東京マラソン2024
3月3日に東京マラソンを走ってきた。
結果は2時間32分37秒で211位。
途中で足の痛みが出てしまい、思うように走ることができず、不甲斐ない結果に終わってしまった。言うまでもなく失敗レースであり、何も成し遂げることができなかった。
手に入れることができたのは、完走メダルとフィニッシャータオルくらいである。
そんな今回の失敗レースについてnoteに書き残すつもりはなかったのだが、熱狂的なファンから私が書いたnoteを読みたいというメッセージが届いた。
それが誰なのかはさておき、自分を応援してくれるファンの気持ちを汲むことも競技者として必要なことだと私は思っている。
何が面白いのかは自分でもよく分からないのだが、その熱狂的なファンの期待に応えて、今回の東京マラソンのふり返りをここに書き綴りたいと思う。
故障と準備のこと
2023年の6月に左足底の故障をしてから、こんなにも後を引くことになるとは私も思っていなかった。
12月3日に走ったNAHAマラソンは、故障中でありながらも、想定していた中で一番いい走りをすることができたと思っている。
それから3か月も経つのだから、足の状態も改善して、そのときよりもいい走りができるだろうと見込んでいた。これは単なる希望的観測でしかない。
ところが、足の状態は思ったよりも良くならなかった。
それどころか、何がいけないのか自分でも分からなくなってしまうほどで、いろいろと困惑した。
足が痛いというストレスがどれだけランナーを苦しめるかは、ランナーなら分からない人はいないと思う。それは朝起きる気力すらも奪うほどで気温が低いときは尚更だった。
走り始めるまでに心が折れてしまうことが何度もあり、それはそれだけ走る距離が減ったということでもある。
40㎞走をやろうと思っていたのに32㎞でやめてしまったことも何度かあった。
東京マラソンまでにやっておきたかったトレーニングは全体の30%くらいしかできなかった。準備不足だったことは認めざるを得ない。
とは言え、NAHAマラソンのときよりはマシだろうと思っていた。あのときは32㎞走もまともにできていなかったからだ。
それゆえに、今回はベストタイムを狙うことはできないけれど、全く走れないわけでもないので、2時間18分くらいが落とし所になるのではないかと見込んでいた。
レース前日のこと
私が住んでいる長野県茅野市から東京都(新宿)までは特急列車に乗れば片道2時間で行くことができる。
私が乗ったのは、8時43分茅野駅発の特急あずさ12号だ。
8時ちょうどでもなければ、あずさ2号でもないのだが、気分は狩人のソレに近いのかもしれない。
東京まで意外と近いと思っていたわけだが、北海道は飛行機に乗れば1時間半で来れると言われて、なんだか負けた気がした。
そろそろ、どちらの方が東京から近いかを競う田舎者あるあるを卒業したいところだ。
新宿までは割とあっという間だった。
受付会場は京王プラザホテル、
今年もこうやって吊るし雛を見ることができて、ここに来れたことに対する喜びを感じることができた。
受付も物品の確認をするくらいで、特に何かがあるわけではない。
受付の後は、ランチをして、ホテルにチェックインして、ゴロゴロして、夕飯を食べて寝るだけだ。
ランチはパスタを食べに行った。
なぜパスタなのか。
なんとなくだ、深い意味はない。
その他にレース前日にやることと言えば、スペシャルドリンクを作る作業くらいだ。
今回は事前にボトルを作成してきたため、ドリンクを入れるだけだった。
ボトルにメッセージを書いてもらったのだが、ツッコミどころが満載であることは言うまでもない。
あとは、寝る前にユニフォームの写真を撮ってSNSに載せるくらいだ。
当日応援に来てくれる友人に、どんなウェアーを着て走っているかを伝えるためにも大事なことだと思う。
ただ、人によっては着る服だけでなく、帽子、時計、サングラス、靴下、シューズなど身に着ける全てのものに加えて、持っていく食糧や走る前に飲むドリンクまで一緒に載せている人もいる。
そこまで載せなくてもいいのにと思うのだが、長い旅に出る前の心境というのはそんな感じなのかもしれない。
マラソン当日のこと
東京マラソン当日は、京王プラザホテル内のスペシャルドリンク受付所で受付をして、エリート待機場所に向かうところから始まる。
このエリート待機場所というのはかなり特殊な場所で、テレビでよく見るランナーや実業団・大学の監督など錚々たる顔ぶれが集まっている。
緊迫した雰囲気かと言われるとそれは何とも言えないところで、ピリピリしている人もいれば、世間話で盛り上がっている人たちもいる。
実業団の監督さんたちは、最近腰が痛いとか、健康診断に引っ掛かったとかそんな話をしていた。
いろんな人が集まるということからも、数年ぶりに再会しているランナー同士も少なくない。
ちなみに私も2008年に小布施見にマラソンで一緒に走った川嶋伸次さんと15年ぶりに再会することができ、少しだけお話をすることができた。
その事実を証明するするためにも、大会のホームページへのリンクを貼っておきたいと思う。
その後は、待機場所から選手控え室の都庁へ移動するのだが、ここも独特の雰囲気がある。
正直言って、私はここの雰囲気がすごく苦手で、何と言えばいいのか、世界のトップクラスのランナー、日本のトップクラスのランナーなどすごい人がいすぎて、自分がいかに小さい人間であるかを突き付けられているような気がするのだ。
当然だが、ここにいるランナーのほとんどは私よりも速い人たちだ。
もちろん気も遣う。
そんな中で日本のトップクラスのランナーが、気さくに話してくれるとちょっと心が和む。
それだけでファンになったランナーは少なくない。
ここまで来たら、あとはアップして、着替えて、スタート地点に移動してスタートするだけだ。
意外とあっという間にそのときは訪れる。
レースのこと
今回は、女子の先頭集団についていくことにした。
前日の情報(テクニカルミーティング)では、ペースにして3分11秒~12秒/kmということだったので、無理のない範囲だと思ったからだ。
ポジションは集団の最後方、集団の中で走るのが苦手というのもあるが、接触リスクの回避や集団全体の動きを見るためにも最後方にいるのは悪くない。
今回は招待選手のシファン・ハッサン選手と同じ集団だったが、意外と彼女が集団の後ろの方にいることが多かったため、走りを間近で見ることができたのは良かった。
身長も高く、脚がものすごく長くて、特に膝下が長かった。
沿道からもハッサン選手の応援が多かった。なぜか新谷さんの応援もたくさんあったが、新谷さんが別の集団だったことは知らなかったのだろう。
女子の先頭集団にいたのは16kmくらいまでで、そこからは少しずつ離されていった。
足の違和感が増していって、踏ん張れなくなってきたというのが大きかった。
そこからは招待選手のサルピーター選手と一緒に走っていた。
彼女は健康のために走り始めてジョガーからトップランナーになったというとんでもない選手であり、東京マラソン2020の女子優勝者でもある。
なぜ、そんなことを知っているのかと言うと、
2020年にも一緒に東京を走っていたからだ。
彼女は私のことなんて1mmも覚えていないだろうが、こんなにも素晴らしいランナーとまた同じレースを走ることができて光栄だと思った。
もうこのままいっても私の左足は長くもたないことを察していたので、少しでも彼女が走りやすいように前に出て、向かい風を受け、しばらく引っ張ってからやめようと思った。
それだけ、左足は激痛だった。
22kmを過ぎたあたりで、痛みがひどかったため、ペースを落としてジョグに切り替えた。
我慢して走れば30kmくらいまではいけたのかもしれないが、その前に私の心が足の痛みに負けたのだ。
そこからは、静かな時間が流れた。
これは感覚的なものだと思うのだが、スピードが落ちたこともあり、1人で走ることになったからだろう。
痛みはあるけれど、なんとか走れる状況だったため、ジョグを続けることにした。
こうなったとき、名前入りのビブスを付けて走るのは結構つらい。
名前で応援してもらっても、それに応えることができないからだ。
いくら「頑張れ」と言われても、もうゆっくりゴールまで行くしかできない。
応援に来てくれた友人に、下を向いて走る姿しか見せることができないのがとにかく惨めだった。
それからは後ろからたくさんの人に抜かれた。
走りながら声をかけてくれる人もいた。
それでも悔しいとかそういう気持ちはなく、ただただ足が痛いことが悲しいだけだった。
それでも37kmくらいからはあっという間で、足は痛いけど、キツイとか苦しいわけではなく、ただ時間の経過とともにゴールが近づいてくる感覚だった。
こうして私の東京マラソンは終わった。
終わった後のこと
走り終わってまず思ったのは、良くも悪くも終わって良かったということだ。
今回はスタート前から、うまく走れるかどうか分からなかったので、もしかしたら途中で止まってしまうかもしれないという想定はしていたのだ。
だから、落ち込んだり、泣いたり悔やんだりすることもなかった。
落ちるときは落ちるものだと思っただけだ。
マラソンはギャンブルみたいなところがあるので、うまくいかないときは本当にうまくいかない。
万全の準備をして臨んでも、うまくいかないことがあるのだから、何かトラブルを抱えて臨めばそれは尚更である。
スパッと割り切って次に向かえばいい。
それでもゴールした後に、うまくいったランナーもそうでなかったランナーも、一緒になって互いを称え合うことができるのがマラソンのいいところだと思う。
「全然ダメだった」
「ゴールできただけでも良かった」
「全く動かなかった」
「やっぱり距離踏まなきゃダメだ」
「年寄りにはキツイ」
そんなことを言いながら、着替えて、荷物をまとめて笑っているランナーの姿は意外とカッコいいし、悪くないと思った。
最後に
今回は私の失敗レースについてまとめて書いてみた。
自分で言うのもなんだがつまらない文章だと思うし、何の意味があるのかと思っている。
なぜなら、結果が出ていない者の言葉など、価値がないからだ。
競技者にとって結果を出すことが至上命題なのは、そんなところにあると思う。
やはり、自分が信じたこと、貫いてきたこと、やり遂げたことを誰かに伝えたいと思ったら、結果を出さなければならない。
そのために日頃から工夫してトレーニングに取り組んでいるのだ。
やっぱり良い成績を残したいし、少しでも速く走りたい。
そのためにも、少しでも早く足のトラブルを解決したいと思う。
いただいたサポートは、アイシングの財源にしたいと思います。