ぬけぬけ病
どうやら、「ぬけぬけ病」というものになってしまった。
年が明けた頃、jogをしているときに、右脚の付け根に違和感を覚えるようになった。
右脚が地面についたときに、力が入らないというか、力が抜けるというのか、とにかくうまく走れなくなってしまったのだ。
そのときは、12月に2本のマラソンを走った疲れによるものかと思ったため、無理せずに休養を取ることにした。
実際に、このときは両脚の太腿が張っていたので、それが原因だと思っていた。
しかし、2,3日休養を取っても違和感は改善されなかった。
軽くjogをしてみると、相変わらず右脚に力が入らなかった。
走る以外の動作には何の支障もないため、普段通りに生活はできるのだが、走り始めると、途端に動きがおかしくなる。
逆に走った方が、身体が動いて温まって改善することがあるのではないかと思って、強引にjogをしてみると、今度は違和感のある部分を庇ってしまって別の部位(腸脛靭帯等)を故障しそうになってしまった。
この「違和感」というのが、一体どんなものなのかというと、鍼治療で筋肉に鍼を打ったときに、神経に当たったときのような嫌な感じのものだ。
痛いわけではないのだが、すごく嫌な感じなのだ。
だから、不意に庇ってしまうのだ。
そして、違和感は2週間以上経過しても改善することは無かった。
今年は、2月28日の「びわ湖毎日マラソン」に出場しようと思っていたのだが、エントリーの申込期限になっても、違和感が解消されることがなかったため、出場を見合わせることにした。
エントリーだけはしておいて、その後の経過によって出場の可否を検討するという手もあったかもしれないが、最後まで諦めないことももちろん大事だが、早い段階で見切りをつけることも同じくらい重要だと判断した。
さて、この違和感の正体であるが、私は早い段階から「ぬけぬけ病」なのではないかと疑っていた。
「ぬけぬけ病」と聞くと、ケガや故障ではなく、病気なのかと思ってしまうが、そういうわけではない。
「ぬけぬけ病」は、長距離ランナーに多く見られるもので、人によって症状は異なるのだが、脚に力が入らなくなったり、外側に重心が逃げてしまったり、脚が棒のようになったり、コントロールできなくなったりするというものだ。
また、「ぬけぬけ病」というのは、あくまでも俗語で、「局所性ジストニア」という名称の病だという。
「局所性ジストニア」と聞くと、ますます厄介な病気のような気がしてしまうのは私だけではないだろう。
ぬけぬけ病は、原因や治療法がはっきりとは確立されていないことや、これによって引退に追い込まれたランナーが多くいるということからも、治療の難しさを感じている。
思い起こせば、今年の元旦にひいたおみくじに、
「病気(やまい) 重し、医師を選べ」
と書かれていた。
私は、占いや運勢をそんなに信じるタイプではないのだが、流石にこれは気になって仕方がなかった。
これから、自分がどうなるのかが全く読めない。
例えるなら、いつ割れてしまうのか分からないような氷の上に立っているような感覚だ。
ただ、調べてみると、「ぬけぬけ病」は脳に原因があって、外科手術によって治すことができるという。
しかしそれは、頭蓋骨の一部に穴を開けて、原因となる部分に電気ショックをかけるというものだ。
とは言いながらも、流石にそこまではできない。
あるのかは分からなくても、他の方法を模索すると思う。
それが「弱さ」と言われればそれまでだが、私はそこまで強くはない。
また、困ったことに、走れなくなってからは何もしたくなくなってしまった。
走ることに使っていた時間を他のことに費やせば、いろんなことができるということは頭では分かっていても、身体が動かないのだ。
休みの日は、お昼近くまで布団の中から出られないし、外に行く元気さえも起きない。
客観的に見ても、自分がヤバいことが分かる。
せめて、jogだけでもできれば全然違うのだと思う。
そして、意外とダメージを受けるのが、周りからの悪気のない一言だったりする。
自分が走れない原因が、局所性ジストニアというものだということを伝えたときに、「何それ?美味しそう。」と言われてしまうと、そんなことでさえも凹んでしまう。
また、外科手術によって治すことができるみたいだという話をしたときに、「手術で治るなら、すぐにすればいいじゃないか。」というのも、結構ショックだった。
挙句の果てには、「ラーメンマンも、頭をベアクローで刺されて、植物人間となった後に、モンゴルマンになってパワーアップしたぞ。」と言われたときには、一体どういうリアクションをしたらいいのか困ってしまった。
どれも、励ましの言葉に違いないのだろうが、少なくとも今の自分はそれを真っ直ぐに受け止めるほどの余裕が無いように思う。
人間、弱っているときなんて、そんなもんなのかもしれない。
これなら、疲労骨折でもしていた方が、よほどマシなのではないだろうかとも思ってしまう。
2月1日に、4月の長野マラソンの中止の決定が出た。
幸か不幸なのか、しばらく目指すものは無くなった。
分からないときには、分からないなりに悩むことにも意味があるし、今はそういうときなのかもしれない。
この症状に悩まされているランナーは、他にもいるはずだし、せっかくなら、この機会に対処法を見つけてやりたいという気持ちもある。
数少ない選ばれし者として、今の状況を打開することを目指していきたいと思う。