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福岡国際マラソン2021

12月5日に福岡国際マラソンを走ってきた。

10月31日に金沢マラソンを走ってから、約5週間。
準備期間としては短い期間ではあったが、疲労を取ったり、調子を整えたりしながらも、計画していたトレーニングは取り組むことができたように思う。

レースペース(3'10~3'15/kmのペース)でのトレーニングは2回、16kmをロードとトラックでそれぞれ1回ずつ。

長い距離を走るトレーニングは、諏訪湖2周(32km)を1回。

そして、速いペースでのトレーニングは、トラックレースの10000mを1回。

決して多い回数ではないが、限られた中で最善を尽くしたと思う。

そんなこともあり、11月の月間走行距離は680km。
休養・調整期間を考慮して、いつもよりも少なく500kmくらいを見据えていたが、振り返ればしっかり距離も踏むことができた。

近所の温泉にもよく行った。
メニューはもちろん、サウナで15分間×2本(T=100℃)のインターバル。

トレーニングだけでなく、身体のケア面についてもちゃんと準備をすることができた。


さて、現地入りしたのは、大会の前日。

信州から福岡まで行くには、大きく分けて2つの方法がある。

陸路か、空路である。

所要時間、経費、利便性等を総合的に判断した結果、今回は信州まつもと空港から飛ぶことにした。

信州まつもと空港から福岡空港までの所要時間は約1時間50分。フライトにかかる経費も片道20,000円前後で、信州まつもと空港の利便性も良いため、最も多くの信州人がこの方法を選択すると思う。

ただ、この方法には致命的な欠点があった。

それは、飛行機が欠航となった際にリカバリーが利かないことだ。

福岡国際マラソンの前日受付時間は、前日の16時から19時まで。

それに間に合う飛行機は、13時05分発の1便のみで、それが飛ばなかった場合は、鉄道を使っても19時までに到着することはできない。

飛行機の欠航=マラソン欠場になってしまうわけだ。

そのため、飛行機が飛ぶかどうかは、当日までずっと心配していたわけだが、そこは信頼と実績のFDA、無事に飛び立つことができた。

この日は、大気の状態が不安定だったのか、飛行機はいつも以上に揺れた。
後ろの座席に座っていた人が、具合が悪くなってしまうほどだった。

福岡に到着すると、多くの友人と再会することができた。

そんな中でも、同世代の友人と再会することができたのは、嬉しかった。

38歳になって、10000mを28分03秒で走った中村高洋選手に、どうしたらそんなに速く走れるのかを尋ねたところ、「自分でも分からないから、誰かに解明してほしい」と言われたときは、正直困ってしまった。


大会前日というのは、意外と忙しい。
特に、スペシャルドリンクの準備は時間がかかる。

今回、モルテンを溶かすにあたって、シェイカーボトルの代わりに550mlのペットボトルを持って行ったのだが、見事に潰れていた。

これが、気圧の差である。


マラソン当日は、朝起きて軽くジョグに出かけた。
福岡の朝は遅く、7時くらいまで薄暗かった。

朝は風もほとんどなく、気温も低く、絶好のコンディションのように感じたが、10時を過ぎた頃から日差しが強くなり、アップする頃には暑さも感じられた。

レースは12時10分スタート、整列してからスタートするまではあっという間だった。

今回1レーンでのスタート、トラックを3周半してロードに出る頃には、第2集団の後方にいた。

第2集団のペースは3分00秒/km、今回は前半ハイペースで突っ込んでいくことも想定はしていたが、その想定を上回るペースで走っていた。

第2集団ではなく、その後ろで走るという選択肢もあったが、ライバルたちがその集団に何人かいたことや、昨年の防府マラソンのときもハイペースで突っ込んでいったこともあって、いけるところまでいってみようという心境だった。

マラソンで序盤からほとんど余裕が無いというのは初めてのこと、こんな状態で最後まで走り切れるのかという不安もあったので、なるべく時計は見ずに、走りに集中することにした。

5kmの通過は15分7秒。
すでに汗をかいていて、普段は取らない最初の給水所でも給水をした。マラソンで呼吸が苦しいことも今回が初めてだった。

その後も、なんとか集団の後方にいたが、9kmくらいから少しずつ離されていった。その気になれば集団にはついていくことはできたかもしれないが、ここで無理をすると完走することができなくなると思った。

10kmの通過は、30分16秒。
ここからは、単独走となった。

少し前には、金沢マラソン2位の辻川君が見えていた。
彼も集団から離れていたので、追いつきたい気持ちもあったが、なかなかその差が詰まらない。

それもそのはずで、10kmからは自分のペースも3分10秒~15秒/kmまで落ちていた。

15kmの通過は、46分19秒。
10kmから15kmのラップタイムは、16分3秒。
ペースは落ちたものの、3分10秒/km前後で落ち着き、自分のペースに切り替えることができた。

20kmの通過は、1時間2分14秒。
15kmから20kmのラップタイムは、15分55秒。
一定のリズムで走れていた。左脚の腿の付け根が張っているような気がしたけれど、走りには影響はなかった。

ハーフの通過は、1時間5分48秒。
博多駅前ということで、たくさんの応援が聞こえてきた。

ハーフを過ぎたあたりで、4,5人の集団に追いつかれたので、集団についていくことにした。

そして、辻川君にも追いついた。

辻川君には「一緒に行くぞ!!」と声を掛けたのだが、私の後ろを走る彼に対して「早く離れてくれ」と心の中で思ったのは内緒だ。

また、集団にいた牧野君から、「5km交代で引っ張っているので、牛山さん25km引っ張ってくださいね。」と言われた。

3分10秒/kmで走ってきて余裕が無いのに、3分8秒/kmで引っ張ってくれと頼まれ、正直困ってしまったが、牧野君が25kmで途中棄権したのにはもっと驚いた。

25kmの通過は、1時間18分16秒
20kmから25kmのラップタイムは、16分2秒。

25kmを過ぎると、再び集団から離されて単独走。
後ろからきた川内鮮輝君に追いつかれたため、しばらく並走をする。
ペースも落ちて、3分17秒~3分23秒/km。

30kmの通過は1時間34分57秒。
25kmから30kmのラップタイムは、16分41秒。

31kmの香椎の折り返しを過ぎて、しばらく走っていると、34kmあたりで左腿の付け根に激痛が走った。

痙攣かと思ったが、肉離れに近い感覚だった。
このときは、ゴールできないのではないかと思うほどだった。

35kmの通過は、1時間52分35秒。
30kmから35kmのラップタイムは、17分38秒。

36kmでスペシャルドリンク(コーラ)を取って、ゆっくり飲みながら走っていると、左脚付け根の痛みが軽減してきたので、そこからもう一度頑張ることにしたのだが、ペースは上がらず3分35秒~3分40秒/kmのペース。

ペースを上げられそうなのに、上がらないという不思議な感覚だった。

40kmの通過は、2時間10分42秒。
35kmから40kmのラップタイムは、18分7秒。

最後も、ペースを上げられないままフィニッシュ。
タイムは、2時間18分32秒

ゴールして歩いていると、中村高洋選手がいたので話しかけると、私のすぐ前でゴールをしていたことが分かった。

また、ゴールしてすぐ後ろには塚本秀志選手の姿が見えた。

結果的に、38歳の3人組は、同じくらいのタイム(2時間18分台)で走ることができたというわけだ。勝ったとか、負けたとか、そういうのを越えて、3人が無事にゴールできて良かったと思う。

今回、タイムはもう一歩だったが、前半から攻めていけたこともいい経験になったと思う。

あと、自分に足りないのは、経験値を強さに変換するスキルだ。
マラソンを走るのに、それがまだどうしても掴めていないように思う。

走った後は、いろんな人と写真を撮った。

正直言って、マラソンを走り終えた後のこの時間はランナーにとってはディズニーランドのような夢のような幸せな時間だと思う。


さて、せっかく福岡まできたことなので、走った後は美味しいものを食べたいと思った。

博多の街を代表する食べ物と言えば、何だろう。
多くの人が「ラーメン」を思い浮かべるのではないだろうか。

私もそう思っていた。

信州といえば「蕎麦」、山梨といえば「ほうとう」のように、博多と言えば「ラーメン」だと。

でも、実は博多の人は、うどんが好きな人が多いのだ。

というわけで、今回私も博多でうどんを食べてみたのだが、それは今まで食べたことがあるうどんとは全く違うモノだった。

麺はにゅるっとしていてなめらかで、コシがあるわけではなく柔らかい。けれど、のびてるわけでもなく、麺に張りがある。

博多に行ったら、うどんを食べるとイイよと、声を大にして言いたいと思う。

それから、博多のお土産と言えば、博多通りもん。

このお菓子を生み出した人は、控えめに言って天才である。


さて、いよいよ帰り道。
福岡空港では、山崎竹丸選手とバッタリ。

落ち込んでいる様子だったので、話を聞くと、飛行機に乗り遅れてしまったのだという。

そんなことあるのかと思ったけど、実際にあるのだからあるのだろう。

帰りのFDA機は、グリーンの11号機
愛称は、「Alps Mountain View号」。

FDAの飛行機は、カラーバリエーションが豊富で、乗る飛行機が何色なのかが楽しみの1つである。

飛行機に乗り、いざ飛び立つときになって、次に福岡を訪れるのはいつになるのだろうかと思ったら、急にさみしい気持ちになった。

今度、九州に来るのはいつになるのだろう。

そんなに遠くない未来のようにも思う。

きっとそのときも、マラソンで訪れるのだろう。

そのときに向けて、またトレーニングに励みたい。

ありがとう福岡国際マラソン。

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牛山純一
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