平和の世を願って平泉の地に建てられた中尊寺
かつてマルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で、日本では建物全てが黄金で出来ていると紹介。
一説によると、この話のもとは 総金箔貼りの中尊寺金色堂だったのではないかと言われてます。
中尊寺は 850年 円仁により開山されたのが始まり。
12世紀初め 奥州藤原氏初代清衡(きよひら)公が目指したのは、仏の教えによる平和な世の実現。
戦いで亡くなった命を敵味方関係なく供養する仏国土を建設するため、大伽藍を造営。
比叡山延暦寺をモデルに、20年もの歳月をかけ中尊寺境内に「鎮護(ちんご)国家大伽藍」を完成。
残念ながら 14世紀に堂塔の多くが焼失。
それでも 金色堂を始め3000点余りの国宝・重要文化財を所有する中尊寺は、平安仏教美術の宝庫。
金色堂新覆堂。老朽化した旧覆堂に替わり、金色堂を保護するために、1965年に建て替えられた覆堂。
覆堂に置かれたガラスケースの中に、金色堂があります。ご本尊は阿弥陀如来。
金色堂は、清衡公が中尊寺を建設した当時の姿を伝える唯一の建物。
写真撮影は出来ませんでしたが、金色堂内部は、床から天井まで金箔で、本当にまぶしいくらい金ぴかでした。
随所に施されてる螺鈿細工も素晴らかった。
金色堂内には 初代清衡、二代基衡、三代秀衡の亡骸と、四代泰衡の首級(しゅきゅう)を納治。
金色堂のそばに建つ経蔵は、「中尊寺経」を納めていたお堂。
松尾芭蕉が、「おくの細道」で、「五月雨の降残してや光堂」と読んだことでも有名。
中尊寺を含む「平泉・仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群」は、2011年 世界遺産に登録されました。