「何もしない贅沢」を楽しめなくたっていい
連休とか長期休暇とかのたびに話題になる「休日の過ごし方」。
テーマパークに出かけたり、マラソンしたり、本を読んだり、場合によっては資格の勉強したりと、詰め込み型の過ごし方に対して、最近「何もしないのが一番の贅沢」という意見も聞かれるようになった。
「イタリア人とか、フランス人は、バカンスに1ヶ月出かけて、プールサイドとかでぼーっと過ごすだけ」なのだから、この行動を「日本人も見習おう」とか、そうすれば「日本人も少しは心が豊かになる」といった論調が多いと思う。
ぼくも一時期「そういうものなのかな」と、「何もしない贅沢」を楽しもうとしたことがある。海外のホテルのプールサイドやバルコニーで本を読んでみたりしてみた。
でも、全くだめだった。10分もすれば、やめたくなってくる。
なぜなら「これ、家でもできるやん」と思ってしまうから。
本なんて、家のリビングでくつろぎながら読んでいるのが一番いい。旅行先のプールで読んでも楽しくないし、本の内容によっては、下手したら、仕事のことを思い出して、旅行どころではなくなってしまうではないか。
実際に何回か実験をしてみた身として、やっぱり、休暇なのであれば「その時にしかできないこと、したいこと」をするのが一番だと思うのだ。その方が一番納得できるし、後から「楽しかった」と思えるのだ。
別に「何もしない贅沢」を満喫しようとする人を否定するつもりはない。それを楽しめることは素晴らしいと思う。
でも、「何もしない」ことが贅沢だと間違って、無理にプールサイドで本を読もうと「努力」する人がいたら「そんなこと気にしなくていいよ」と声をかけてあげたい。
そして、何もしない贅沢は、普段の休日や平日の夜に楽しめばいい。仕事から疲れて帰ってきて、お風呂に入って、ビールを飲んで、なんの意味もない(といってはごめんなさい)テレビ番組をぼーっと見るのである。
そもそも、日本人と外国人の気質は元々結構違う。元々盆と正月以外は基本働き詰めであった民族である。DNAはすぐには変えられないのだと思う。
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