[五・一五事件ー橘孝三郎と愛郷塾の軌跡]保坂正康(2009,7,25)中公文庫. 443p. ☆☆☆
3段階の評価をつけます。
☆☆☆:読む価値あり
☆☆☆:暇なら読んでも損はない
☆:無理して読む必要なし
1974年1月に初版が出版されました。
50年近く前に出版された本ですが,次のような理由で,今こそ多くの若者に読んでいただきたいと思います。
五・一五事件は,日本がファシズム国家に突入していくきっかけとなったものです。
当時の日本の経済は世界大恐慌の影響を大きく受けて落ち込んで貧富の差が大きくなり,特に農村が崩壊して行きました。
一方,政治家・政党ともに派閥争いに明け暮れ,庶民は彼らに期待することがなくなっていました。
そんな中で,一般庶民がこの事件を大きく支持する運動を起こしました。
この世論が以後の軍が政治力を持っていくのを大きく助け,日本破滅の道筋ができてしまいました。
この社会的状況は現在の日本状況と良く似ています。
バブルがはじけた結果上級国民と下級国民との経済的格差が広がっていますが,こんな状況の中で与野党含めて政治家への信頼度は落ちています。
フェイクニュースやインフルエンサーの極端な意見が,SNSを通じて世論になって行きます。
歴史は繰り返すことは無いと思いますが,社会のこの気持ちの悪いうねりのようなものを感じておくことは,明るい未来を築くためにも大切かと考えます。
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本書は,五・一五事件民間側の代表的人物橘孝三郎に焦点を当てて分析したものです。
橘孝三郎は水戸の中学を卒業後,一高に進学した秀才でした。
学校のカリキュラムを無視して,自分独自で考えたカリキュラムに従って哲学を中心に猛烈に勉強を続けていました。
その結果,農業を発展させることこそが日本を発展させることだという考えに至り,実践こそが大切だとして,一高を中退し水戸にもどり水戸郊外で農業を始めました。
実践的に農業を続けながら農業による建国の思想を広げていきますが,その中心が愛郷塾でした。
あくまでも人道的な見地から,当時崩壊しつつある農村を復活させることを目指していました。
ここで重要なのは,彼は当時の政治には期待をしていなかったという点です。
一方,軍の若手将校も困窮している農民を救うことを一つの目的として,政治での軍の発言力を強めるべく行動したのが,この事件でした。
橘孝三郎は軍の政治への積極的参加を好ましいと思っていた訳ではなかったのですが,農民の救済という点では同意するところがありました。
橘と愛郷塾のメンバーの役割は,東京各地の変電所を手榴弾で破壊し,事件当日に停電を起こすことでしたが,ほとんどの手榴弾は不発に終わり,計画自体は失敗に終わります。
しかし,事件後の裁判では,軍関係者に比べて民間側の関係者には重い判決がくだされました。
ただ,判決が出た後には軍,民間関係者ともに膨大な減刑嘆願書が民衆から提出されました。
「やったことは悪いが考えや気持ちは理解できる」といった,情緒的な反応を民衆がしたという点が重要です。
五・一五事件は日本のファシズム化に弾みをつける重要な事件だったのですが,必ずしも軍だけが勝手に行動をした結果ではなく,一般大衆が支持していたことがポイントです。
人道主義的に農業の復活を願い純粋に活動を展開していた,橘孝三郎は哲学者・宗教家のような雰囲気を漂わせた人格者であったようですが,大きな歴史の流れに巻き込まれて流されてしまったのかもしれません。