ジョン・フォードの『アパッチ砦』を見る。
面白かったけど、色々な意味で意外な映画だった
南北戦争で失策を犯し、中佐に階級を下げられてしまったサースデイ(ヘンリー・フォンダ)は、アパッチ族との紛争が絶えないアパッチ砦に左遷させられる。そこには、現場の情勢を熟知している古参のヨーク大尉(ジョン・ウェイン)がいた。サースデイ中佐は、ひどく頭の固い、軍の階級を何より重んじる軍人で、実体験を重視するベテランのヨーク大尉と対立する。サースデイは妻と娘のフィラデルフィア(シャーリー・テンプル)を伴って赴任する。その娘が士官学校を卒業したばかりの若いマイケル中尉と知り合う。マイケルは、フィラデルフィアを誘ってアパッチ砦の外を案内するが、そこで居留地から抜け出したインディアンに襲われた騎兵隊員の死体を見つけ。サースデイは居留地から抜け出したインディアンを討伐せよと言うが、インディアンの心理をよく知るヨーク大尉は、まずインディアンの首長と話し合うべきだと言って、その首長がスペイン語を話せることから、スペイン出身の部下と二人で、首長に会いにゆく。
一方、砦では、サースデイ中佐が新任したことを祝う民間の関係者を交えた舞踏会が開かれる。18、19世紀頃の舞踏会はハリウッド映画でも、またヨーロッパの映画でも時々目にするけれど、格式を重んじる中佐の意を汲んだ舞踏会の演出を抜きん出て素晴らしいが、それは、その後の中佐を襲う悲劇をより印象付けるためだったということが、後でわかる。
と言うのも、その舞踏会の最中に、埃まみれになったヨーク大尉が帰ってきて、インディアンの首長の意向を中佐に伝えるが、中佐は、明日、砦の騎兵隊全員を率いて、武威を見せつければ、首長も居留地に戻るに違いないと言う。ヨーク大尉は、それでは首長との約束を破ることになる、と反対するヨーク大尉に、司令官の命令は絶対だと言って、舞踏会も、最後の一曲で中止、明日の出撃に備えよと言う。
ともかく、サースデイ中佐の権威主義に驚く。演じているのは、どう見てもヘンリー・フォンダだが、『荒野の決闘』におけるヘンリー・フォンダとはイメージがまるで異なるので、目をこすりながら見たが、どうみてもヘンリー・フォンダだ。そのフォンダ演じるサースデイ中佐に対し、ジョン・ウェイン演じるヨーク大尉は手袋を投げつけてまでして、命令に抵抗するが、サースデイ中佐は、決闘は受け付けない、アパッチとの戦闘が終わったら、軍法会議で処分すると言い放ち、アパッチの討伐に向かうが、ヨーク大尉が言った通り、待ち伏せしていたアパッチの攻撃を受けて、全滅してしまう……という話。
これは、カスター将軍の全滅の話と意図的に被らせているようで、取材にやってきた新聞記者に、ヨーク大尉が、サースデイ中佐の肖像画を前に、「全滅した騎兵隊の中で、司令官の名前だけが残るんだな」というセリフとともにENDマークが出る……のだったかな? ビデオにとったので、後で確かめるけど、ともかく、最後の最後まで、ヘンリー・フォンダらしくなかったけど、娘のフィラデルフィアは、恋人のマイケル中尉と結ばれるし、ちょっと不思議なラストだったが、騎兵隊三部作の最初の一作だそうだが、正直言って、一番、面白い。インディアンとの戦闘シーンは特にすごい。全滅してしまうという結丸も関係しているだろうが、『駅馬車』より、すごかった。
ただジョン・ウェインがライフルも拳銃も、一発も撃たなかったのが意外だったけど、インディアンの襲撃に備えて、騎兵隊の馬車を全部横倒しにさせるシーンが水際立っていて、さすがジョン・ウェインだと思った。
ちなみに、インディアンの存在ってアメリカ人にとって、どんな意味があるのかインディアンが出てくる映画を見るたびに思う。精神分析のユングが、アメリカンフットボールを「インディアンのスポーツだ」と言ったことがある。さすが、直感の男。プロレスのデストロイヤーの「4の字固め」もインディアンの必殺技らしい。アメリカ人の深層心理に、相当深く食い込んでいるのかもしれない。MLBのクリーブランド・インディアンズが、ガーディアンズに名前を変えたりしてるし、棘を抜いているのかな?
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