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設計者が生存中に世界遺産になったシドニー・オペラハウス

シドニー港の岬に建つとてもユニークな形のシドニー・オペラハウス。

応募総数233件のコンペで選ばれたのは、当時全く無名だったデンマークの建築家・ヨーン・ウッツォン。

実はウッツォンのデザインは、構造設計をほとんど無視したデッサンで一度落選。

しかし、その独創性が認められ、逆転採用へ。

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1959年 ウッツォンの指揮で工事開始。

建物最大の特徴である貝殻型の外壁の実現は困難を極めます。

工期はどんどん遅れ、予算はどんどん膨らむことに。

1965年 政権が交代して、予算面の承認が下りず、ウッツォンとの間でトラブルに発展。

半ばけんか別れ状態で、1966年ウッツォンが撤退する異常事態。

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やむなく 何人かの設計者が共同で監督。

当初4年の予定が、最終的に竣工したのは、着工から14年後。

建築費は 当初予定のなんと14倍にも‼️

柿落としはエリザベス女王を招待。

設計者であったウッツォンは、招待されませんでした。

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2000年 けんか別れ状態であったウッツォンとの間で、オペラハウスの一部内装の再デザインで合意。

ウッツォンの当初のデザインがレセプションホールに登場することに。けんか別れ後、初めての起用でした。

この功績もあって、ウッツォンは、オペラハウスの設計者として称賛されるようになります。

2003年 ウッツォンは、シドニー大学から名誉博士号を贈られます。

同年 建築家としては最高権威となるプリツカー賞を受賞。

2007年 シドニー・オペラハウスは、ウッツォン存命中に世界遺産に登録。

翌2008年 ウッツォンは亡くなりました。

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オペラハウスは、まるで海に浮かぶ大きな船のようにも見えました。

シドニーだけではなく、オーストラリアのシンボル。

シドニー・オペラハウスは、20世紀の建築技術の傑作とされています。

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