横浜ロマンスポルノ'24、9月7日の日記

ポルノグラフィティデビュー25周年、そして26年目突入おめでとうございます。

2024年9月7日、8日に開催された「因島・横浜ロマンスポルノ’24~解放区~の横浜スタジアム1日目、7日の公演に行って参りました。

始まる前は楽しみでしょうがなかったのに、終わってしまえばあっという間で、幻のようで、夢だったんじゃないかな……?と思ったり。

以下、感想という名の自分語り日記です。



9月7日、横浜は快晴。最寄りの空港も快晴。なんというライブ日和。
横浜の最高気温は33度。出発地となる朝の空港の天気は15度。
ライブに備えて着ていった服装は寒すぎて、避暑用のパーカーを防寒着として着用した。冷感パーカーなのでほぼ意味が無い。

1週間前に行われた因島公演では熱中症で倒れる観客多数だったため、SNSではファンが暑さ対策を呼び掛けていた。もうすっかり秋の空気が漂う地元では暑さ対策グッズはすっかり在庫が枯れていて、集めるのに苦労した。


同じ空港から飛行機に乗り込むポルノファンを数えたら、グッズ着用している人だけで5人いた。同志よ、地元にポルノ呼ぼうな。


ポルノファンだらけの空間。泣きそうになる。

会場である横浜・関内に降りたのは午後1時半。
横浜には何度か来たことがあった。でもポルノのために来る横浜は格別で、今までで一番空の青が濃く感じた。実際濃かった。



グッズ列は長く伸びていて、現地限定グッズには売り切れているものがあった。事後通販があるので問題なし。
聞こえてくるリハーサルの音にドキドキしながらグッズ列に並ぶと、すれ違うポルノファンが着用する過去のライブグッズや着こなしを見るのが楽しかった。
同行者である友人がポルノのグッズ全部オシャレだね~と言ってくれたが、過去のグッズのなかでオシャレなものだけ着続けられているのであって、そうでないものはパジャマになってるよ。


慌てて撮ったので反転していることに気付かず



座席は内野スターサイド(3塁側)15列目。ステージのポルノグラフィティが小指の爪のサイズくらいの大きさ。3塁側は開場時間からずっと日陰だったので、比較的涼しかった。
ステージ全体見渡せるし、会場全体が見えていいね!


予想外のオープニング1曲目からのフルスロットルな幕開けに、今日のポルノはいつもと何かが違うかもしれないと予感する。

ジャンプしたいけどスタンドだしスペース狭くて怖いな、隣の人とぶつかるの気まずいな、というか筋肉なくて飛べないや、という邪念がライブの度に頭をよぎっている。



3曲目メジャー、7曲目FLAG。
イントロで頭抱えました。嬉しすぎる。中高時代に、絶望した心を救ってくれたメジャー。イントロの手拍子をやりたかったのに、あまりに驚きすぎてパニックになり、ほとんどクラップできなかった気がする。
コーラスを一緒に歌うのが夢だった。汗か涙かもう分からないけどべっしょべしょになった。階段を駆け上がるように軽やかなギターと、昭仁さんの伸びやかな歌声が横浜に響く。波打つ客席の腕。夢みたいな光景だった。
PANORAMA×42ツアーは親と大げんかして、チケットを持っていたのに参加を許されなかった心残りがあったので、アルバム「PANORAMA PORNO」から2曲が演奏されて嬉しい。
もう聴けないと思ってた。来て良かった。



夏の陽が傾き始めた野外で聴くバラードは気持ち良かった。
25周年ライブということは、2人になってシスターをリリースして20年。2人でも活動を続けることを選択してくれて良かったな~~と思う。
リスタートの1曲目にするなら、もっと明るい曲にしても……と思わなくもないけど、そのときに届けたくてリリースした曲が今も横浜で3万人の心を酔わせている。
バラードのブロックではどの曲でも周囲のファンが静かに泣いていて、ポルノグラフィティの曲が愛されていることが嬉しい。


アコースティックバージョンのギフトとTHE DAY。定番曲をアレンジしてお届け、と前置きして始まったが、過去の横浜スタジアムの振り返りのような選曲だと思った。(だとしたらハネウマと俺セレが無いけどワズビルでやったから…)
THE DAYで会場を照らす球場のライトが消えて夜に気付く瞬間、野外ならではの演出で最高だった。

ひとひらは15周年にリリースされたベストアルバムに収録された曲。
当時私は高校生で、本当の意味で歌詞を理解できるような人生経験を積んでいなかった。
北海道で桜が咲く5月、健康診断で早く帰れる日に高校の敷地内で友人と遊んだことがあった。落ちている桜の花びらを集めて人工の花吹雪を作ったり、銅像の真似をしたり、コンビニでお菓子を買って木の下で食べたりした。そのときに、大人になったらこの日を思い出すんだろうな~と漠然を感じた。
………というのを横浜でひとひらを聴きながら思い出して泣いた。
ポルノグラフィティの曲を聴くと私の人生を思い出すし、私の人生を思い出せば、ポルノグラフィティがいつもそばにいる。


昭仁さんのnoteの有料部分に書かれていたが、THE DAYから数曲は明らかに本調子では無かった。15周年ツアーでひとひらが披露されたときも、ハイカロリーなセットリストの後半の曲順で、まるで命を削るように歌う姿が記憶に残っている。もっと若いころのライブ映像は声がガッサガサのものもある。喉は心配だけど、当時の姿が重なって、それはそれで良かった。心配だけど。


そんな心配を振り切るようにライブ後半戦。調子を取り戻した最高ボーカリストは絶好調だった。プロフェッショナルすぎる。
すっかり真っ暗になった空に、ステージ照明がカラフルに輝く。
サイケデリックな黄色やピンクの照明は煌めく夜の横浜を模したよう。出し惜しみしないステージ演出。ブチ上げ選曲。ポルノのライブ楽し~~~!!



本編ラストは満を持して解放区。あまりに楽しくて解放区まだ歌ってないことに気付かなかった。
ワズビルで平和について投げかけたブロックの後に披露された新曲としての解放区は、救いのようで決意のようで、全身で新曲を受け止めて聴いた。
こんなに豪華なロマポルの表題曲として、ここまで披露した曲がすべて解放区披露のための前振りかのように感じてしまうような。解放区を披露するのに最高の舞台が整えられていた。あふれる流れ星のようなギターソロはいつも胸がいっぱいになる。


ポルノの曲を愛する人たちと、ポルノグラフィティがいる。最高の舞台を準備する人がいて、その場所に全国から人が集まっている。
モニターに表示された「わしらにとってポルノグラフィティとは」の文字に続いて客席が映る。

「あなたにとってポルノグラフィティとは」「いつか答え合わせをしよう」

横浜1日目に「幸せについて本気出して考えてみた」が選曲されたのは、この”答え合わせ”がキーワードだったからかな。

このブログで「ポルノグラフィティの本質とは?」と考えていることが書かれています。
私もそれからずっと考えているのですが、答えが出ていなくて。
7日のロマポルでやっと答えが見つかったような気がした。

「みんなのおかげで歌える!演奏できる!おまえらがおるからわしらがおる!」と端から端まで走って、ありがとう!ありがとう!と伝える姿に涙が止まらなかった。

私にとってポルノグラフィティとは、にまだこれだという答えは出せていない。でも、答えはきっとライブ会場にあるんだと思う。
ポルノグラフィティと見た花火は一生の宝物になりました。


終演後。ここが解放区

時代と向き合い、ポルノグラフィティの自己新記録を更新し続ける姿、ステージに立ち続ける姿、そんなところが大好きです。憧れです。
ポルノグラフィティが作る世界、解放区は私の帰る場所です。



ワズビルと披露曲がほぼ被らず、因島にまつわる曲も、久しぶりの名曲も、贅沢に織り交ぜたセットリストだった。
ゲストや新たな仕掛けを一切せず、パッケージはいつものライブと一緒なのに、こんなに特別感が生まれるのはなぜだろうか。
セットリストを予想したとき、因島が昼、横浜が夜という対比になる選曲になると予想していたのですが、大幅に選曲は変えず、曲順を変えるのか。まだまだポルノグラフィティにはなれない。
どうやったら思いつくんだ………すごすぎる………

本当は1曲ずつあーでこーでと感想を述べたいのですが、長くなりすぎるのと、メジャーで幸福の極点に辿り着いてしまい記憶が無い部分もあるので、SNSに書き込むには私事すぎることを中心に書き残しました。

11月には9月1日に行われた因島公演のディレイビューイングがあります。ただ上映してくれるだけでいいのに、ドキュメンタリーも付くそうです。ありがたいです。全部パッケージにして売ってください。買うので。
ヴィヴァーチェの記憶は楽し過ぎて吹き飛びました。早く売ってください。

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