【日記】人を馬鹿にしなきゃ生きていけない。
この頃、若者から中年のおじさんたちまで、批評家ぶって人を小馬鹿にしなければ安心を得られない人が多くなっていると感じている。
SNSを開けば、いいね!を押して投稿に評価。
ネット通販で物を買えば、レビューで評価。
日本全国批評家時代なんだろう。
たしかに、ポジティブな評価には励まされることも多いし、それが理由で頑張れることもある。
だけども、近年、批評と批判の使い分けがものすごく下手になってきていると思う。
と言うよりも、批判が=否定になっている。
「こうすればいいのに。」と言う意見は無いのに。
「それ、間違っている!」「バカみたいww」と言った否定だけが無限に広がる。
「他人への否定に生産性はない。」
これは自分の信条の一つでもある。
否定は自分自身が自分に行ってこそ生産性が生まれる。
だって、大概の人は否定に対して「悲しむ」か「怒る」かしかないんだもの。
ただ、他人に向けて良い否定は非道徳的なものだとも思う。
「いじめ」「虐待」「戦争」「人殺し」「盗撮」「詐欺」etc。
犯罪の多くがそれに当てはまると思う。
そもそもこんなことを書き始めたかと言うと、コンサルと言う、人の意見を聞く事が仕事なのに、それが堪らなく面倒になってきたからだ。
で、なんでこんなにも面倒くさいんだろう?と考えた。
それで、分かったのが「他人を馬鹿にして生きている人間の意見がクソほど鬱陶しい。」と気付いた。
そうやって、先制攻撃の様に人を馬鹿にすることで自分が言われにくくしている感じとか、もうそういうのが堪らなく鬱陶しい。
だけどもそんなことどうしようもない。
これこそ、自分への否定だ。
そんなことにストレスを感じる必要はない。
カネを稼ぐための犠牲だと思え。
それに比べたら、その信条を守りぬく理由はあるのか?
たぶん他人から見たらつまらない信条で、強情にも思えるこのメンタリティ。
そう言うことを隠し持ちながら、みんな生きてるんだろうな。
そう言うスッキリしないモヤモヤをたまには発散していいんじゃないだろうか。
SNSって相手の反応を窺うためのツールじゃなくって、こう言うモヤモヤを発散しても良いツールだったんじゃないだろうか。と、余計な話まで広げてしまう自分が嫌い。
おわり。
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