◯◯過ぎるもの
少し前から、いろんなところで 「○○過ぎる」という表現をよく聞くようになった。
「美しすぎる」
「おいしすぎる」
「安すぎる」
「多すぎる」
そして、それはポジティブな言葉合いで使われている。
昔から、「あなたは美しすぎて、私にはもったいない」みたいに謙遜して、相手を褒めるようなことはあったと思うけれど、
本来であれば、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」という諺にもあるように、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい好ましくなかったはずだ。
例えば、何か買い物をするときに、市場相場が1,000円のものを買うとする。
それが900円で売られていたら、
「これは安い」と言われるだろう。
もちろん、これはその言葉の通り褒め言葉だ。
それが1,100円で売られていたら、
「ちょっと高い」と言われる。
もう少し頑張れという意味の激励の言葉だ。
しかし、それが300円で売られていたら、
「これ、安すぎるよね」と言われる。
そして、これは褒め言葉ではないことが多い。何か不正をしているのか、ワケアリではないのか、偽物ではないのか。普通はこんな値段では売れない、というような意味で使われる言葉だ。
私たちの周りには、「○○すぎる」ものがたくさんある。
例えば、コンビニには、普通に作ったらこんな値段でこのおいしさは出せないはずの「おいしすぎる商品」がたくさんある。
値段が安すぎるお店もあれば、量が多すぎるお店もある。
ランナーにしても、度が過ぎると、やはりそういうことになる。
どうやら、市民ランナーというのは、一定のラインが存在する。
それを超えてしまうと、ときには知らない人から、仕事をしていないのではないかとか、走ること以外は何もできない人なのではないかと思われてしまうこともある。
「速すぎる市民ランナー」というのも、あまりいいことではないのかもしれない。
しかし、実際には「○○過ぎる」という表現は、すごく良い状態を伝えようとしている。
「速すぎる」にしても、「すごく速い」という意味で使われている言葉だ。
英語で言うなら、「too」ではなく「very」の意味で使われている。
「とても速い」という表現では、伝わらないくらい速いということを表現したいがために、「速すぎる」と言って簡潔に済ませているのだ。
これを、言葉を節約せずにきちんと丁寧に表現するとしたら、
「その速さを形容する言葉が見つからないくらい速い」
こんな感じになるだろう。
巷では、いろいろ省略したり端折ったりするのが流行っていて、それをカッコいいと思う傾向がある。
ただ、最近はマイナスの意味での「速すぎる」というのもある。
つまり、「very fast」ではなく、「too fast」というものだ。
なんでこんなに速いのだろうと不思議に思われてしまうような速さ。
つまり、「速すぎると感じる状況」が出てきたのである。
それが、厚底シューズによるものだ。
せっかく速く走れるようになっても、「速すぎるのはシューズのおかげ」と言われてしまっては悲しいものだ。
やはり、「○○すぎる」というのは難しい。