「言い間違い」を指摘するマスメディアこそ「生産性がない」
国会議員の「生産性がない」という言葉に対し、メディアが猛批判を行なったことがあった。その議員の本意がどうだかはよく知らないが、確かに問題のある言葉だとは思う。でも、今回緊急事態宣言に関する記事を読んでいて、そもそもメディアこそ「生産性がない人たち」ではないかと思ってしまった。
というのも、ある菅総理のことを批判した記事を読んだのだが、その内容がひどすぎるのだ。もちろん、緊急事態宣言に関して批判することは自由にしたらいいと思うし、日本をより良い方向にするための建設的な議論にもできると思う(実際この記事がそうなっているかはわからないが)。
でも、ぼくが問題があると思うのは、菅総理の言い間違いについて執拗に指摘していること。
伝家の宝刀の解散に絡む発言については、「歴代首相の誰もが全神経を集中させてきた。言い間違いなどありえない」
検討中のはずの緊急事態宣言発出を過去形で語るというミスもあった。
与党内からも「語彙の少なさが表現力不足につながっている」との指摘も多く、野党側は「頭脳が混乱している証拠」(共産党)と酷評する。
政策や判断の間違いはいくらでも批判すればいいと思うが、言い間違いや、表現の少なさをここまで責める必要があるとは思えない。
そもそも、ぼくたちは話がうまい人や、滑舌のいい人を政治家として選んでいるわけではない。話が上手で見た目も俳優のような人であっても、その人の政策がまるでダメならなんの意味もないのだから。
それなのに、人の発言を引用して、ミスを指摘する。
じゃあ、ミスを防ぐために、日本一多忙な首相に、今から発生練習に通えとでもいうのか。ぼくはそんな時間があるのであれば、今日本の抱えている問題について勉強したり、議論をしてほしい。
話し方や、言い間違いは仕方ない。後で訂正して、メディアも訂正した形で国民に伝えれば何の問題もない。批判することで日本が良くなることは全くない。
だから、そういう意味で、菅総理の言い間違いについて指摘しているメディアは、本当の意味で「生産性のない人たち」であると思う。
マスメディアというだけあって、どんな内容であっても、その記事はたくさんの人が時間を割いて目を通すことになるものである。だからどうせ記事を書くなら、世界を、日本をより良いものにする、生産性のあるものにしてもらいたい。
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