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不思議な映画、その三。『悲しみは空の彼方に』

 昔、我が家にラナというコッカースパニエル犬がいた。ラナというのは、当時、ラナ・ターナーというハリウッド女優がいて、ラナだったら呼びやすいし、いいんじゃないの、ということでつけたものだったが、ラナターナーの映画は見たことがなかった。それが数日前のNHKプレミアムで放映していた『悲しみは空の彼方に』という映画の主役だったので、ビデオに撮っておいた映画を見たら、当時(1956年ごろ)のアメリカの人種問題を扱った映画で、ピンナップ女優、ラナ・ターナーとしては意外な映画だと思った。しかも、その人種問題が現在でもあまり見ることのない、極めてシビアな側面に入り込んでいるのに驚いた。ストーリーは、以下の通り。
 ラナ・ターナー演じるローラは、娘がいるシングルマザーの女性で、女優になりたいと思っている。ラナ・ターナーのキャリアの最後の方の映画で、当然、それなりに年を取っているので、女優志願はちょっと無理じゃないのと思ったけど、ブロードウェイ、つまり舞台女優を目標なので、そんなに珍しいことはないのかもしれない。彼女は幼い娘のスージーとの二人暮らしだが、ひょんなことで知り合った黒人のアニーという女性と、その娘、サラジェーンとの四人暮らしで、アニーは小間使いのようなことをしている。トップの写真は、和気藹々に過ごしていた頃の場面。
 そのサラジェーンが学校に行った後、雨が降ってきたのでアニーは傘を持って、学校に行って、授業中だったが、娘に傘を渡すが、教室中が凍りついてしまう。というのは、サラジェーンは外見はラテン系の白人という感じだが、母親のアニーは全くの黒人だった。つまり、外見は白人でも、実は黒人の母親をもつ非白人であることがバレてしまったのだ。自分の母親が黒人であることを隠していたサラジェーンは、屈辱感でいっぱいになる。『悲しみは空の彼方に』の原題は『Imitation life』――「いつわりの人生」を送ることになったのだ。

白人だと思っていた女の子の母親が黒人だったとバレて、教室が凍りつく場面

 一方、ローラはモデルの仕事で生活費を稼ぎ、オーディションがあると聞くと、それに応募していたが、役を得ることはできないでいた。そんな時、写真家志望の青年にとってもらった広告写真が劇作家の目に留まり、舞台女優として成功を収める。……その十年後、ローラは豪華な家を構え、黒人の執事すらいるが、アニーは以前と変わらず、小間使いのような仕事をしているが、娘のサラジェーンは、恋人に、「母親が黒人だと、オレに言わなかった、オレは黒人の母親を持つ女性と付き合うつもりはない」と雨の中、突き倒される。その恋人を演じているのが、その後の青春スター、トロイ・ドナヒューなんでびっくりしたが、でも似合っていた。そんな奴なんだ、トロイ・ドナヒューは――なんて、ドナヒューにしてみれば、迷惑な感想を抱いてしまった。ごめんなさい。

トロイ・ドナヒューに「前の母親は黒人だ!」言われるサラジェーン

 サラジェーンは、こうなってしまったのも、あんたが学校に傘を持ってきたからだ、と言って家出をして、白人が集まるクラブでダンサーなどをしている。もちろん、白人の踊り子としてだ。
 そのサラジェーンが働いているクラブに、母親のアニーがやってくる。ローラの成功のきっかけになった写真家志望の男性は、今は広告会社の経営者で、彼に頼んで働いている場所を見つけてもらったのだが、白人専門のクラブなので、ガードマンから、外に出るように言われるが、サラジェーンは、「彼女私にお乳をくれた養母だったの」と言ってかばう。でも、できることはそれが精一杯で、二人は、養母と幼女として抱き合って、別れる。その後、アニーは心労と病が重なって死んでしまう。それに至る事情を全て知っていたローラは、アニーのために豪華なお葬式を行う。そこに、サラジェーンがかけつけて、霊柩車(アメリカ型の霊柩車。はじめて見た)の扉をあけてもらって、「ごめんなさい、私が殺したようなもの」と言う。
……という話。監督は、メロドラマばかりを撮っている監督だそうだが、まさにメロドラマだが、外見は白人(最初、大人になったサラジェーンを見た時、ナタリー・ウッドかと思った)なのに黒人として扱われるというアメリカの人種問題の深刻な側面をズバリ、描いているのは今でもあまりないんじゃないかと思う。
 あと、金髪のラナ・ターナーが、白髪の草笛光子みたいだと思った。彼女が舞台で、誇らしげに挨拶をしているところなんか雰囲気がそっくりだと思ったけど、まあ、主観ですので……。

舞台女優として成功したローラ
草笛光子。88歳だそうで……。ラナ・ターナーと似てる……と思うけど


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