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『ゲッタウェイ』に見る、ペキンパーの語り口

 『ゲッタウェイ』を見る。NHKのBSPでやっていて、でも、一度、見た映画だし、と思ってスルーしようと思ったが、どのテレビを見ても、ジャニーズ問題と汚染水問題と、なぜか、今頃になって、また統一教会問題を持ち出している。何を言うかわかりきっているので、改めて『ゲッタウェイ』を見たら、面白いこと、面白いこと。慌てて録画した。
 録画したのは、スティーブ・マクイーンのドクが、大金を詰めたバッグを置き引きに盗まれ、あとを追って列車に乗り込むころだった。ドクは盗んだ男を見つけ、隣の席に座るや否や、肘鉄を食らわして失神させ、バッグを奪い返すが、そこに列車の中で遊んでいる二人の黒人の男の子が銃をつきつける。「ママのところに行け」と、ドクが言うと、男の子は引き金を引くが、それは水鉄砲。ドックは「やれやれ」とばかり、苦笑しながら、バッグを持って、次の停車駅で降り、強盗の相棒だった妻のキャロル(アリ・マグロー)と落ち合い、大金を抱えて逃避行を続けるが、列車内で、殴られて失神していた男が、目を覚まし、警察でドクの写真を見せられ、男の子と口を合わせて、自分を殴ったのはこいつに違いないといったため、ドクとキャロルは行く先、行く先で、警察に追われるが、この間、警察官に死者は一人も出ていない辺りで、『ゲッタウェイ』は、ハリウッドの娯楽作として徹底しようとしているな、と思った。

パトカーをショットガンで丸焦げに。ド派手なアクションシーンだが、警官に死者は出ない。ほかのシーンでも、右に同じ。死ぬのはギャングだけ。


 ゴミ箱の中に二人で逃げ込み、ゴミ収集車にゴミと一緒に積み込まれることで、警察の追跡を逃れる。しかし、ドクを追っているのは警察だけではなく、ドクに大金を奪われた組織、その組織に雇われ、ドクとキャロルと一緒に銀行強盗をしたルディが、その愛人らしき脳天パー(死語……かな)な女性に手こずりながら、金を取り戻そうと追っている。
 警察の追跡を逃れた、ドクとキャロルは、旧知の男が経営しているホテルにたどり着く。実は、そのホテルにはルディが待ち構えていて、ドクが来たら教えろ、と言いつけてある。さらにドクとキャロルを追っている組織のギャングたちがやってくるが、昔、テレビドラマの西部劇「拳銃無宿」で愛用していた銃身を短く改造したライフルに似た散弾銃で全て、撃ち殺す。

「拳銃無宿」のマックイーン。自家製の短いライフルが、『ゲッタウェイ』の散弾銃に似ている。
『ゲッタウェイ』の散弾銃。

 かつての仲間だったルディも撃ち殺すが、散弾銃ではなく普通のピストルだ。この使い分けに、ペキンパーの美学というか、語り口が現れているように思う。

気を失っているルディをドクが殺そうとしてやめるシーン。結局、このあと、息を吹き返したルディがドクとキャロルをピストルで撃ってくるので、撃ち殺すのだが、ルディを殺さなかったのは、かつての仲間に対する「惻隠の情」を示したのだと思う。要するに、ペキンパーの美学なのだ。

あと、ホテルの出口で、ギャング団の一員で、一人、行き乗った若い男に、お前を殺してもしょうがない、とっとと逃げろと言うシーンは、黒澤明の「用心棒」で、一人生き残った若者を、「母ちゃんのもとに帰れ」という場面と全く同じだ。見たときは、何処かで見たような……と、思ったが、『用心棒』だったので、書いておく。ペキンパーは、というか。ペキンパーも黒澤マニアなのだ。ハリウッドに与えた黒澤明影響の大きさに驚く。

この場面だと思うけど……印象ではもうちょっと若かったような……。

 それはさておくとして、アクションシーンではないシーンに見られる、ペキンパーの語り口について書いてみたい。
 端的に言えば、ペキンパーの映画に特徴的な、暴力的な場面を見つめる、子供や、無感情な見物人の視線と、本質的に同じだと思うのが、それを昇華したような、詩的とも言うべき、シーンが二つ、あったように思う。
 その一つは、ドクが置き引き犯を追って、列車に乗り込むが、その様子を、キャロルが心配そうな顔で、見守っているシーン。そのキャロルの右後ろで、キャロルをじっと見ている老人がいる。その列車は数分間、駅で停まっているが、ドクは降りてこないまま、列車は動き出す。それでキャロルは、次の駅で待つために駅舎に戻るが、それを確認した老人が、金網の扉を閉める。この老人は、見送り客がいなくなったら、駅の入り口を閉めるのが仕事だったのだ。要するに、映画のストーリーとは、全く無関係に、キャロルのことを普通の見送り人に比べて、深刻そうだなとは、思ったけど、それだけで。自分の仕事とは関係ない、と判断したのだろう。そんな、感じが伝わってくるが、これはつまるところペキンパーに特有の映画の語り口なのだと思う。もう一つは、キャロルとドクが一緒に、ゴミの収集者から処理場に吐き出されたあと、ゴミとして捨てられた自家用車のシートに座って行く末を語り合う場面で、その背後に、ゴミから出てくる煙がゆっくり流れているシーン。これは意図的か、偶然か、わからないが、駅の見張りをしている老人と同様に、二人を観察しているように見えた。せいぜい、二十秒くらいのシーンだけど、じっと見ていると、見ている方が流されているようで、二人の未来を暗示しているようにも見えた。

ゴミ捨て場で話し合う、二人。このバックを煙が流れる。時間にしたらせいぜい二十秒くらいだと思うけれど、見ている方が流されているような錯覚を感じた。

実際、この後、ドクはギャングの追っ手を全て撃ち殺したあと――先に触れたように、一人だけ見逃す――たまたま停まっていた、おんぼろトラックに乗り込み、故郷を越えてメキシコに逃げ込むが、そのトラックの持ち主は修理業者の老人で、「あんたたちは結婚しているのか?」と聞く。ドクが、夫婦だ、と答えると「それがいい。私は古女房に全てお世話になった。それが幸せなのだ。私を見習いなさい」みたいなことを言う。嬉しそうなキャロル。国境も、いつも通っているということで、難なく潜り抜け、メキシコに着いたあと、老人と運賃の交渉を始める。ドクが「あんたの年収は?」と聞くと、「五千ドルってところだ」と言う。多分、ふっかけていると思うけど、「一万ドルでどうだ」と、ドク。老人が「口止め料込みで、二万ドルでどうだ」と言うと、トラックの運転席からやりとりを見ていたキャロルが、「三万ドル!」と言う。老人が「気まえがいいねえ」と言ったところで、ジ・エンドという、心温まるハッピーエンド。ゴミ捨て場の煙から、流し、流され、たどり着いた、と考えれば、感慨もまた、深まるというもの。

老人に未来を諭され、うれしそうな二人。実際に結婚しちゃうわけだけど。

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