【短編小説】喫茶店と四月の世界

苦しい、そう思った。

四月とは思えない暑さに耐えきれず今まで見向きもしなかった喫茶店に入った。そこまでま広くない店内には洒落たBGMがレコードで流れ、沢山の本が並べてあり、私はこの空間があまりにありきたりな喫茶店でつい安心してしまった。

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」 

背が高く優しい顔をした白髪の目立つ店主にそう言われた。
食事中に誰かが後ろを通るのがどうしても許せない私は飲食店なら1番奥の席に座るルールがある。しかし、今日は守れなさそうだ。その席の隣に1人の青年が座っていたからだ。無表情で一点をただただひたすら見つめていたので少し気味が悪かった。

声がうるさい男女が店内に入り一番奥の席に座った。そこに座るか?と疑問に思ったが声のボリュームを考えたら考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。 

「お前、アイスティーでいい?」
「うん」
「すみません、アイスティー2つ」

この男女は男が主導権を握っているみたいだ。

「やばいよ、どうすればいいの」

女が不安そうな顔をしていた。

「おろそうよ、今の俺達じゃ育てられないって」
「簡単に言わないでよ...」
「簡単じゃねえよ、金なら友達に借りれたからおろそう」 

隣の席の青年はずっと無表情でまだ一点を見つめていた。私はその光景が何故か奇妙に思った。20分ほど話を盗み聞きし、男女に何があったを理解した。簡潔にいうと女が妊娠をしてしまい、男は現実が受け入れられないようだ。それどころか女の浮気ではないのかと無責任な発言をしている。ここは私も1人の大人として男を叱りつけてやろうなんて思ったがそれこそが無責任だと思った。隣の席の青年は常に無表情だが、男が吸っていた煙草の煙が風で運ばれてきた時だけ煙たい顔をしていた。私は青年の表情が変わったことに少し興奮してしまった。

「ごめん、俺何もできないわ。本当ごめん」

広くない店内に女と煙草の煙、そしてその言葉を残して男は帰っていった。女が泣く。私には何もできない。隣の席の青年は女には見向きもしない。

「何があったか分からないが、両親にはしっかり話しなさい。お代はいらないからお家にお帰り」

白髪の店主が女に言葉をかけた。私が声をかけなくて良かったと思った。私にはどちらかの味方につくことしか考えがない。隣の席の青年が無表情な奴でよかった。仲間がいないと私が悪い奴に見えてしまう。

「ありがとうございます...」

もう流せる涙が無いかのように疲れ切った顔で床と睨めっこをしながら女は店を後にした。

「若いとは残酷ですね、私たちには何もできない」

店主が少し疲れた笑顔で話しかけてきた。私にまで気を使うなんて素晴らしい店主だと感動してしまう。

「本当にそうですね。でも貴方は素晴らしいですよ、私は何も言えなかったから凄いです」
「いえいえ、私こそお客さんが居なかったら1人でこの空気を味合わないといけなかったので感謝ですよ」

とても素晴らしい人だ。いや、待てよ。言葉に違和感を覚えた。青年がいるでは無いか。私が居なくても店主は1人では無い、と考えている時また違和感を覚えた。さっきまでは何も気にしなかったが青年の机には何も乗っていない。水もおしぼりもだ。

「あちらの青年はご子息ですか?」

確かめる質問がこれしか浮かばない。

「青年?」
「あ、なんでもないです。すみません変なこと言って」

間違いない。私にしか見えていない。そう思うと男女が真っ直ぐその隣の席を選んだのも不思議ではない。怖くなった。とても怖かった。こんな体験初めてだ。

店を出る。そう決め、最後にゆっくりと青年の顔を見た。無表情であるはずの顔を見た。しかし青年は無表情ではない、とても悲しい顔をして、とても消えてなくなりそうな顔をして、とてもこの世のことを何も知らない子供のような顔をして、泣いていた。その瞬間私は、

苦しい、そう思った。


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