコンクリートの塊は、タイヤを模して作られたのだろうか。
そしてつけられた謎の模様?オブジェ?
いったいどのようにして使うのか?椅子であるかも考えなくてはならない。
いつかこの場所が忘れ去られたとき、遺跡として発見されることを狙っているのかもしれない。
そこには哲学的な問いが必要だ。
子供を管理しやすいフェンス
なんのためのフェンスかが良くわからない?
いやいやこれにはしっかりとした理由が存在している。
ジェレミー・ベンサムのパノプティコンは中央に監視塔を設け、監獄全体を監視する。それに対して、フルシット・パークではなるべく可視性のあるフェンスを覆うことで四周から公園を近隣住民で監視できるようになっている。
それだったらフェンスを設けない方が良いのではと思われるかもしれないが、フェンスがなかったら子供が道路に飛び出したり、隣の土地に入り込んだりする恐怖の存在となりえるからだ。
そのような子供という犯罪者予備軍を強制すべく、このフェンスは開発された。
ない緑
芝生で地面を覆うなんてもってのほかだ。
芝生はメンテナンスもかかるし、日本の気候上維持していくのは難しい。
しかし、土のままでは雑草も生えてくる。
植栽もそこにはない。
植栽ははっぱを落とし、公園にごみを量産するからだ。
そこで採用されているのは、公園全体に敷き詰められた砂利だ。
砂利で覆われて、雑草すら生えていないこの公園は砂漠ではなく、街の真ん中にある。
禁止事項の多い公園
誰もあそびたがらないのに禁止事項はある。
とにかく、焚火は火の危険があり、燃えるものが四周に存在しないとしても禁止されている。
いやいや、強風の火に誤って、燃えた紙屑が飛んで行ってしまったらどうなるだろうか。木造の多い日本では悲鳴に変わるかもしれないが、その可能性は隕石が地球に衝突し、滅びる可能性と同等である場合も多い。
そして、球技もすべて禁止されている。
羽根のやわらかいバトミントンがどうして危ないか想像してほしい。
羽根自体は柔らかいが、夢中になって遊んでいると軽いラケットでも凶器になりうる。万が一、子供が近づいて頭をかち割られたら、公園に小さな血の泉が出来るだろう。。。
そして野球なんてもってのほかだ。
昔のサザエさんで公園で野球をして、近所の窓ガラスを良く割ったカツオとナカジマのせいで、球技をすると窓ガラスを割られるというイメージが世間に浸透してしまった。穏やかな日常を送る住人にとっての野球はテロ行為に等しい。
いつもホームランで窓ガラスを割るカツオ。
その野球にいつも誘う、ナカジマ。
二人の罪は非常に重い。
最後に
もはやフルシットパークは「公園」と呼ぶことも難しいかもしれない。
正確な定義では「公園」ではないのかもしれないが、一般の人はここを公園と思っているだろう。
誰も遊ばないし、使わないのならない方が良いのか。
どうしてこのフルシットパークが生まれてきているのかは、都市計画や経済的、社会的理由があるが、これをまとめるとさらに長くなるので別の機会にしておこう。
建築家として都市やまちづくりの勉強をしていると、公園は人間の身体や共同体の育成にとって必要なものとして学んできた。しかしもう一度、公園がなぜ必要か考え直す必要がある。
ドラえもんに出てくる土管の広場は土管があるだけで、ステージになり、隠れ場所にもなった。
ほとんど何もない場所だからこそ何かが出来るはず。
どうせ使われないなら、地元住人で共同管理して、「薪が出来る」専用の公園にしたり、すべて共有の花壇にするのもよいだろう。それとも何に使おうか?
忘れてはいけないのは、公園はその周囲に住む住人次第で変えていける。
何もしないままでは、我々自身がFULL-SHITなのかもしれない。