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2024年も始まったことだし今までの人生を振り返る意味で日記をつけてみるVol.3

自身の人生回想とカメラ

こんばんは。こんにちは。おはようございます。
また1日空いてしまった…日記といいつつ毎日アップできていない…
私らしいといえば私らしいな。ゆる~く書き続けられればな~っと思ってる。前回、触れた通り今回は美容師時代のことを思い出しながら書いてみようと思う。

いつ撮ったんだろう?

美容師になった理由

うーん…これ言っても良いんだろうか?結構、軽薄な理由だったと思うんよね。高校2~3年にかけてかな。進路を決めなきゃいけない時期っていつだったっけ?まあ~その辺のタイミングで大学を受験するか?専門学校に行くか?就職するか?その3パターンを決めなきゃいけなかった。
大学は最初から考えてなかったかな~。行っていた高校が1年の時は全て共通のカリキュラムなんだが、2,3年生からはクラスが理数系、文系の大学目指すぞ!ってクラスと普通クラスって呼び名だったかは忘れたけど大学も視野に入れてるけど、専門か就職かな~ってクラスと別れてた。1年から2年に上がる時に本人の希望と成績で分けられるんだったかな。
そこで将来つく職業を考えてみたが、1つは料理人だ。これは今でも料理が好きだが当時から美味しいものを食べるのが好きだし、料理をしていると手順を組み立てる事を頭の中で考えていると無心になれるような気がして好きだった。なので調理の専門学校が1つの候補だった。もう1つは子供の頃から母親の髪や自身の髪をイジるのがい好きで、そこから美容師の専門学校を考えた。実はもう1つ、公務員が安定しているとの事を聞いていたので警察学校も考えていた。
ただ、その頃は思春期まっしぐら…なんだったら頭の中は、お花畑状態だったので、とにかく女の子にモテたい!!って気持ちが強く美容師になればモテるのでは??ないかと短絡的に考えて最終的に美容師の専門学校に進路を決めた…今考えれば短絡的というか考えなしというか…若気の至りというか…恥ずかしい限りである。

美容専門学校時代

そんなに専門学校に入ることには苦労はなかったと思う。
筆記試験…あったかな? 面接はした記憶がある。
その時代は美容の専門は1年制で専門学校をでても美容師の免許は取得出来なかった。専門で1年、サロン(美容室)に勤めて1年で初めて国家試験が受けられる制度だった。
今でもそうかもしれないが、専門学校は国家試験を通るためのカリキュラムがメインで、サロンに入ってからの仕事に役立つスキルを身につけることは無かった。この辺は詳しいことは分からないが美容師の国家資格を管理している厚生労働省に問題があるのか?美容専門学校に問題があるのか?はたまた美容組合に問題があるのか?それとも、その3つの利権が絡んでいるのか? 私には分からないし知りたくないが 、サロンに入って直ぐに役立つスキルが身に着けられない専門学校に存在意義があるかどうかは疑問である。また、あくまでも職業に従事するだけの免許であることも問題かな~と思う。美容師の社会的地位が上がらないのも構造的な問題があると思っている。歴史的な側面もあるが管轄省庁の1本化、組合の解体、専門学校を大学相当の位置づけにするなど色々手はあると思うのだが…まあ~そうしなければ何時まで立っても美容師の社会的地位は上がらないし美容師の報酬も上がらないだろう。今は面貸しサロンで個人事業主として報酬を上げる手段もあるが、そこは別の問題だろう。その辺も機会があれば触れていきたい。

専門学校時代は優等生…だったのかな? 成績は良かったと思う。筆記科目も、だいたい暗記ものだったので苦労はしなかった。実技も生来、手先は器用だったのとマネは得意だったので苦労は無かった。通っていた学校は繁華街の中心にあり色々な意味で刺激的な街に毎日通うことになった。東京でも有数な繁華街で様々な職種、人種、文化、刺激は毎日あった。思い出に残っているのは学校の真ん前になる公園で撮影らしい事をしている集団があったことだろう。
その当時珍しいビデオカメラを構えているのが見えた。昼休みにボ~っと眺めていたが、よく観たらスカートを捲くったりブラをチラ見せしてたりで同級生と話しながら「ピンっ」ときた。あ~~~こりゃAVだな~って。っていうくらい繁華街で治安も不安定なところにあった専門学校だった。
専門学校時代は色々な人にあったな。自身の母親くらいの年代の女性もいたし、中国や韓国からの留学生もいたし、年代もバラバラだった。多くは高校から入った年齢が多かったが…
そんなに思い出ってこともないが、卒業間際に担任に言われた言葉が印象に残っている。「器用貧乏になるなよ」この言葉は今も時々思い出す。子供の頃から器用なのか要領がいいのか、そこまで勉強や学校の成績で困ったことは無かったと思う。専門学校でも一所懸命に練習したり、勉強したり努力を表に出すことはないが、ある程度の成績は残せていた。なんか、その辺を見透かされた気がするのと、この頃には自分でも認識していた。ある程度のレベルまではコツを掴むのが早いのか…ポイントを捉えることができるのか…人より少し早くスキルを身に付ける事ができることは…ただ一定のレベルから突き抜けることは、どんなジャンルでも出来ないことは自身でも認識していた。それをズバリと見透かされ言い当てられた気がしたのである。飽き性も関係しているとは思うが…

次回は専門学校から就職の話をしていこう。
また初めて就職したサロンでの美容師時代の話をしようと思う。
なかなか濃密な時間を過ごせたと今も思う時代だ。
次回も購読してもらえると有り難い。      



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