アンコールワットを祇園精舎と思っていた日本人
江戸時代中期にいた、加藤清正の家臣の息子森本右近太夫一房。
世界遺産アンコール・ワットに「落書き」を残したことで有名になった人物。
アンコール・ワットは、1860年フランスのアンリ・ムオが発見して、世界中に知れわたることに。
でもそれ以前も、密林の中で完全に埋もれていたわけではなくて、地元では信仰の対象にしていた人もいたそう。
森本がアンコール・ワットをおとずれたのは1632年。
アンリ・ムオがアンコール・ワットを発見するだいぶ前のこと。
当時はまだ鎖国前だったとはいえ、海外に向かうのはかなり危険だった時代。
そんな時代に森本はどうして、アンコール・ワットを目指したのでしょう。
彼はアンコール・ワットを、祇園精舎と勘違い。
祇園精舎とはインドにあった寺院で、釈迦が説法を行ったことで有名。日本でも良く知られてた場所。
日本では何故か祇園精舎は、シャムの密林の中にあると伝わっていたらしいのです。
信心深かった森本は、父母の菩提を弔うたまに、朱印船にのって海をこえ、はるばるアンコール・ワットへ。
森本の「落書き」には、長い旅をして来たこと、じぶんの両親の幸福を願うことが記されていたということ。
ただのいたずら書きではないので、念のため。
現在はこの「落書き」は、上塗りされ確認しづらくなってしまってます。
現地ガイドさんが、このへんですと教えてくれたけど、残念ながら私も良くわかりませんでした😂