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真っ暗いシャワールームでの体験記録

自宅には共同のシャワールームがあるんだけど、ここには窓が無いため明かりを点けずにここに入って扉を閉めると、真っ昼間でもまるでなんにも見えなくなる。目を開いても閉じても変化が無いというのは不思議なもので、調べてみると人間は外部からの情報の8割を視覚に頼っているらしく、まあどうせ後で細かい説明をしますから省きますが、素面でも不思議な感覚になるんならこれ酩酊状態でこの暗闇に入ったらどうなっちゃうのかしらと気になり、これを検証してみました。
日時は6月2日、日曜日の午前3時か4時頃、前日夜に12錠の☒☒☒を服用し、さらに日が変わる頃もう12錠を追加し、第二波のピークが去ってしばらくの時間、理屈を無視してともかく満ち足りている、狂気と恍惚の入り混じった飽和の時間帯……

……シャワールームに入って扉を閉じると全くの暗闇になった。目を閉じても開いても何も変わらないのだ。すぐに輪郭のはっきりした幻覚が表れたがその状況の変化の早さに驚いた、まだ暗闇に入って精々数十秒しか経っていなかったからだ。せわしない幻覚に目を凝らし、その疑いようのない存在感にまた驚いた。曲がった時計や文字の羅列、楽譜や水の波紋などが視界を満たして好き放題に行き来するのを見ているうち、私の意識はすっかり幻覚に囚われて現実の時間感覚をまるですっ飛ばしてしまった。なにしろはっと我に返った時には、幻覚の中で「2週間を」過ごしていたのだ。その時間感覚が現実と混じってあやふやになり、私は死ぬほど焦った。実際にどれだけの時間を幻覚に囚われていたかは知りようがないが、我に返った時には自らシャワールームに入ったことを完全に忘れており、今ここがどこで、なぜこんなに暗いのかがさっぱり分からなかったからだ。ひとまず誰かに閉じ込められたのだと考え、しかしいつ、誰に?と思い当たっても当然ながらまるで見当がつかず、声を出して助けを呼ぼうにも……もしかすると自分が思っている以上に危険な状況なのかもしれない、誰かに拉致されているのかもしれない、声を聞きつけるとすぐさま誰かがやって来て、あっさり俺を殺すのかもしれない、と本気で考え、とにかく手を伸ばして空間の広さを確かめ、耳をすませて手がかりを探した。しかし耳に入ってくるのはただ無機質な換気扇の音だけで、それがまた私を不安にさせた。この狭さはなんだ、一体どこだろう。どこか店の倉庫か、階段下のスペースだろうか…と考え、ともかくしばらくは待ってみよう、そして数十分しても誰も来ないならいよいよ声を上げようと決めた。しかし座り込んでじっとしているとまたも幻覚が私を襲い、現実から連れ去ってしまった。
……再び我に返ると、今度ははっきりと直感した。ここは朝の中華街に立ち並ぶ、とある蕎麦屋の地下だと信じて疑わなかったのだ。なんならさっき妄想の中で(この時の自分にとっては全て現実でしかないのだが)過ごしていた2週間はここにいて、この蕎麦屋でバイトとかしていたらしいのだ。背伸びすると、格子窓の隙間から中華街の地面や、通り過ぎる自転車が見えるようだった。いや、本当に見たのかもしれない。手を見下ろすと、ほんの微かだが光が差しているように感じたのだ。しかし依然として、自分がなぜそんな場所にいるのか分からなかった。とにかく脱出しようと手を探り、この時挙げた両手、頭上ほんの十数センチの場所に触れたのはざらざらした天井だった。それはとにかくはっきりした感触だった。しかしこれはあり得ないことだ……シャワールームの天井は背伸びしても届かない程度には高いはずだからだ。これは後から思い返してぞっとしたことで、考えてみてもそれは幻触だったとしか説明がつかないのだが……しかし固い天井があることを押して確かめたあの感触は確かに覚えているのである。しばらくきょろきょろしながら手探りを続けていると、すぐ後ろにドアがあることに気づいた。ドアノブの上に鍵があり、これをひねると鍵が開いた。おそるおそる開けてみると見覚えのある洗面台と鏡があり、ここで初めて全てを思い出した……そして改めて暗闇の持つ危うさや、底知れぬ力を実感した。ミロコマチコという作家の「まっくらやみのまっくろ」という絵本があるが、その帯が「なんでもないなら なんにでもなろう」というコピーだったことを思い出し、まさにそういうことだと思った。出た部屋も明かりは点いておらず、窓から入る通りの街灯の光しかなかったが、それで充分すぎるほど目が効いた。見ると、顔の前にかざした自分の両手が青白く光っているようだった。そして視界の一点を見つめようとすると、視界全体がゆらゆらと波打っていることに気づいた。……

はい。はい、怖かったですね。時間は続いていますが、ここからは全然違う話です。
人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲の3つですが、キマっている間はそれが一つ残らず奪われてしまう感じがあります。食べれないし、眠れないし、勃ちもしないので……薬は人間を人間でなくしてしまうって孫Gongも言ってましたがあれは本当です。暗闇を出て、いそいで横になっている友人に今の体験を話し、ま、とりあえず俺も寝たいと言っても2人とも一睡もできずに朝を迎えます。ていうか朝どころか昼も全然過ぎる頃になってようやく、薬の浮遊感が抜けて現実に足が着くのを感覚します。で、じゃあこれ薬が抜けるころどうなるのかといいますと当然三大欲求は戻ってくるんですけど、奪われていた欲求が戻ってきた反動からか、こんどは異常な飢餓感を覚えます。この日も例に漏れず、まずあわてて温かいものを食い、安心すると死んだように眠り、起きちゃ食い、食っちゃ寝、もう食ったのに夢の中でも食い、あるいは女を押し倒し、起きても女に電話する、みたいな感じで、薬とは違えどこれもまた動物と言わざるを得んすね。
一つ、薬が抜けて現実に帰ってくるというのは、死の淵からあわててUターンしてくることに他ならないと思います、思う。もう一つ、これは岡本太郎の影響も大きいけど、生の実感は死に近づいてこそ得られるというのは確かだと思う。しかし☒☒☒は、キマっている間死に近づいているのは間違いないと思うけど、そんな理屈を完全無視できてしまうほどあの境地は危険な恍惚を肉体にもたらしているんだと思う。なにしろ生に対する執着や実感が薄れてしまうのは毎度のことである。
友人と街に出て、たくさんの人間とすれ違い、なぜこんなにたくさんの人間が生きていて、こんな1ヶ所に集まっているのかわけが分からなくなり、みんなこうして生き続けることとどう折り合いをつけているんだろうと考え、生きるということがいかに偶然で儚いものかということや、待ち構える死の存在がいかに絶対的で、わりに死ぬということがいかにあっけないもんかを痛感するのだ。でもそれはじっさい、理屈ではない。

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