生活の中心にあったヨーロッパの都市の広場
ヨーロッパの歴史ある都市を歩いていると、必ずと言っていいほど広場があります。
市庁舎の前であったり、聖堂の前であったり、広場にはいつも人が集まってます。
ヨーロッパにおいて、広場の歴史はとても古い。
市民集会を表す言葉からきた古代ギリシアの中心的広場「アゴラ」。
公開討論会が語源の古代ローマの広場「フォロ」
「アゴラ」も「フォロ」も、政治、経済、宗教、そして社交の場として、市民の暮らしの中心となりました。
広場は、最初は人々の往来で自然発生的に出来たもの。
都市が計画的に建設されるようになると、広場は大通りが交差する場所に造られるようになりました。
ヴェネチアのサン・マルコ広場。中世栄えた都市では、市民生活に広場は不可欠。
また、ピサのドゥーモ広場のように、戦勝の栄光をを示すため記念に造られた広場もありました。
ルネサンス時代には、広場に彫刻が置かれ、周囲の建物を含め、空間全体に美的統一感を持たせました。
ルネサンス後期からバロック時代は、権力者が、一流の建築家に、広場とその周辺の設計を依頼。ベルニーニの彫刻が有名なナヴォーナ広場もその一つ。
イタリアのシエナの中心にカンポ広場という広場があります
カンポ広場に面するゴシック建築の市庁舎は、14世紀初頭に完成。
写真左の高い塔はマンジャの塔といい、高さ102メートル。
シエナ市庁は、広場建設中の1297年に、広場に面する建物の全ての窓に、小さな柱の飾りをつけることを義務づけます。
これが世界最古の都市計画に関する法令の一つになりました。
シエナは、広場の美観をとても大切にしていたのです。
市庁舎の横にそびえ建つのは、102メートルのマンジャの塔。14世紀中頃に建造。
初代の塔の鐘つき男が、非常に怠け者で、「マンジャ・グァダーニ(道楽者)」と呼ばれいて、それが塔の名前になったということです。
カンポ広場は、中心が低く、扇状の外側に行くにしたがい、徐々に高く傾斜。とても特徴のある形。
かなり昔になるのですが、バスツアーでヨーロッパを巡ったとき、カンポ広場に行きました。
滞在時間はほんの3時間くらい。
でも、とても印象に残る広場でした。
車が入って来ることはなく、地元の人も観光客も地面に座って、思い思いの時を過ごしていました。
自分もその中にちょっとだけ仲間入り。
旅なれたふりしながら、内心はちょっとドキドキしながら その場に座っていたのを覚えてます。
この記事書きながら、その時の懐かしい気持ちが、よみがえって来ました。
また行きたいなあ。
出来れば今度は、一日中ずっとカンポ広場ですごしてみたい。