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薬考:ビリヤード教室など(1/2)

背案宅にて、いつものように一泊して帰るつもりが、バイトも無いことや大学も休みに入ったこともあり、泥のように居座って気づけば三泊四日の旅になっていた。暗くなれば薬をやり、楽しくなっては外に出たり入ったりして、高いカメラで危なっかしく写真を撮り、日が変わると自転車で街に出て人のない道をゆらゆら縫って走った。疲れて帰っても目が冴えて眠れず、朝が来れば減らない腹を満たしに店に行き、やっと眠くなった昼すぎに少し眠り、目が覚めればまた薬を買いに店に向かった。こんなのを三日も続けていたらどうなるのかといいますと、ろくに飯を食わないから胃が空になる。胃が空になるから薬がてきめんに効く。薬がてきめんに効くから長引いて抜けなくなる。長引いて抜けなくなるから日中も笑いながらゆらゆら歩く…、これをもし2週間も続けていたら死んでいただろう。マジで死ななくても財布は完璧に死んでいたに違いない。私は、この薬や煙草や散財や時間の無駄遣いの一々が、まっすぐ死に向かっているのを分かっていながらどこか楽しんでいたように思う。

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18:50 ☒☒☒18錠飲む。背案に勧められた、男がサックスを吹きまくる漫画を読んだりピアノを弾いたりするうちにうまいこと効いてくる。数時間経ってお決まりのゲーセンに行き、つって自分はゲーセンてものにゆかりがないので背案の音ゲー、なんてやつか覚えてもないがこう丸い配置のパネルをこれでもか、まだ足りないのかってくらいに叩きまくるやつ、あれを斜め前方から眺めつつ写真を撮りまくるのである。

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無駄に具体的に言うと、私は壁際にある筐体と柱の間の、なんか消火器とか収めてある狭い隙間、だからきっと埃っぽいんだろう、素面で来たことはないから分からないが素面で見たらきっと埃っぽいんだろう、に寄りかかってこのイケメンの顔を執拗に撮るのである。それはきっと、なんつー異様な光景だろうか。それは勝手に想像してください。この後イケメンがひとしきりパネルを叩いたあと煙草を吸いながら古臭いアーケードをやり、イケメンのまま友人を引き連れてゆらゆらと自宅に帰ったのである。

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と思いきや、日が変わって道が静まり返るとまた楽しくなって外に出るあたりが病気だっつってんの。自転車に乗って街に出て、人のいない地下道をヤバいサラリーマンのモノマネをしながら闊歩するのである。若い、ガリガリの男2人が。一方の日本人がごついカメラを持って、もう一方のハーフを撮り倒しながら。なんつー異様な光景それは勝手に想像してください。そんなことより、地上の一角では完全に酔いつぶれたおっさんがおのれの吐瀉物と仲良く添い寝をしていたのを見つけ、これを撮ったのである。(閲覧注意)
https://twitter.com/DDMEddme/status/1094040912726913024
街に出たからには酒を飲みたい、と知る限りの飲み屋をうろうろ見て回ったが、ろくな飲み屋を知らないのでろくでもない飲み屋に入ってしまった。胃に入らない変なお通しと変なポテトを食い、それぞれ一杯飲んだら薬一回分掛かった。薬一回やった方がよっぽどマシである。

20:15 ☒☒☒12錠飲む。背案が打ちたいと言うので閉店間際のパチンコに入るなりバカしかいないのかというくらいの轟音、騒音、バカしかいないんだろう。バカをバカにしてはいけない、ヤク中の俺たちが間違いなく一番のバカなんだから…と完全無意味な詩的感情吹かしつつ背案の打つ様を隣で見ていたが、パチンコ未経験の俺には何がなんだか全然分からなかったので結局このイケメンを撮るしかないのである。撮る、そして撮るだけではごまかせない、このバカかというくらいの轟音、騒音…説明を忘れていたがこの薬はキマるほどに聴覚が研ぎ澄まされていくので、だから余計なのである。俺はたちまちノートを取り出し、これは修行であって、外に出た時の開放感、さっきまでの轟音は何だったんだと感じられる、そのためにここに今いるのかもしれない、とまた完全無意味な詩的感情吹かしてとっとと店が閉まるのを待った。

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がこれで終わりではなかったのである。パチンパチンやった結果5000円をスった背案と家に帰ろうとしたと思うのだがその道中、背案がすっごい真面目なビリヤード教室を見つけ、ほんとはすっごい真面目なビリヤード教室なんだけれどもこれ酒とか飲めるんかな、と2人して外から覗き込むなどしていたところ目ざとく中にいたおっさんに気づかれ、まんまと誘い込まれてしまったのである。で、入るなりその大真面目さとその広さ、その薄暗さに度肝を抜かれ、キマっていた私どもの主観を正直に話すならば、「一瞬にしてなんだか全然分からない場所に連れて来られてしまった」のである。おっさんの説明を事細かく受け、実際に球を撞いてみるなどしてああ意外と楽しいね、とか言いつつもこの不思議な感覚を受け続けること、実に3時間余り。「ビリヤードの球は"突く"んじゃなくて"撞く"んだよ」とトリビアみたいな知識を授けられたくらいだから相当な時間である。で背案はといえば前からビリヤードに興味があったらしく、結果として今後も通うことになったらしい。瓢箪から出た駒という感じ。
教室を出るや、すぐに「さっきまでのは何だったんだ」という気持ちが込み上げてきた。まさに狐につままれた感じである。さっきのあの広い空間は、あのおっさんは、あのなんか西洋の墓みたいな台の羅列は今も本当にあるんだろうか、今戻ったら跡形も無く消えているんじゃないだろうかと本気で思った。背案も同じことを思ったらしく、変におかしくなって笑いが止まらなくなった。そしてさらにおかしかったのは、帰ってみるとその教室の場所が家の目と鼻の先だったことだ。しかしそれでも嘘だ、あれは東静岡じゃないと話し続けた。自分たちの知っているこの土地柄と、あの教室の昭和くさい雰囲気、不気味な広さと薄暗さ、おっさんの暮らしぶりの何もかもがてんで合致しなかったのである。俺の中では今でも合致していない。

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