ロバート・アルドリッチの西部劇、『ワイルド・アパッチ』に頭をひねる
ビデオでとっておいたNHKのBSプレミアムで放映された西部劇『ワイルド・アパッチ』を見る。ただ、三十分ほど過ぎてから録画したので、最初、ストーリーがわかりにくかった。とりあえず、見たままを報告すると、まず、ごく普通の中年の白人の家屋がうつる。その後、妻と息子が馬車でどこかに出かける。男は十二歳くらいの息子に「母親をちゃんと守るんだぞ」と言う。しかし彼らの乗った馬車がインディアンに襲われ、妻と御者として乗っていた男も撃ち殺され、馬を奪われるが少年は放置される。あれ? どういうわけで少年は殺されなかったのだろう……? と思っていると、そこに騎兵隊がかけつける。騎兵隊は居留地から逃げ出したアパッチの酋長、ウルザナを探しているのだ。騎兵隊は、殺された女性の家が危ないということで、急遽、駆けつけるが、夫はなぶり殺しに殺された上、柵に逆さ吊りにされている。
『ワイルド・アパッチ』は七〇年代のはじめに作られた映画で、西部劇においても、というより、西部劇こそ「ポリティカル・コレクトネス」の嚆矢だったはずで、アパッチを残虐な犯罪者として描いて問題にならなかったのだろうか?――と、軽薄に思ってしまったが、監督は難解な映画づくりで有名なロバート・アルドリッチだ。理由なくこんな描き方をするはずがないと思ったが、果たしてその通りだった。
インディアンの居留地から脱出、白人の残虐に殺しているアパッチ族のウルザナを追う騎兵隊の案内役としてマッキントッシュ(バート・ランカスター)と、ウルザナと同じアパッチ族のケ・ニ・ティが雇われているが、隊長が、なんでアパッチはあんなに残虐な殺し方をするのだ、と同じアパッチ族のケ・ニ・ティに聞く。ケ・ニ・ティは、殺された者は、殺した者に力を与えるとアパッチは考えるのだと言う。ウルゾナは居留地にいる間に、その力を失ってしまったので、それを再度、獲得するために残酷に殺すのだと。隊長は、「少年はどうなんだ?」と聞くと、少年はまだ力が弱いので、対象にはならない、と答える。
騎兵隊の隊長は士官学校を卒業したばかりの若者で、ケ・ニ・ティの騎兵隊に対する忠誠心を疑うが、マッキントッシュは大丈夫だ、私が保証すると言い、ケ・ニ・ティも「私は契約書にサインをしたのだから、騎兵隊の一員だ」と言う。隊長もしばし考えたあと、「わかった」と答える。また隊長だったと思うけれど、ケ・ニ・ティに、ウルゾナと関係があるのか、と聞くと、自分の妻の姉がウルザナの妻だと答え、「醜い女だ」と言う。あまり関係はよくなかったらしい。それはそれとして、マッキントッシュは、アパッチは我々より脚力が強いので、彼らの馬を追い払ってしまえばいい、と言って、十数頭の裸の馬をウルゾナの部下が遊ばせているところにピストルを撃ちながら襲いかかって、馬を追い払ってしまう。
その後、騎兵隊が馬の飼い葉と水を補給するためにある農場を訪れるが、ウルザナはその農場を襲い、馬を奪った上、農場主を残虐に殺し、妻をいたぶった上、放置する。隊長は彼女を砦まで送れと命令するが、マッキントッシュはの城主の妻を殺さなかったのは騎兵隊の戦力を削ごうという、ウルザナの計略で、それを逆手に取って、妻を送り届ける騎兵隊にウルザナが襲いかかるタイミングに合わせて、騎兵隊の本体が踵を返すという戦略を立てる。ここで肝心なのは、アパッチの見張りが我々を岩山で監視しているはずで、それを排除する必要がある。要するに殺す必要がある。マッキントッシュは、それをケ・ニ・ティに頼む。ケ・ニ・ティは、同じアパッチだが、同意する。なぜなら、騎兵隊と契約しているからだと、ケ・ニ・ティは言う。
肝心なことは、騎兵隊の本体が引き返す、そのタイミングだが、ケ・ニ・ティが手鏡で太陽を反射することで知らせることになっていたが、手違いが生じて、騎兵隊本体の到着が遅れ、砦に向かう馬車に乗っていたマッキントッシュはアパッチの銃弾を受けて重傷を負うが、ウルザナもまた騎兵隊との戦いの中で一人きりになり、ケ・ニ・ティとナイフで対決するが、ウルゾナは、自分が無力になったことを悟り、ナイフを捨てる。
一方、マッキントッシュは、馬車に乗せて砦まで戻り、医者に見せようという隊長の言葉を断る。馬車に耐える力はもうない、と。その時、銃弾の音が聞こえる。ケ・ニ・ティが撃ったんだと言う。そこに馬にウルザナの死体を乗せたケ・ニ・ティがやってくる……というラスト。
ストーリーを紹介してしまったが、マッキントッシュは「アパッチは戦わない。殺すだけだ」と言っていたが、「戦う」とはある理念を巡って戦うので個人を超えて広がってしまうが、「殺す」なら相手が死ねばいいだけだ。……というメッセージが、アルドリッジのメッセージなのだろう。
というわけで、原題「ウルゾナの奇襲」が『ワイルド・アパッチ』とは、あまりといえばあまりな邦題だ。『ワイルド・アパッチ』には「アパッチ」という部族名は頻繁に出てくるが、「インディアン」という名詞は一切登場せず、従ってアパッチの種撃を「原住民の襲撃」と表示している箇所も一つもなかった。さすが、アルドリッチである。思想がしっかりしている証拠と言うべきだろう。