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OVER&OVER#2

第一章~旅立ち~
二幕「希望」

 豹獣人と別れの挨拶を交わした直後、俺は盛大に地面へと突っ伏した。足元の小石に引っかかったのだろう、あまりに情けない失態だ。

クライス「ははっ……転んじまっ……」

 苦笑いを浮かべて誤魔化すつもりだったが、立ち上がって目にした景色に言葉を失った。

 そこには、白い花が一面に咲き乱れる花畑が広がっていた。その中央には樹齢何百年とも思える立派な大樹がそびえ立ち、その姿は、悠久の時を物語っているかのようだ。大樹から伸びる柔らかな木陰には、煌びやかな水晶のようなものが散りばめられた大きな石が鎮座している。

クライス「あれ…?俺、戻ってきた…?」

 記憶が錯綜(さくそう)する中、俺の視線は自然とその大きな石へと向かった。記憶に新しいそれは、俺がここを発つ前に作った老獣人の墓だ。更に言えば、老獣人を埋葬した後、過去に戻るポイントを生成していたはずだ。

クライス「戻ってるな……」

 俺は呟きながら、手に握りしめた懐中時計に目を落とした。時計は、規則的なリズムで秒針を動かしている――ように見えたが、すぐに異変に気がついた。時計の針が、明らかに逆回転していたのだ。

クライス「げっ!転んだ拍子に壊れたか!?」

 慌てて懐中時計を念入りに調べてみたが、破損や外傷は見当たらない。少し不安になりつつも、試しにギフトを使って過去へ戻る操作をしてみた。幸いにも、時計自体の機能に問題はなさそうだ。

クライス「ふぅ……。良かった、ギフトはちゃんと使えるようだな。」

 胸を撫で下ろしながら、改めて状況を整理する。

 偶然にも、俺は過去へと戻ってきた――それも、豹獣人が命を落とす少し前に。

 後悔からか、先ほど助けることができなかった豹獣人の顔が脳裏に浮かぶ。隣で涙を流しながら呆然と立ち尽くしていたもう一人の豹獣人の姿も思い出され、胸が強く締め付けられる。

(あの時、もっと素早く動けていれば――)

 自分の判断が遅れたせいで、彼らを絶望に追いやってしまったのだという思いが、頭を離れない。だが、今回は違う。

 前回、慎重に森を進んでいた自分とは異なり、今の俺は状況を理解している。あの森が比較的安全だと知っているのは、前の経験があったからだ。その分、行動を素早く起こすことができるだろう。

クライス「間に合うかもしれねぇな……」

 自然と拳を強く握りしめていた。先ほど目の当たりにした絶望的な未来を変えられる可能性が、今ここにあるのだ。

 急いで魔物が現れた場所に向かい、豹獣人を救う。それが俺に出来うる最善の行動だ。すぐさま走り出そうとした時、大切なことを思い出した。

クライス「おっと!部屋に食料と水が入った袋があるはずだ。それくらい取りに戻っても時間的には大丈夫だろう。」

 これから入る森は、比較的安全とはいえ、食料や安全な水が簡単に見つかるかは別問題だ。戻ってくる前に見つけた湖の水が飲めない可能性もあるだろうし、このまま手ぶらで飛び出せば、未知の地で食料や水に困るのは目に見えている。先の失敗を繰り返さぬよう、一度部屋に戻ることにした。

 部屋に入ると、相変わらず床だけが人工物という異様な空間が広がっているが、そんなことは一切気にせず、目当ての大きな袋を手にした。

 クライス「あったあった。」

 袋の中を確認すると、3日分ほどの食料と水が入っていた。それ以外にも、薄いエメラルドグリーンに輝く液体が入った小瓶が3本入っている。いわゆるポーションだ。見た目の色からして怪我を治癒するものだろう。

 手に取ってみると、小瓶は手の中にすっぽりと納まり、エメラルドグリーンの色合いもあって、まるで宝石のようだった。

クライス「まさか治癒のポーションまで入ってるとはな。こりゃ取りに来て正解だったな。」

 魔物との戦闘に怪我はつきものだ。それを放置すれば、傷口は化膿し、最悪の場合は感染症に至る。そうなってしまっては、患部を切除しなければならない可能性も生まれてくる。

 だが、それ以上に厄介なのは痛みだ。深い切り傷を負った状態で戦い続けるなど、到底無理な話だ。痛みが容赦なく集中力を奪い、まともに武器を振るうことすら困難になるだろう。戦闘中に致命的な隙を生むことは火を見るよりも明らかだ。

クライス「他に使えそうなものはっと…」

 俺はさらに部屋を見回した。とはいっても、俺のベットと、その傍らに置かれた小さな机。老人が腰かけていた椅子にテーブル。それだけで、特に目を引くものはない。

 嫌に視界に入ってくる机の上の魔導書と、無造作に転がっている丸い石。こいつらは役に立たなそうなので、除外するとして……いや、魔導書読めよ!とどこからか聞こえてきそうだが……俺は魔導書を読まない。

(苦手なもんはしょうがないだろ!)

 心の中で自分を正当化しながら、魔導書に背を向け、念のためベッドの下を覗き込む。もちろん、怪しいものを探しているわけじゃない。ただ、何か使えそうなものが隠れていないか確認しただけだ。

「……っ!!」

 そこには、ピンクの雑誌――ではなく、一丁の斧があった。俺が普段使うものより小ぶりだが、片手で扱えるちょうどいいサイズだ。柄の部分が植物に侵食され、そこから蔓や枝が刃先に絡みついている。だが、刃は錆びておらず、見た目以上に鋭利そうだ。山小屋で見つけた斧よりも遥かに切れ味が良いだろうと思えた。

クライス「最初から部屋を調べるべきだったな……」

 こんなにも役立つものが部屋にあったとは思いもしなかった。もし最初から確認していれば、また違った結果になっていたかもしれないが、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。むしろ、ここで武器を手にしたことによって、今回は山小屋に立ち寄る必要がなくなった。そのお陰で大きく時間を短縮することができるだろう。

クライス「よし、これ以上めぼしいものはなさそうだし……そろそろ行くか」

 そう呟いて俺は、大きな袋と斧を手に取り、部屋を後にした。

◇  ◇  ◇  ◇

 過去に戻る前にも通った森を再び歩いたが、この森はやはり魔物の気配がなく、無事に湖のある場所に到着できた。道中、山小屋には寄らなかったため、以前よりもかなり早くここに辿り着いたようだ。

 耳を澄ませてみたが、戦闘の音は何一つ聞こえてこなかった。ただ、遠くから猫が鳴いているような声が微かに耳に入ってきた。おそらくあの白い豹獣人たちだろう。二人の声が聞こえるということは、まだ無事でいるはずだ。

 その話し声を頼りに、相手に気がつかれないよう細心の注意を払いながら進んだ。過去に戻ったことで、豹獣人の記憶がどうなっているかは分からないし、俺のことを覚えていない可能性が高い。そんな状況で、不用意に接触すれば敵対する恐れもあるだろう。

 もし彼らと戦闘になれば、大型の魔物を倒すどころではなくなってしまう。逃げる選択肢もあるが、言葉が通じない以上、彼らを安全に魔物から遠ざけるのも困難だ。現時点で考えられる最善策は、彼らに気がつかれる事なく魔物の居場所を把握することだ。

 ただし、一つ気がかりなことがある。それは、彼らも同じネコ科の獣人だという事だ。ネコ科は耳が非常に良く、小さな物音でも容易に聞き取れるため、ヘタに動けば簡単にバレてしまうだろう。

 俺は小動物になったつもりで、慎重に、そして静かに距離を詰めていたのだが、そんな努力も虚しく、嫌な予感は的中してしまう。遠くから聞こえていた会話が突如途切れたのだ。

(気がつかれたか……?)

 気配を頼りにかなり近づいたはずだが、まだ彼らの姿を確認することはできない。ここで動いて見つかってしまったのでは元も子もない。俺は呼吸を浅くし、音を消しながら、彼らの次の行動を待つことにした。

 どのくらい待っただろうか、いくら耳を澄ませど何かが動く音は聞き取れず、聞こえるのは葉が風に揺れる音や鳥たちのさえずりだけだ。俺は足を屈め、低い姿勢を保つ。はたから見れば、大自然の中で用を足しているようにしか見えない格好だ。それでもこのまま待ち続けるしかない。

(頼むから早く動いてくれ……。)

 その時だった。目の前の低い茂みがサワサワと揺れ、白い豹獣人の顔が不意に飛び出してきた。

クライス「……っ!」

 俺は完全に硬直してしまった。何とも言えない気まずい沈黙が流れる中、目が合った豹獣人が、唐突に大声を上げた。

豹獣人「にゃぁぁぁぁ!!!」
クライス「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 お互いに声を上げるなり、俺はその場を一目散に駆け出した。本来なら、こっそり近づいて魔物の居場所を探る予定だったのに、自分の居場所を晒すだけでなく、驚きのあまり逃げ出す羽目になるとは。とんだ大失敗だ。

 走り抜けた先には、開けた場所が広がっていた。そこは過去に戻る前、豹獣人が倒れていた場所だった。そして、その中央には、その彼が立っており、鋭い視線をこちらに向け、手にした槍をまっすぐ構えている。まんまと罠に嵌められたのだ。

 恐らく、先ほど茂みから現れ目が合った豹獣人は、俺をこの開けた場所に誘導するためにわざと姿を現したのだろう。後ろを振り返れば、追いかけてきた豹獣人が距離を詰めているのが見える。

 俺は、目の前にいる体格の良い豹獣人を視界に収め、覚悟を決め、手にした斧を構える。忍び寄る恐怖によって、握りしめた手に汗がにじむ。これまでにも戦闘の前に恐怖を感じたことはあったが、ここまで強い恐怖を感じるのは死を体験してしまったからだろう。今も戦うことを身体が拒否しているのが分かる。しかし、視界内の状況を打破しなければ、悲惨な未来しか待っていない。

 目を見開き、全身に熱が駆け巡る感覚を感じると、体格の良い豹獣人に向かって全力で地面を蹴った。

”ガコン”と鈍く大きな衝撃音が鳴り響く。

 俺は体格の良い豹獣人を背に、魔物の太く鋭い枝を斧で受け止めていた。

 豹獣人の背後には大型の樹木のような魔物が森に溶け込んでいたのだ。彼は俺に意識を持っていかれており、魔物の存在に全く気が付いていなかった。俺が飛び込んだ瞬間、奴は鋭く巨大な鎌のような枝を、彼に向かって振り下ろし、その命を狩り取ろうとしていたのだ。

クライス「クソッたれが!」

 全身の力を込めて斧を押し返しながら叫んだ。その声に反応し、こちらに振り向いた豹獣人は、ようやく自分が魔物に狙われていることに気がついた。

体格の良い豹獣人「にゃに?」

 驚きの声を上げたのも束の間、魔物は振り下ろした鎌のような枝をさらに大きく振り払う。その動きに合わせつつ、勢いを利用し魔物との距離を取った。視界の端に、さっき追いかけてきたもう一人の豹獣人が戻ってきたのが見える。穏やかだった森の雰囲気は、瞬く間に緊迫の色に塗りつぶされ、俺たち三人は無言のうちに協力体制へと移った。

クライス「大丈夫か!?」

 声をかけると、体格の良い豹獣人は敵から目を離さずに大きく頷いた。それを確認し、俺は再び目の前にいる魔物に意識を集中した。

 この魔物の最大の脅威は、太い幹の両側から延びた、鎌のような鋭く太い枝だ。あの枝は見た目以上に素早く動くため、射程圏内に不用意に近づくのは危険極まりない。さらに一撃ごとの威力が桁外れで、そう何度も受け流せるものではない。

 そして大きな懸念点もある。それは、過去に戻る前とは状況が異なっているという事だ。以前は幹に既に傷が入っており、そこに狙いを定めて全力で斧を薙ぎ払うことで倒すことができた。その他にも、奇襲という形で相手の不意を突けたことが勝敗を分けた大きな要因のひとつだ。

 だが、今回は違う。幹には一切の傷がついておらず、あの頑丈な樹皮を一から切り裂かなければならない。それに加え、正面からの戦闘が避けられない状況だ。不意打ちの利点を失った今、三人で協力しなければ勝機は見いだせないだろう。

 幸い、魔物の移動スピードは遅い。それに比べて俺たちは全員ネコ科の獣人のため、速度で負けることはなさそうだ。ふと、戦うよりも逃げるほうが安全だという考えが頭をよぎった。言葉が通じるかは分からなかったが、提案してみた。

クライス「安全を取って逃げるってのはどうだ?」
体格の良い豹獣人「シャー!」
豹獣人「シャー!」

 ダメみたいだった。すごい剣幕でシャーシャー言ってる。2人は全身で威嚇し、魔物への殺意をむき出しにしている。もしかしたら2人の狙いが、最初からこの魔物だったのかもしれない。俺は逃げることを諦めて、倒すことに集中した。

(隙をついて、幹に一発でも撃ち込められればな……。)

 そう考えていると、魔物の背後から蔦のようなものが幾重にも伸び始めた。それらはまるで生き物のようにしなやかにうねり、鞭のような速度と力で俺たちに襲いかかってきた。

クライス「っ!」

 反射的に身を躱し、その場から飛び退く。振り下ろされた蔦が地面に叩きつけられると、土が鋭く抉られ、小石や土埃が辺りに飛び散った。

 襲いかかる蔦を避けるたびに斧を振り上げ、狙いを定め、何本かを叩き斬ってみたが、切り落とされた蔦は間を置かず新たなものに取って代わられ、とても有効な攻撃手段とは思えなかった。

(せめて、この蔦の勢いが止まれば……懐に潜り込めるんだが……!)

 考えを巡らせていると、後方から豹獣人の声が響いた。

体格の良い豹獣人「にゃん!にゃにゃん!」

 振り返ると、彼はもう一人の豹獣人を庇いながら迫る蔦を次々と切り落とし、時計回りに魔物の周囲を移動していた。その背後で、もう一人の豹獣人は槍を構え、真剣な面持ちで攻撃の機会を伺っていた。

クライス「何か策があるのか!?」
体格の良い豹獣人「にゃにゃん!にや~んにやん!」

 ……期待はしていなかったが、やはり猫語だ。

 俺は二人に攻撃が集中しないよう、必死に蔦を切り払いながら魔物の注意をこちらに引き付けるために思考を巡らせた。だが、蔦を避ける為に大半のリソースを持っていかれていたため、ろくな考えも浮かばず、苦肉の策として近くに落ちていた小石を拾い上げ、魔物の顔と思われる部分に向かって力いっぱい投げつけた。

 小石は一直線に魔物へ向かい、「コツッ」という小さな音を立てて、眉間の隙間に見事挟まった。

 その瞬間、魔物の巨大な眼がギロリと動き、俺を捉える。その眼には怒りが宿り、全身から伸びた無数の蔦が豹獣人たちへの攻撃をやめ、一斉にこちらへ向かって襲いかかってきた

クライス「ぎゃぁぁ!流石にその量は無理!」

 情けない叫びを上げながら、俺は飛びかかる蔦を切り払い、必死に避け続けた。しかし、避けきれない何本かが頬や腕をかすめ、鋭い痛みが走る。血がじわりと滲む感触に思わず顔をしかめながらも、足を止めるわけにはいかない。

 その間に、豹獣人たちは一気に魔物の背後へと回り込んでいた。俺が引き付けた隙を逃さず、待機していたもう一人の豹獣人が槍を構え、渾身の力を込めて一気に投げ放った。

 投擲(とうてき)された槍は真っ直ぐ魔物の背中に突き刺さり、深々と食い込んだ。

魔物「ぐおぁあぅうぅぅ!」

 魔物の咆哮が森に響き渡る。その声は周囲の空気を震わせるほどの怒りと痛みを帯びていた。そして、それまで暴れるように蠢(うごめ)いていた蔦がピタリと動きを止めた。

体格の良いの豹獣人「にゃんにゃ!」

 その声が合図となり、俺は魔物に向かって全力で駆け出しながら、斧を構える。腕に全身の力を込め、魔物の太い幹に向けて大きく弧を描くように斧を振りきった。

クライス「――っ!」

 刃が硬い樹皮に深く食い込み、衝撃が腕に伝わる。その刃先は徐々に魔物の中心部に迫るが、幹を覆う鎧のような樹皮が強固に立ちはだかった。

 それと同時に、体格の良い豹獣人が素早く動いた。彼は鋭い一撃を鎌のような枝の根元に叩き込み、勢いよく刃を滑らせてその枝を断ち切った。

魔物「ぎぐぎゃぁぁ!」

 魔物の凄まじい声が響くが、それでもその巨体は倒れることなく立ちはだかっている。

 痛みからか、魔物は巨体を揺らしながら、根を激しく地面に叩きつけ始めた。その衝撃は周囲の地面を大きく揺るがし、俺たちの立ち位置を脅かした。

(ヤバい!)

 俺は咄嗟に斧を引き抜き、後方へ跳んで距離を取った。振り下ろされる根の動きを目で追いながら、どうにか衝撃の範囲から逃れられた。体格の良い豹獣人もまた、素早い動きで根の攻撃をかわしつつ、俺と同じく距離を取っていた。

豹獣人「にゃおにゃお!」

 遠くにいた豹獣人が何かを叫ぶと、何故か魔物の背に刺さっているはずの槍が彼の手元に戻っていた。彼は再び力いっぱい槍を投げ放つと、槍は空気を裂くような音を立て、魔物の顔――その眼を正確に貫いた。

魔物「ぐぎぎゃぁおうぅ!」

 三度(みたび)木霊する凄まじい咆哮と同時に、魔物の根の動きがさらに激しくなり、地面を割る勢いで根を叩きつけた。そして次の瞬間――奴は、予想だにしない行動に出た。

 根をバネのようにしならせ、その反動で槍を投げた豹獣人のもとへ猛スピードで突進したのだ。その動きは普段の鈍重な挙動とはまるで別物で、見る間に豹獣人を射程圏内に捉えていた。

完全に油断していた――その速さは、瞬きする間にも豹獣人に迫るほどだった。

”ザシャ”

 肉を裂く嫌な音が耳を突く。魔物は飛び込んだ勢いのまま、その鋭い鎌のような枝を振り下ろしていた。鮮血が宙を舞い、辺りを真っ赤に染めた。

クライス「クソ野郎が!!」

 怒りで身体が無意識のうちに動き、俺は無我夢中で斧を構え直し、猛然と走り出した。バランスを崩している魔物を狙い、全力で地面を蹴り上げる。

クライス「おらぁぁぁぁっ!」

 身体を回転させ、その勢いを乗せて斧を振り抜いた。鈍い衝撃が腕に伝わり、刃が硬い樹皮を切り裂く感触を捉える。今度は確かに、魔物の幹の中心――柔らかい部分まで刃が達していた。

魔物「ぐ、ぎゃ……!」

 樹木のような魔物は、最後の抵抗の咆哮を上げながら、その幹を大きくしならせ、音を立ててへし折れた。魔物の巨体が地面に崩れ落ち、辺りに静寂が訪れる。

 完全に動かなくなったことを確認し、豹獣人の安否を確かめるため、魔物の巨大な根を飛び越えた。先ほどの魔物の一撃が致命傷でないことを祈りながら―—。

 だが、視界に飛び込んできたのは、背中を大きく切り裂かれ、地面に座り込む体格の良い豹獣人の姿だった。その腕の中には、彼が庇っていたもう一人の豹獣人が気を失ったまま抱えられている。

クライス「おい!大丈夫か!?」

 俺は慌てて彼の隣に膝をつき、様子を伺った。体格の良い豹獣人の呼吸は途切れ途切れで、今にも消え入りそうなほど弱々しい。それでも、彼は残された力を振り絞り、ゆっくりと俺を見上げた。

 その目は力強く真っすぐに俺を捉え、その後、腕の中でぐったりしているもう一人の豹獣人に視線を落とした。

体格の良い豹獣人「おにゃおにゃお……にゃおん……」

 かすれた声で猫語を呟くと、彼は静かに目を閉じ、地面に倒れ込んだ。

クライス「嘘だろ…」

 目の前の命の灯が、次第に消えていこうとしている。浅い呼吸はさらに弱まり、今にも止まりそうだ。

クライス「クソッ!なんでだよ!」

 思わず叫んでいた。その声に反応したのか、彼の腕の中で気絶していたもう一人の豹獣人が微かに動きゆっくりと目を開けた。

 目の前の惨状を見た彼は一瞬呆然としたが、すぐに我に返ると、倒れた豹獣人の傷口を必死に押さえ始めた。しかしその努力もむなしく、彼の手は瞬く間に真っ赤に染まり、傷口からは赤黒い血液が溢れ続けている。

(この速さで血液を失ってしまったら、もう――。)

 最悪の結末が頭をよぎる。

クライス「……何か、何か手はないのか!」

 焦燥感に駆られ、思考が空回りする中、それでも何とか状況を打開する方法を探そうと必死に考えた。

 (――傷口。この傷をどうにかできれば……。)

 そう思慮を巡らせた時、不意に背負っている袋の重さが妙に気になった。

クライス「ポーション!」

 無意識に大声が出た。俺は急いで袋を引き下ろし、中からポーションの小瓶を取り出し、迷うことなく傷口にポーションを振りかけた。

クライス「頼む!効いてくれ!」

 それは半ば願望に近かった。もし彼がこの場で命を落とせば、残された豹獣人はまた大切な存在を失うことになる。彼を救いたい――それと同時に、家族を失う悲しみを彼に二度と味合わせたくなかった。

 俺の願いが通じたのか、ポーションが傷口に染み込むと、淡い緑色の光が放たれた。その光が傷を包み込むように広がり、驚くべき速さで傷口が塞がり始め、溢れる血は止まり、ついには完全に傷が閉じた。

クライス「……すげぇ……」

 ポーションの奇跡的な効果に、思わず感嘆の声が漏れた。あれほど深かった傷が、嘘のように跡形もなく消えている。まるで何事もなかったかのようなその背中を見て、彼が助かったという事実に安堵の波が押し寄せた。

 だが、その安堵も長くは続かなかった。

 血だまりの中、彼はまだぐったりとしており、その呼吸は止まりかけているほど浅いままだったのだ。

クライス「血が足りてねぇのか……ポーションを飲ませるぞ!」

 これは一種の賭けだった。通常ポーションは、何でもかんでも治癒できるような万能薬ではなく、その効果は品質によって大きく左右される。それでも、先ほどの奇跡的な治癒を目の当たりにした俺には、このポーションに賭けるしか選択肢がなかった。

 彼の身体をそっと仰向けにし、自分の膝で上体を支え、2本目のポーションの瓶を口元に当て、少量ずつ飲ませていく。彼の喉が動くのを確認しながら、何度も、何度も繰り返した。

クライス「頼む……生きろ!」

 そのたびに、彼の呼吸はほんの少しずつだが深くなり、胸の上下が規則正しくなっていくのが分かる。

 そして、瓶が空になった時、ようやく彼の呼吸が落ち着いた。

クライス「良かった……これならもう大丈夫だろう」

 近くで終始泣きそうな表情で彼を心配していた豹獣人は、今もなお彼が死んでしまうのではないかと、とても不安そうな顔でこちらを見つめていた。

クライス「安心しろ、もう大丈夫だ。」

 俺はそっと彼の頭を撫でた。少しは不安が拭えたのだろうか、心なしか表情が柔らかくなった気がする。

クライス「このまま、ここにいるのは危険だ。一度お前たちの集落に戻った方がいいと思うんだが、案内頼めるか?」
豹獣人「にゃ~ん。」

 彼は笑顔で頷いた。その反応に、俺は確信めいたものを覚える。彼らの猫語は理解できないが、少なくとも俺の言葉は通じているようだ。これまでのやり取りを振り返ってみても、その可能性は高い。

 相手の言葉を理解できないのは正直不便だが、それでもこうしてお互いの意思を伝え合えるのは十分にありがたい。

 そう考えながら、俺は体格の良い豹獣人を背負い、移動の準備を整える。彼の体は思った以上に重かったが、その重みが命の重さを実感させた。

豹獣人「にゃっににゃお~。」

 もう一人の豹獣人が何か言いながら手招きをする。その仕草に従い、俺は足元に気を配りながら歩き出した。

 風が木々の間を通り抜け、どこか穏やかな音を立てている。その音は、不思議と心を落ち着かせてくれる気がした。

◇  ◇  ◇  ◇

 豹獣人の集落に着くと、まず彼らの家に案内された。その家は決して大きくはなく、こぢんまりとした簡素な造りだ。家具も必要最低限のものしか置かれておらず、一部屋に二台のベッド、机と椅子、そして小さな調理場があるだけだった。

 体格の良い豹獣人をベッドに寝かせると、突然ドアをノックする音が響いた。もう一人の豹獣人が慌ててドアを開けると、そこには大柄な豹獣人らしき人物が立っていた。

 「らしき」というのも、その圧倒的な体躯のせいだ。ドア枠に納まりきらず、見えるのは胸から下だけ。腕どころか顔すら見えない。扉の向こうに胸そのものが「立っている」という状況に、思わず二度見してしまった。

 そんな「胸」と豹獣人は何やら猫語で会話を交わしているが、やがてそいつは姿勢を低くし、ついにその顔が現れた。その豹獣人の視線が俺に向けられ、扉から顔だけ前にのめり込ませてきた。

大柄の豹獣人「シャー」

 威嚇された…。今にもドアをぶち破って襲い掛かってきそうな気迫で威嚇された…。しかし、そんな緊迫した空気を裂くように、かすれた声が響き、胸野郎の後ろから、年老いた豹獣人がゆっくりと現れた。

 老豹は穏やかに俺に会釈をすると、そのままベッドの傍に歩いていった。彼に続いて、胸野郎ともう一人の豹獣人も後を追う。

 老豹と胸野郎は、ベッドで静かに眠る豹獣人の様子を確認すると、ほっとしたように表情を緩めた。それから、老豹がこちらに向き直り、謎の猫語で話しかけてくる。

年老いた豹獣人「みゃんみやん。みゃおみゃおん、みゃみみゃおん。」

 もちろん、言葉の意味など分かるはずもない。

クライス「すまん。俺には、お前たちの言葉が理解できないんだ。」

 その返事を聞いた老豹は、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を和らげ、俺に向かって深々とお辞儀をする。そして次には、胸野郎に向き直り、眉を吊り上げ何やら軽く叱りつけた。

 叱り終えるや否や、再び俺に振り返り、丁寧にもう一度お辞儀し、胸野郎のお尻をぴしゃりと叩いて、ぶつぶつと何かを言いながら立ち去ってしまった。それはまるで、子供を躾けている父親のように見えた。

 取り残された胸野郎は、すっかり気まずそうに縮こまり、俺の方に振り返ると、小さく頭を下げた。

胸野郎「みやん」

 あれほど威圧的だった胸野郎が、まるで子猫のような可愛らしい声で鳴いている。

クライス「あぁ……さっきのことは気にするな。俺は平気だ。」

 恐らく先ほど威嚇したことを謝罪したかったのであろう。彼は顔を上げると、その体格に似合わない人懐っこい笑みを見せた後に、息を吸い込み威厳のある表情を作り、胸を張って家を出ていこうとした。

 と思ったら両肩と顔面をドア枠にぶつけ、気まずそうにこちら見ている。

 うん。絶対にぶつけると思った。だってさっき入り口の扉から胸しか見えてなかったもん。それなのに胸を張って出て行こうとした時には、申し訳ないけど、バカなのかなって思っちゃったよ。誰がどう見ても、ぶつける事は目に見えてたのに、自信満々に扉に激突しに行ってたから、若干の狂気を感じたし、大混乱だ…。

 そんなことを脳内で考えている間に、一緒にいた豹獣人はケタケタと笑いながら何やら声をかけていた。恐らくいつものことなのだろう……。

 他の豹獣人よりも発達したその身体は、一般的な家庭の扉を正面で通り抜けることはできないのであろう。胸野郎は、今度はカニのように指をチョキチョキさせ、カニ歩きをしながら出ていった。

(なんだか憎めないやつだな……)

 そう思った。

 隣では、豹獣人が先ほどのカニ歩きにツボったのか、ゲラゲラと笑っていた。それを見て俺も自然と笑みがこぼれた。



クライス「さて、これからどうするかな……」

 過去に戻ったことで、豹獣人たちを救うことには成功したが、この先どう動けばいいかは全くの白紙だ。情報を集めたいと思うものの、この集落で使われている猫語は、俺には理解することができない。さらに、この近辺に他の村や街があるかすら分からない。考えれば考えるほど、手詰まり感が増していく。

 そんな俺の様子に気づいたのか、先ほどまで笑っていた豹獣人が手振りで何かを伝えてきた。口元に手をやり、食べ物を頬張るジェスチャーだ。

クライス「飯、食っていけってか?」
豹獣人「にゃ~」

 問いかけると、豹獣人はにっこりと笑顔を浮かべ、大きく頷いた。

 確かに、大型の魔物と戦った後だ。腹が減っているのは間違いない。この状況で空腹を抱えたままでは、冷静に考える事すら難しい。それに、この豹獣人たちは俺の言葉を理解しているみたいだから、近くに村や街があるか尋ねれば教えてくれるかもしれない。

 よくよく考えてみれば、俺の言葉を理解してくれるのは、同じネコ科だからこその特性なのかもしれない。だとすれば、この集落以外では言葉が通じない可能性もあるだろうし、今後のことを考えると、少しでもここで情報を集めた方が良いのかもしれない。

クライス「それじゃぁ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。」
豹獣人「にゃ~ん!」

 豹獣人は嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく手を振って俺を促した。その無邪気な仕草につい頬が緩んだ。

 俺は軽く笑い返しながら、彼の後についていくことにした。

◇  ◇  ◇  ◇

 豹獣人たちの食事は、その日の自給自足が基本のようだ。彼の後をついていくと、湖に案内され、釣り竿と餌を手渡された。どうやらここで魚を釣れということらしい。

 俺が湖に向かって竿を垂らしている間、豹獣人はせっせと周囲の野草やキノコを集めていた。その姿は実に楽しそうで、彼が戻ってきた時には、手に持っていたカゴがすっかり満たされていた。カゴの中には、青々とした野草や、鮮やかな色をしたキノコがぎっしりと詰まっている。

 それに対して俺の方はというと……残念ながら丸坊主だ。

クライス「すまんな。まだ釣れてないんだ。」

 苦笑いしながらそう告げると、豹獣人は気にする様子もなく、ニコニコと笑顔を浮かべながら俺の横に腰を下ろした。

 暖かい風が湖面を揺らし、静かな空気が流れる。その中で竿の先端にピクッとした反応を感じた。

クライス「来た!」

 すかさず竿を上げ、湖面から魚を引き上げると、銀色に輝く美しい魚が目に入った。その魚は、それなりの大きさがあり、十分食べ応えがありそうだった。

 豹獣人は銀色の魚を目にすると、目を輝かせ、満面の笑みを浮かべながら俺に話しかけてきた。

豹獣人「にゃお〜ん!にゃお~ん!」

 言葉は相変わらず分からないが、その喜びようから彼の気持ちは十分伝わってくる。俺も釣り上げた魚を眺めながら笑みを返した。

 大きな魚とたっぷりの山菜を手に、俺たちは家へと戻った。

 扉を開けると、中には体格の良い豹獣人が椅子に座っていた。

”ガコッ”

 何かが床に落ちる音が響いた直後、俺と一緒に戻ってきた豹獣人が彼に向かって飛びついていた。

豹獣人「にーにゃん!」

 力いっぱい抱きつき、堪えきれずに泣き出していた。これまで平静を装っていたが、心の底ではどれほど彼を案じていたのか、その涙が物語っていた。

 体格の良い豹獣人は、泣き続ける豹獣人をそっと抱きしめ返していた。言葉を交わすわけでもなく、ただお互いの存在を確かめ合っているようだった。

 それは、とても暖かな日だった。空にはゆっくりと陽が昇り続け、穏やかな時間が流れていく、そんな日だった。



 ひとしきり泣き終わると、体格の良い豹獣人と泣いていた豹獣人が、揃って俺に深々とお辞儀をしてきた。その後、促されるまま席に座ると、体格の良い豹獣人がさっそく俺たちが採ってきた山菜や魚を使い、手際よく料理をし始めた。

 その間、俺はもう一人の豹獣人に軽く話を振ってみることにした。

クライス「あいつは、お前の兄ちゃんか?」

 槍の手入れをしていた豹獣人は、顔を上げて大きくうなずき、ニコニコと笑顔を浮かべた。

クライス「そうか。兄ちゃんが無事で良かったな。」
豹獣人「んにゃ~」
クライス「なぁ、一つ聞きたいんだが、ここの近くに街か村は無いか?」
豹獣人「にゃんにゃ~」

 その問いに豹獣人は迷わずうなずき、扉の向こうを指した。そして、二本の指を足に見立てて動かし、左に一度、右に一度曲がる仕草をしてみせた。

クライス「おぉ、近くにあるのか!」
豹獣人「んな~」

 期待が高まる俺を見て、豹獣人はふいに俺を指さす。そして、本を読むような仕草をしてきた。

クライス「……本を読めってことか?」
豹獣人「にゃんにゃん!」

 それが当然だろ、と言わんばかりの表情だ。軽く肩をすくめているのもなんだか挑発的だ。

(こいつ、俺の知識不足を遠回しに指摘してきやがったな……!)

 実際、俺は本を読むのが得意じゃない。特に魔導書なんて、読む気さえ起きない代物だ。だが、それをこうも当然のように言われるとは思わなかった。俺よりも年下であろう豹獣人に返す言葉もなく、俺は視線を泳がせた。

 そんなやり取りをしていると、体格の良い豹獣人が料理を運んできた。俺が釣り上げた銀色の大きな魚が、丸焼きにされて湯気を立てている。その上には、香ばしく炒められた山菜とキノコがたっぷりと、餡のようなものと共にかけられていた。鮮やかな緑とキノコの淡い茶色が魚の焼き目に映えて、なんとも食欲をそそる。さらに立ち上る香りは、胃袋を一気に刺激してきた。

クライス「……いい匂いだ。」

 言葉を飲み込む間もなく、俺の腹の虫が盛大に音を鳴らした。豹獣人の兄弟はその音を耳にすると、大笑いし始めた。その楽しげな笑い声に、俺もつられて大声で笑っていた。

 笑い声が落ち着くころには、他にも山菜料理が並べられていた。俺はその光景に改めて感心しながら、ふと自分の袋の中にパンが入っていることを思い出した。

クライス「そうだ!ほらよ。」

 おもむろに袋からパンを取り出し、兄弟それぞれに手渡す。豹獣人たちは目を輝かせてパンを見つめると、俺に向かって小さくお辞儀をした。

 丸焼きの魚はふっくらと焼き上がっていて、山菜とキノコの餡掛けはほんのり塩気が効いている。その味わいは、想像以上にうまかった。パンと一緒に食べればまた絶妙な組み合わせだ。

豹獣人「ゴロにゃ~ん!」
クライス「うまいな、これ。」

 言葉は通じなくとも、俺たちは美味いものを分かち合い、同じ喜びを共有できている。そんな温かなひと時に、心も満たされていくのを感じた。

◇  ◇  ◇  ◇

 翌朝、俺は豹獣人の兄弟に礼を言い、この集落を後にすることにした。昨日何度も教わった道を辿れば、街か村にたどり着けるだろう。別れ際、弟の豹獣人は寂しそうな顔をして、名残惜しそうに俺を見送ってくれた。彼はずっと何かを「にゃんにゃん」と言い続けていたが、結局その意味を理解することはできなかった。

 一方、兄の豹獣人からは、宝石をあしらった美しい首飾りを渡された。それは、この集落や彼らの民族を象徴するような独特で力強いデザインのものだった。

クライス「いや、気にしなくていい。俺は何も大したことしてない。」

 首を横に振ると、首飾りを俺に押しつけるように手渡した。どうやら受け取らない限り、この集落を出ることは許されないらしい。俺は彼の行為を、ありがたく受け取ることにした。

クライス「ありがとう。大切にするよ。」

 そう言って首飾りをかけ、集落を後にした。時折振り返ってみたが、兄の豹獣人は、俺が見えなくなるまで手を振っていた。

 彼らに教わった道を進んでいると、後ろから森の静寂を破る声が聞こえてきた。

豹獣人「にゃっにゃ~!」

 振り向くと、先ほどまで寂しげな顔をしていた弟の豹獣人が、こちらに向かってくるのが見えた。そして俺の目の前に立ち止まると、息を整えながら真剣な表情で俺を見上げる。

クライス「どうした?」
豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ」

 まただ。別れ際にも何度も繰り返していた猫語だ。しかし、言葉が通じない以上、推測するしかない。忘れ物があるなら持ってくるはずだが、彼の手には何もない。つまり何か別の理由があるのだろう。

豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ」

 彼は、さらに真剣な顔で同じフレーズをゆっくり繰り返している。その必死さに押され、俺もつい試しに彼を真似して声に出してみた。

クライス「おんお、にゃんにゃっにゃ…?」

 ……何の進展もない。言葉にしてみたが、やはり意味も理解できない。

豹獣人「おんお、にゃんにゃっにゃ!」

 それでもまだ彼は諦めずに、何度も同じ言葉を繰り返してる。仕方ないのでリズムに合わせて、適当な言葉を当てはめてみることにした。

クライス「おまえ、ツヨかった……?」

 もしかして、わざわざ俺を称賛するために来てくれたのか?……なんとも可愛いやつじゃないか!

クライス「そんなに褒めるなって。照れるじゃないか~」

 自分で言って、少し得意げになったその瞬間、豹獣人が全力で首を振り始めた。いや、振りすぎだろ!首がちぎれるんじゃないかってくらい、左右に振り回している。

クライス「……そこまで否定しなくても……悲しくなっちゃうよ……?」

 そんな俺の言葉を聞いて、豹獣人は更に激しく首を振る。あまりの速さに残像が見え、三つ首になっているかと錯覚してしまうほどである。

クライス「首が増えてる!一旦落ち着け!!」

 豹獣人の肩をがっしりと掴み、高速で左右に揺れる首を止めるよう促した。しばらくすると首の動きが止まり、豹獣人と目が合う。

クライス「俺が強かったって言いたかったのか?」
豹獣人「にゃぁぁぁぁぁ!」

 目の前の豹獣人が震え始め、再び三つ首のケルベロスのように見え始める。

クライス「うわぁぁぁ!ごめんごめんごめん!そうじゃないよな!」

 高速で顔を左右に振る豹獣人を必死でなだめる。言葉の壁を感じながら彼が落ち着くまで数秒待った。その後、豹獣人が肩で息を切りながら、こちらを見てきた。

クライス「俺が――」

 言葉を発するや否や俺の顔面に肉球が押さえつけられた。豹獣人はうんざりした顔をのぞかせ、今度は自分に指を指したまま「おんお」と一言。次に俺を指さし、歩く真似をしながら「にゃんにゃっにゃ!」と言ってきた。

 そのジェスチャーに、ようやくピンときた。

クライス「……もしかして、俺も、連れてってって言いたいのか!?」
豹獣人「にゃん!!!!」

 弟の豹獣人は目を輝かせ、大きくうなずいた。その純粋な反応に、俺は思わず苦笑いしてしまう。

クライス「……お前、ついてきたら大変な目に遭うかもしれないんだぞ?」
豹獣人「にゃんにゃ〜ん!」

 まるで覚悟はできていると言わんばかりに、胸を張る豹獣人。その様子を見て、俺は深くため息をつきながら肩をすくめた。

クライス「まったく、しょうがねぇな。じゃあ、一緒に行くか。」

 そう告げると、彼は満面の笑みを浮かべ、俺の隣に並んだ。旅は、一人よりも二人のほうがきっと楽しいだろう。

クライス「おっと、そうだ。大事なことを忘れるところだった。」

 ふと思い出し、俺は懐中時計を取り出す。銀色に輝くその表面に触れ、上部のボタンを押して、過去に戻るポイントを更新した。

クライス「これで準備完了だな。」

 隣を歩く豹獣人は、時計を操作する俺を不思議そうに見つめていたが、特に深く追及することもなく、またニコニコと笑顔を浮かべている。その無邪気な顔を見ていると、俺は肩の力が抜けたような気がした。

クライス「さて、行こうか。」

 彼と共に歩き出し、未知の街へと足を進める。俺たちの旅は今、ようやく始まったばかりだ。

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