私時々残酷な映像を探すんだけど
私、時々、すごく残酷な映像を探すんだけど。インターネットで。すごく残酷な、人が人の身体を切って、喜んでいるような映像を見るのね。そういう気分の時、最初は事故や災害の写真を見てるんだけど、いつも最後は、人が人を切って、喜んでいる映像を見てしまうの。勘違いしないでほしいんだけど、私はそれを見て悦んでいるわけではないんだよね。
高校生の時に、どこで手に入れたのか知らないけど、死体の写真集を持ってくる子がいてね、「死体を見ると落ち着く気がする」って言ったんだよね。で、完璧に共感したわけじゃ全然ないんだけど、私はそういう心の動きもあり得るだろうな、人間には、って思ったの。気分ってものが、両手で押していくトロッコみたいなものだとしたら、そこに載せてしまえばすっと楽に進みだす「轍」みたいなものが、たしかにその子の言う通り、死体を見ることの先に引かれているのかもな、多分、って。それでなんとなく、時々、探すようになったんだけど。
ああでも、それよりずっと前に、私子どものころ、テレビで見た災害のことがどうしても本当のことだって感じられなくて、パパのパソコンでこっそり探したことはあったんだけど。事実がどうしても、私の身体の延長線上にあることだって感じなきゃいけないと思って、探したと思うんだけど、結局一つも見つからなかったんだよね。でも大人になったら、すごく鮮明な映像が、SNSでも見られるようになったっていうのもあるんだけど。
私、大学で経済学部だったから、人が合理的に動いたらこうなってこうなって、っていう風に習ったんだけど、人が人を残酷に切るっていうのは、どういうふうに合理的に心が動いたらできるんだろう?ああいう映像が、あんなに見やすいところに貼り付けてあるのに、特に誰も話題にせずに暮らしているってこと自体は、どちらかというと合理的って言われてもわかるんだけど。経済学部だったしね、私。
ただ私その動画見て思ったんだよね。もしここに映っているが日本人だったら、みんなどう感じるんだろうって。声を上げて問題にするべきだってことじゃなくてね、純粋に想像として、どう感じるんだろうって思ったんだよね。日本人の顔と服装をした少女が、腕や脚を切り落とされて、日本語で、何かを言う、あるいは、日本語に存在する発音で叫ぶ。ショックなんじゃないかな? 私たちにとって、すごく。人によっては、何も言えなくなるのかもしれない。
で、それを想像して私はっきりわかったんだけど、それはこれからの未来必ず起きるんだよね。どこかの国の誰かか、それか同じ日本人が、何人かで一人の生きた日本人の少女を囲って、腕と首を落として、誰かがそれを撮影して、誰かがインターネットにアップするという一連の事実が、かならずこの歴史の先のどこかで起きる。
だって私が「そうじゃないかな?」と思ったことは全部、起きるんだもん。で、美味しいでしょ? グラタン。芽キャベツが入っているの、珍しいけど好きな食感でしょ?
彼女が作ったグラタンを僕は座って食べていた。味のことは意識に上りにくかったかもと伝えた。テーブルクロスは白と少し輪郭の淡いオレンジ色の格子柄で、これも彼女が選んだものだった。
彼女はとても美人で、僕にはもったいない恋人だと思っていた。
(終)