ショートストーリー「赤坂の理髪店(4)」
総理の重責
「最後だと思う」という総理の言葉に、村田には込み上げてくるものがあった。
これまでもたくさんの人のカットをしてきたが、普通、散髪の期間のたった数ヶ月で、その人が年老いていることを感じることはまずない。だが、特定の職業においては違う。そう、まさにこの総理という仕事についている人だけは、明らかにカットのたびに、「老い」を感じてしまうのだ。
それは、わかりやすいところで言えば白髪が増え、シワが深くなっていく。そして、おそらく理容師としてしかわからない直感で感じられる、表情や姿勢、体型も、明らかに老けていくのだ。
「激務」という言葉で言えば簡単だ。だが、報道されている以上の、想像もできないような重圧に耐えながら、日々重要な決断をしていることを、職業柄、村田は理解していた。
そんな総理の姿を身近に感じるものとして、いつもメディアの報道には違和感を禁じえなかった。それに、これまで一度も言葉を交わすことはなかったが、そういう意味で、村田は歴代総理を尊敬していた。
だから今回、まさか声をかけられるとは思っていなかったが、それは本当に嬉しい出来事であった。村田は、焦りながらも自分の気持ちに一番近い言葉を絞り出してそれに応えた。
「この1年、国民のため、本当にお疲れ様でした」
そして、言葉とともに、まるで情景反射のように、頭を深く頭を下げた。意識して下げたわけでなく、自然に、自ら頭が下がったそんな感覚だった。
「いやいや、私は言葉が下手でね。村田さん、あなたにもこれまでろくにお礼も言っていなかった。こんなだから国民に嫌われたんでしょうね」
顔を上げた村田に、総理は静かにそう返した。投げやりな言葉だが、決して荒っぽくなく、いつものように丁寧に淡々と説明をしている。
予想もしなかった言葉に、一体どう返していいのか、頭をフル回転する村田をよそに、総理は特に答えは待っていないようで、席を立とうと身支度を始めた。
最後の散髪
様子を見ていたSPが立ち位置からの移動を始め、いよいよ総理が肘掛けに力をかけた瞬間、村田は無意識のうちに言葉を発した。
「わかっていましたよ、私は」
総理の動きが止まる。SPが動きを一度止め、今にも飛びかかりそうな鋭い目つきで村田を見ている。村田は、自分自身の言葉に驚きながらも、数秒開けてから言葉を続けた。
「私も、出身が秋田なもんで」
少し驚いた表情をしていた総理が、腰を座席に戻し、鏡越しに、村田の顔を見た。マスク越しではあるが、総理の表情が、少し緩む。村田の表情も明るくなる。
「そう、秋田なのか」
総理が先ほどよりも明るい声で聞き返す。
「はい」
村田はしっかりと総理の目を見て返事をして、説明を続けた。
「秋田の男は、生真面目で口数が少ない。だから、みんなわかってます。それに。それに、きっと多くの国民も」
マスク越しに答えた村田のその言葉を、総理は鏡の前の中空を眺めながら、大切に受け取り、少し時間を置いてから、口を開いた。
「そうか。じゃあ。まんず、おぎに」
「なんもだす」
「ははは」
総理の秋田弁に、村田も秋田弁で返し、2人は一緒に笑った。不思議そうに見ているSPを横目に、総理は席を立ち、村田に向かってもう一度礼を言った。
「村田さん、ありがとう。久しぶりに笑った気がする」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ちょうどそのタイミングで秘書官が扉を開き「緊急の要件です」と総理を呼んだ。
「ああ、わかった。今終わった」とだけ応え、扉に向かう総理は、先程の痩せた印象とは少し違って見えた。
SPに前後を守られ、個室から出ていく総理の後ろ姿に、村田はもう一度深く頭を下げた。
総理は、歩きながら秘書官からの報告を受け、もう後ろを振り返ることはなかった。
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